2010年 早春の中国一人旅 Part9 沙湾の沫江煤電

第10日目 2010年3月11日

① 安逸158連鎖酒店10:30-(Taxi)→11:10沫江煤電草埧站
② 草埧站13:00-(沫江煤電)→13:15老礦站
③ 老礦站13:20-(沫江煤電)→13:35草埧站
④ 草埧站17:10-(Taxi)→17:50楽山市内繁華街 
今日は、楽山の中心部から、約30キロの沙湾区にある、芭石鉄道と同様のナローゲージ石炭輸送鉄路、沫江煤電を訪ねます。蒸気は、走っていませんが、可愛い電気機関車がいるそうで楽しみです。  沫江煤電へは、先日に芭石鉄道の石渓站行く時に乗った、タクシーを一日貸切しておきましたので、ゆっくりと安心して撮影できます。

ノートにホテル名を書いて見せておいたので、大丈夫と思っていたのですが、参りました。ホテル前の道路には、代わりになるタクシーが走っていません。30分で着くと言う言葉を信じて待つことにしましたが、来たのは2時間近くしてからでした。
▲ 眠江沿いを走り右折、工場の門を越えて、急坂を登ると、沫江煤電草埧站です。駅名版は、立派な石製です。  


沫江煤電
までは、約40分で着きましたが、案内表示も無く、運転手も初めて来たそうで、近くに来てからも、かなり迷いました。なければ、帰りが、大変だったでしょう。チャーターしていて良かったです

まあ、こんな光景もあるものだと思うノスタルジックな雰囲気が、漂っていました。運転手に帰りまで待つように言って、見学の開始です。
まずは、時刻表探しです。ホームをウロウロすると、売店の柱に2010年1月1日現在時刻表が貼ってありました。インターネットの訪問記事に出ていたのと違って、運行は減っています。

残念ですが、午前中の便は、もうありません。午後からの便も、向陽線は、遅くになり18:00までに、交代のため帰りたいと言う運転手の都合上、乗車できません。▲ 最初に来たのは、可愛いレールカー。貨物牽引や職員輸送用に使用されています。
▲ 站の終点側に進むと、凸型電機見えました。
▲ ZL14-1型の運転席と取り付けられていた機関車の主要諸元表です。粘重は、14トン。定格出力は、156KW。定格引張力3200kg。運転速度は、15.8km/h。
電気方式は、直流550V。762㎜ゲージ。製造番号は、80-11-129。製造は、1980年11月となっています。
▲ 站の終点側には、ホッパーがありました。セキは、豪快に満載の石炭を落としていました。
▲ 站下の市場内の食堂。蒸篭蒸しにしてあるのが、左上の肉料理。B級グルメですが、全部で、10元=約140円と、安くても美味しい! 

草埧站構内を一通り見て回った後は、13:00発老礦行き乗車のために近くの市場に寄って、中の食堂で、地元民が食べているおかずを指差しながら、注文しました。

車両は、7両ありましたが、発車の間際に連結ピンを抜いて3両編成になりました。2車両が通り抜けができるように、連結部に鉄板が置いてありました。

13:00、噂の鳥かご列車に乗って、出発です。列車も色々と乗りましたが、座席がなく、格子に囲まれた車両は、初めてです。家畜車のようでもあります。風通しは良いし、見通しは良いし、座席のないトロッコ車両です。
▲ ご丁寧に、1元切符を5枚渡してくれます。

発車すると、直ぐに列車乗務員のお姉さんが、運賃5元=約70円を徴収に来ます。列車は。直ぐにトンネルに入りますが、芭石鉄道同様に車内灯はありません。

▲ トンネルを出ると、踏切があり、過ぎると、老礦線(約3km)と向陽線(約9km)の2線に分岐します。
8分で新井炭鉱站に到着し、石炭列車との交換がありました。新井炭鉱站からは、本線から直角に坑道に向かってトロッコ路線が延びていました。
新井炭鉱站から谷あいを走り、7分で、終点の礦站に到着しました。ここで、ELは側線を利用して、折り返し、草埧站方向に移動します。停車時間は、5分。直ぐに折り返します。

折返しにも乗車して、草埧站に戻り、向陽線は、長いが行ける所まで、歩いてみようと、13:35、トンネルに向かいました。
トンネルには、一応歩道もあって、電灯も設置されていて、そこには非難所もありました。分岐側の出口には、おばさんが座っています。多分、トンネル番なのでしょね。
▲ 14:05、歩き始めて約30分、向陽線を歩いていくと、線路際に小さな商店があって、前のレール内に椅子を置いて、のんびりと、レール端会議の真っ最中です。

横を通ると、何処から来たと、直ぐに声をかけられ、椅子を出してくれました。次の列車は、いつ通過するのか、聞いてみますと、4時と言います。2時間近くあります。お招きに甘えて、座らせていただき、しばしの休憩です。
▲ 14:35、お話をする事約30分、突然におばさん達が椅子を持って、移動しました。すると、かなたからレールカーが、荷物車を牽引して、やってきました。不定期列車が、こんな風に走っているのでしょう。見ていると、U字型カーブを大きく曲がって、段々畑の谷の反対側を走って行きました。

14:53、再び歩き出し、U字型カーブを回りきった辺りで、空車の石炭列車が登って来るのが、見えました。急いで、菜の花畑を入れてシャッターを切りました。
先へと進みますが、ぼちぼち折返しが来る時刻です。今までロケハンをした所のモニターを見ながら、選択しますが、中々決まりません。芭石鉄道と違い、これはと思う場所にある電柱が邪魔するのが、原因です。

