表題の件につきまして丹波橋等での湯口様、西村様の車両撮影記録を拝見させていただきました。湖畔のヒマ人様の現場経験での話は毎回大変興味深いものがあります。有難うございました。私も相互乗り入れを撮影したことがあるとコメントを入れさせていただいたので、今回近鉄京都線の上鳥羽口-竹田間での京阪車両を報告します。撮影は1966年10月4日の秋晴れの日でした。
1001+1512+1008の京都行きで拙い写真であるが、当時の本線の中書島-淀-八幡町(現八幡市)間の様な広々とした場所がおわかりいただけるかと思う。▼
1900生様はどうでもいい車両が乗り入れに使われていたようにいわれ、私も失礼ながらうまい表現だなと思い同感であったが、どっこいこの日は元特急車の1800が入っていた。運動神経の鈍さがここでも現れ両端が木にかかった失敗作である。1809+1806 京都行き ▼
1300+1600+1300の宇治行き ▼
乗り入れ運用ではないが、伏見桃山城を入れた近鉄652+509+649の京都行き急行。湖畔のヒマ人様のいわれるとおり一面田畑であった。また、このあたりは鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争の激戦地の近くである。▼
最後は西村様ほか皆様が記録されている近鉄820を私も1枚。1968年5月に撮影した五条(現清水五条)付近を行く825+725の奈良発準急三条行き。▼
京阪電車の鴨川と疎水の間を行く姿は地下化され見られなくなって久しい。一方、上鳥羽口-竹田間も家が密集して昔日の面影は無い。
準特急さん、京阪馬鹿と一時期称して居りましたが、見たことのないシーンをみせていただき感涙?に耽っております。1000系の宇治行きには田舎(近鉄榛原下車)へ行くときに京都駅で遭遇したので丹波橋まで乗ったことがありますが、18002連、1300系の3連には遭遇した事なしで、向日町転居後の京阪は「なんでもあり」の車両運用をしていたことが良くわかります。1800(ロマンスカー)が京都駅~宇治間を走っていたなんて全く知らずの京阪馬鹿でした。一昨年だったかな「御伽電車跡」散策の時もJRで往復、昨年も2度出町柳に出る時に淀経由としましたが、一度は淀で、もう一度は中書島で30分ばかり行き交う列車を眺めただけとなりました。最近の京阪の外部塗色や一般車のスタイルが性に合いませんので関心がなくなりなした。沢村君が在職時代は輝いて居るように思うのはエコヒイキでは無いと思うのですが・・・・・。
準特急さま 乙訓の老人さま
1000系3連京都行の撮影地点は竹田を出てすぐの鴨川橋梁への上り勾配、現在は写真右手に京都市地下鉄の竹田検車場が在るところですね。現在との余りの周辺の違いに戸惑いました。まさに淀~八幡のミニスケール版です。
1800系2連の写真には参りました。百聞は一見に如かずです。そんなん入ってましたか?との小生の疑問を撤回致します。またこの写真は京阪本線ではまずお目にかかることが出来ない貴重な写真だと思います。本線を2連で走ることは無かったろうと思いますから。何かの都合で余程車両事情がひっ迫していたのでしょうか。
ところでこの2連ですが、1800の内のロングシート車ではないかと思うのですが。資料がすぐに出てこないので確認できませんが、当時はたしてクロス車が乗入れ車種に入っていたかどうか、また写真の窓に見える乗客の頭が向こうを向いているように見えなくもありませんので、いささか疑問に思うわけです。尤も運転士が持ち切りで入るのであれば、現在のように乗入れ車種を協定する必要もありませんから、クロス車の可能性も十分にあったかもしれません。
準特急さまの写真はいつも車番を記録されていたのですね。これは素晴らしいことだと思いますし、頭の下がる思いがします。例え短編成とはいえ車番まで確認するというのは、やはり被写体に対して相当の情熱をもって撮っておられたことの証左だと思うからです。
今回も懐かしくも珍しい秘写真をありがとうございました。また拝見できますことを楽しみにしております。
乙訓の老人様、1900生様
京阪を愛し、その知識・情報では右に出る人はいないといわれるお二方から1800系2連の近鉄線上での写真は珍しいとご指摘いただきました。たまたま撮影したある1日の事でしたが運用の都合か何かと思います。JTBCanBooks京阪特急(沖中忠順編著)によりますと1803+1881+1804の3両は特急色ながらロングシート車であったと76頁に記載されております。これを読んで1800系には製造当初からロングシート車があったことを知りました。1965年の1月か2月、同志社に願書を出しに行った帰りに初めて京阪電車に乗ったくらいですのでお二方には足下にも及びませんが、この頃の1800系は特急色の5連(6連もあったかも知れません)でオールロングシート化され急行運用が主体であったように思います。その後3扉化されたり、一般色化され、同じく3扉化された1700系と混結して特急以外の運用に充当されていたように思います。外部塗色ですが、古くからの京阪ファンは前の色の方がよかったといっています。人はそれぞれ過去のものを懐かしむという習性から来ているのかも知れません。西武の今のレッドアロー色をよくいう人は少ないですが、旧レッドアロー色は当時は何とも思いませんでしたが、1編成復活させたそれは人気があるようです。ところで京阪の前の色は同色系の濃淡で特急色も一般色も無難でもありますがいい配色と思います。伊豆急も同じように同色系で無難です。