15:04、それでも、何とか選びましたが、貨物列車は、時刻表がないのと、近くに来るまで、走行音が聞こえないので、待つのが大変です。辛抱強く、約40分待ちました。

▲ 15:44、レールカーが、空車の荷物車を牽引して来ました。次の列車は、別の場所で撮ろうと、移動準備をしたら、1分後に石炭を満載した貨物列車が来ます。びっくりしました。
▲ 石炭列車には、貫通ブレーキがないため、2~3名程度のブレーキ係員が乗っていました。

ここでは、閉塞区間はありません。路面電車なみの、直ぐの続行です。単線ですので、交換駅での連絡は、一体どうしているのでしょうか? まあ、速度も15km/h前後で走っていますので、路面電車同様に、急な場合の停車は、問題ありません。
運転手から、17:00までに帰ってくれと、携帯電話に連絡が入りました。次は、来ないだろうと、これで、引き揚げです。16:20、約30分強で、トンネル前に着きました。

最後に老礦站16:10発の客車列車を撮ろうと分岐点で待ちました。すると、16:27向陽線から、レールカーが牽引する貨物列車が下りてきました。よく見ると、これが、地元民と話をしていた時に来た列車です。
トンネル前の分岐点で、なぜか停車します。16:28、トンネルから、新井炭鉱行きの石炭列車が、空車でやってきました。

新井炭鉱站で交換した鳥かご列車は、約20分遅れ、8両編成で満員の乗客を乗せてやってきました。丁度、下校中で家路へと、犬走りを歩く中学生と行き交いながら、下りて行きました。

トンネルを抜けて、草埧站に着くと、待っているはずのTaxiがいません。こちらのTaxiは、昼夜交代制です。支払はしていませんので、もしもの場合は、歩けば良いと思って、電話をしましたら、慌てた様子で帰ってきました。

その間に、10分遅れの16:50発の向陽行きも撮れました。3両編成でした。17:00発の老礦行きは、8両編成で準備中でしたが、発車遅れのため、撮れませんでした。
▲ 17:00発の老礦行鳥かご車両です。昼間と違って、中学生等の若年層が多い。
これから来られる方は、8:00発の向陽行きに乗車の上、車中からのロケハンをしてからをお薦めします。

運転手に楽山の繁華街での下車を依頼して、帰路につきました。楽山の繁華街は、B&Cグルメの宝庫で、地元の高校生と並んで、ファーストフードを食べて堪能しました。

楽山と言えば、世界遺産の楽山大仏が有名で、観光地です。ここでの、グルメは、ナマズ等の川魚料理を勧められますが、実はもっと美味しいものがあります。
中国各地で、B&Cグルメを探しますが、楽山は、今までで1番です。ご覧ください。
▲ 鳥料理も美味しいです。饅頭も色々とあります。
▲ 蒸し料理も犍為以上にたくさんあります。ちまきの中は、お餅です。麺も絶品です。
▲ 左下が有名な、串料理です。右下は、学生に大人気のピザ風のオープン料理です。上は、蒸し物で、これも美味しい。
▲ これも、また美味しい! ミンチ肉を中に入れて、揚げて焼きます。そして、これらは、1~6元程度です。高い魚料理は、200元以上です。皆さんは、どちらを選ばれますか?
芭石鉄道に行かれる際は、楽山にも立ち寄られて、沙湾のナローゲージと、楽山ならではの美味しいB&Cゲルメもお楽しみください。

繁華街から、自転車タクシーでホテルに向かおうとしましたが、遠いので誰も行ってくれません。タクシーも行くと帰りの客が拾えないので、乗車拒否です。
こうなれば、タクシーに乗ってから、無理やりでも行かすしかありませんでした。楽山に宿泊する際は、市内中心部をお薦めします。  Part10 へ続く

2010年 早春の中国一人旅 Part9 沙湾の沫江煤電」への2件のフィードバック

  1. いつも素晴らしい探訪記事をありがとうございます。
    最近は私も、プラスアルファの部分も楽しく読ませてもらっております。
    食も偉大な文化ですね。

    かろうじて、三井三池港務所や明延鉱山の最後の方に間に合って
    おりますが、きっとこれらの専用鉄道でも,日常風景はこんなふう
    だったのだろうと、思いを巡らせました。

    専用鉄道や貨物線、国鉄というものがあった時代は、レールひとつで
    血管のように鉄道はつながっていたものでした。
    批判ではないのですが、JRになってからの重大事故は、何か頭の中から
    概念がひとつ欠如してしまったような、そんな頭の無い巨人が歩いて
    いるように思えます。
    失礼いたしました。

  2. コメントをいただきまして、ありがとうございます。
    沫江煤電も、芭石鉄道も中国国鉄とは、つながっていない単独の鉄路です。生き残っているのが、不思議な気もします。
    今回、書きませんが、楽山市内には、もう1本、知られざる鉄路があるらしいです。ここにも、可愛い電機が走っていると、町の人は言います。現地で、路線図は、手に入れましたので、次回に、発見を求めて、挑戦します。
    また、中国に再三、SL撮影に行かれる方に聞きましたら、まだまだ、発見されずに、生き残っているナローゲージがあるだろうと、言われています。どうも、無許可の炭鉱に走っているようです。従って、刑務所内を走る”広元”のSL同様に、撮影には、ハードルがあるようです。その内に、行ってみようと思っております。

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