車両のナンバーを記録するのは癖でして今でもメモしていますが、これをやるとナンバーに気を取られ風景を粗末に扱っていい結果が得られないことが多いです。シルエット撮影などはナンバー無視です。ナンバーと言えば最近のJR西の車両のナンバーは小さくて見え難く走行中に確認するのは無理です。今は編成表などがあるので、ナンバーよりも写真の構図などに注力すべきです。撮影場所もどえらい田舎で降りてその場所を記録し忘れると後で苦労します。昔はそのあたりがいい加減でして今になってパソコンの地図から当時の写真に写ったカーブや鉄橋などを確認して過去に降りた場所を判断することもありますが、降りた駅名がわかっていて前後どちらに行ったか不明の場合は撮影場所を〇〇付近で逃げます。今回の近鉄825の準急は五条付近で逃げました。写真の右に京都タワーがあり、五条の七条よりと思いますが、自信がないので五条付近としました。
近鉄京都線内の京阪電車も多分DRFC-OBの皆さんのどなたかはお持ちと思います。DRFC-OB得意の「こんなんあるでー」をデジ青上でお待ちしております。
準特急さま
コメントを拝読していて気が付きました。1800の撮影が1966年ということは1963年の淀屋橋乗り入れ後ですから、特急は既に1900に替っており、1800はもう全てロングになっていたはずですね。よってクロス車かロング車かの議論は無意味でした。但し塗色は特急色だったと思います。一般色への変更は3扉化の際だったように記憶しています。
塗色への想いは小生も同感です。まあ色というのは主観ですから、どちらがいい悪いではないのですが、やはり慣れた色に傾くのは致し方ないのかもしれません。小生は中之島線開通を機に塗り替えが始まった現在の塗色には中々馴染めませんが、基本的に特急は赤系を、一般車はグリーン系を踏襲しているので、塗り分け方の差くらいかなと受け止めるようにしています。とはいえ塗り替え当初は旧色はもう終わったと放念していましたが、4~5年前頃に旧塗色が特急は旧3000系のみに、一般車が6~7編成に減った時点で突然懐かしさがこみ上げてきて、その際に撮影した映像が今となっては貴重な記録になりました。
ナンバーも然りですが、列車以外の例えば背景の山や樹木・花などに注意を向けると、確かに注意が疎かになることは否めませんね。どうしても事前に構想した構図にとらわれるためではないかと思います。
撮影ポイントは場所を忘れないために、撮影時に使用した地図に記録するようにしています。こうすればまずわからなくなることはありませんので、お試し下さい。
準特急様・諸先輩の皆さま こんばんは
会のメンバーでありながら自分達の活動にかまけ、書き込みもせず拝見させてもらってばかりな事をお許しください。
今回の準特急氏の記事・写真を拝見し、驚きの感謝の気持ちを表したくて書き込ませていただきました。先輩の皆さまが撮り溜めておられる写真や記録の中には一廻り下の世代の我々がまだまだ未知であったことが沢山隠れております。折にふれて拝見させていただけることを楽しみにしております。
1900生様
1965~6年頃は1800と共に1700も2扉特急色であり、オールロングシートであった様に思います。その後3扉化され一般色となり定期特急以外の様々な列車に充当されていたように思います。1700は吊掛け半鋼製(車内は木製)で1800はカルダン全金属製(車内は特急格上げの1810と同様にピンク色)であったように思います。思います、思いますで申し訳ありませんが記憶の間違いがあるかも知れませんのでこのような自信のない表現で申し訳ありません。吊り掛けとカルダンの連結は運転上どのような感じがしたのかまた問題があったのか興味があります。京王の5000のカルダン車も吊り掛けの5100と混結していましたし、他社にもそのような例があったのかもしれません。最近のデジタルカメラは日時を記録してくれるので大助かりですが、メモ帳には列車名とか列車番号やズームレンズの使用具合などわかる範囲の情報を記入しております。当日のその場所での同業者の凡その数とか話しかけられた一般の人のことをメモることがあります。ちょっとした撮影日誌です。撮影ポイントの地図への記入は参考にさせていただきます。
倶楽部2600(びおちゃん)様
古い鉄ちゃんの強みは古い写真を持っていることですが、弱みは当然あの世に行く順番が迫っていることです。倶楽部2600さん、おや、どこかで見たことがあるナンバーですね。会のメンバーなら遠慮せずに投稿されることを希望します。デジ青投稿者におじんが多いので遠慮される若い人も多い様ですが、是非若い人の感性で投稿して新風を巻き込んで下さい。足腰の弱りつつある我々おじんも口はまだまだ達者できっとコメントがあると思いますよ。京阪電車に関してはDRFC創設期の諸先輩が初期の鉄道ピクトリアルに連載されており私もそのことを知って当会に入会させていただき、その時の先輩や後輩あるいはすれ違いの先輩、後輩とも半世紀経ってもお付き合いができる大変結構な同好会だと思っています。コメントを有難うございました。
アップされた1809+1806の窓際の乗客をよく観察すると背中が見えておるような感じですからロングソート化された後でしょう。1800系10両増備の際、1803・1881・1804がロングシートで投入され、最初は急行に使用されていたように思います。それが特急に使用されるに至ったのは7時40分発下り特急の利用客が超満員となり、京橋で迅速な下車を図るためであったと記憶しています。1811系増備後、1704、1705の2連2本がロングシート化され、7時40分、8時発の2本の頭2両がロングシート車になっていました。京橋のホームが6連化されたことで1800系増備があり、再び特急全編成ロマンスシートになりました。淀屋橋延長で特急は190系になりましたが、その変遷は小林君が、8000系は福島君が執筆しています。3000系については沿線住人で同志社同様キリスト教校出身の中村君に加わってもらいました。京阪特急上梓から9年経過したところで絶版にするとJTBから先日通告がありました。
乙訓の老人様
コメントの締めを有難うございます。
乙訓の老人様を始め京阪電車に情熱を持った方々のお名前が出てまいりましたが、キリスト教系の学校を卒業された方はヨーロッパにも造詣が深く、時々ファン誌に執筆されており情報も頂いております。デジ青もよくご覧になっておられます。また、DRFCーOB以外にも熱烈な京阪ファンが東京(元々京阪沿線の出身)にもおられまして京阪電車のことでピク誌に登場されたことがあります。1800系のロングシートの話題が出ましたが、そういえば最近2扉ロングシート車を見かけることが少なくなりました。南海の一部の2000系、2200系等に乗るとえらく長い車内のロングシートに感心するとともに昔はこれが一般的であったと懐かしく思います。かつて、特に吊り掛け電車の時代の関西では2扉車が基本であったように思います。
準特急様
1000形の写真に思わずウットリしました。
更に、それが当時の牧歌的な雰囲気の中を行く様子が我が青春時代を思い出させてくれました。
当時の京阪間、中でも京都近郊は京阪電車、阪急電車、国鉄線共、本当にこの写真同様の田園の中を走っていました。
実は小生、根っからの国電バカだったため、この当時は私鉄を軽視しており、乙訓の老人様には怒られそうですが、京阪電車も横目でチラチラ程度でした。
しかし、この1000形だけは際立って印象に残っております。
このコメントが表題とズレが有るのはお許し下さい。
河 昭一郎様
京阪電車の1000、1100形流線型電車がまだ急行にも使われていた頃、河 昭一郎様のお名前は鉄道ピクトリアル等趣味誌で存じ上げておりました。関西の国電で特に琵琶湖方面に臨時で入った京都ー西明石間の電車ことや最近では横須賀線、阪急電車の執筆が印象に残っております。私の場合は学生時代から横浜に住み(従って京都は下宿です)、その頃から東西の私鉄も一応撮っておりましたので今回の近鉄京都線の京阪電車はたまたまですが記録していた訳です。あちこち撮り歩いてその数だけは増えましたが、鉄道の特に技術的な知識は全くないため時々上京される電車少年こと乙訓の老人様からは難しい話になると相手にされない状況であります。趣味の世界の先輩からコメントをいただき大変光栄です。デジタル元祖青信号を今後共宜しくお願い申し上げます。
準特急様
小生の『デジ青』デビューは2010年12月1日で、DRFCとは何のゆかりも無い小生を大変暖かく受け入れていただいたのが大変嬉しかったのを思い出します。
特に、小生が初投稿した15分後に『ソッコウ(速攻?)』で乙訓の老人様からコメントをいただき、感激したのを覚えております。
小生、通常ネットでは『国電ファン』としているのですが、最初の『デジ青』投稿時に『コメントを残す』欄の『名前(必須)』にミス操作で本名を入れて送信してしまったのが、そのままになっている次第です。
その後、聡本家青信号特派員様のご縁を得て乙訓の老人様にもお目通りさせていただく事ができ、光栄に思っております。
これまで小生には鉄道趣味に関して組織立った活動をする機会が無く、言うなれば『一匹オオカミ』に過ぎません。
従って幼少時より専ら鉄ピク誌が師で、読者短信やトピックフォトで勉強させていただいており、ここ10年ばかりは誌上で『古い話専門』の『鉄道趣味人』を名乗っております。
京阪電車の鴨川と疎水の間を行く820系の写真を見て感動しています。皆さんに知って頂きたいですね! 資料でお借りすることは可能でしょうか…。よろしくお願いいたします。
福原稔浩様
この電車は私の様な高齢者には全金属製カルダン車のため新型電車と分類しておりましたが、もう50年も前の記録ですね。了解しましたがどのような方法で送ればよろしいですか。