4月8日から4日間、1年半振りに旧満州(中国東北部)の遼寧省瀋陽、撫順、調兵山、大連を訪問したので簡単に報告する。
<撫順炭鉱の電車は絶望的>
前回訪問時は運よくジテが現れたが、今回はジテどころか2枚窓の通常見られる電車でさえ、朝出て夕方戻る1往復のみ。露天掘りの中をのぞくと運炭列車がまだ見られたが、市内電車は絶望的で、以前、ぶんしゅう氏が決死の撮影をされた留置線への立ち入りは中国人ガイドが飛び込みで交渉したが断られる。このガイド氏は中国人鉄ちゃんでノート型パソコンに収めた作品を自慢げに見せてくれる。彼が言うには運炭列車は撫順駅国鉄線に向かう列車が集約する東崗駅付近がかなりの本数を稼げる場所とのこと。実際彼の言う通り頻繁にやってきた。
<減っていた鉄媒集団の蒸機>
調兵山は瀋陽から北へ車で約2時間の所にある。上遊型蒸機は1771のみ稼動。翌日、機務段(機関区)では1770が検査中で、午後から稼動したので2両を見たのみである。また、以前イベント等で稼動していた1943年アメリカのリマ社製KD6-487は香港の映画に出演するとかで動かすことはできないが、蒸気をあげた状態でいた。翌9日は朝から雪化粧で久し振りに蒸機牽引客車列車撮影を楽しんだ。調兵山近郊は炭鉱地帯でボタ山があり、複線もあり、線路配置が複雑であることは、かつての九州筑豊地方を思い出させてくれる。
<哀れなパシナを見る>
大連では日本製の市電は健在である。低床式の欧州スタイル新型車よりずっと数多く見られた。今回はその写真は割愛する。さて、最後の11日は満鉄(南満州鉄道株式会社)大連の扇形庫に残るアジア号牽引機パシナ757を見学した。庫から顔を出した状態で、ほこりだらけで運転室はゴミだめのような感じ。2メートルの大動輪もグリスが固まってしまっており、全体撮影は到底無理。かつてアカシアの大連から奉天(瀋陽)、新京(長春)と満州の平原を表定速度82.5Km/h、最高速度130Km/hで駆け抜けた機関車にしては寂しいものを感じた。アジア号は後にハルビンまで延長された。黒龍江省出身のガイド氏によるとパシナはここの他に瀋陽と黒龍江省の黒河と言う所に残っているとのこと。瀋陽のパシナは98年に瀋陽郊外の蘇家屯の陳列館で撮影したことがあるのがそれで、屋外のため、風雨にさらされてこれも惨めな状態であったが、全体が見えるので参考にのせてみた。
<最後に>
満鉄と言えば星名秦先生を思い出す。京都帝国大学を卒業後、満鉄の技術者となる。戦後、同志社大学工学部教授となり、学長になられた。星名先生が有名なのは京大時代から卓越したラグビーの選手であり、指導者であったことである。同志社に来られてからは同志社ラグビーを育てられ、岡仁詩元監督は教え子であった。関東の早慶明を相手に三連覇したのはもう遠い昔のことである。最近の同志社ラグビーの体たらくは岡仁詩先生とともに嘆いておられることと思う。その星名先生は小生の記憶では、同志社大学鉄道同好会の顧問か相談役になられていた。当時の青信号の会員名簿の最初にお名前を拝見したような記憶がある。このあたりの事情をDRFC生みの親(本人はそうでないと否定されるが)であり、、育ての親である元電車少年さんにご教示いただければ幸いである。
準特急様、
お帰りなさい。成果があったようですね。
それにもまして掲示板への投稿の腕が格段と上達しましたね。特に写真の扱いがすばらしい。これからは投稿を楽しみに待っています。
今も電車少年から返事をさせて頂く。
同好会としてスタートすることになったのは良いとして、毎水曜日C.H.<つまり3,4講時は彰栄館のチャペルアワーであり>、その時間帯にクラブ活動をする場合は学友会活動の一員である必要があった。そこで旦那が動いた。部外団体の登録を学友会に申請、認められた。部外団体には顧問が必要。この時は高橋正雄君が星名ゼミの一員。先生の署名と捺印を頂いてきた。例会で星名先生のお話を拝聴したことがあるが、中味は忘れてしまった。「鉄」向きの内容ではなかったとおもう。
毎日、必ず、中には1日2~3回デジ青を見た後に寝床に入るのが日課の方も居られるようで、アクセス数も日本の借金と同じ様にすごいスピードで増えているのを実感します。
そうそう、有名出版社の方もご覧になっておられるので緊張しております。
米手作市様
お褒めのコメントに恐縮しております。デジ青投稿は米手様、総本家様のご指導の賜物です。しかし、例の写真拡大は縮小専用のソフトをロギング太郎様に教えてもらってやりましたが駄目でした。これは諦めています。また、今までのリバーサルフィルムはDVD化し始めていますが、やはり、発色とピントはデジカメにはかなわないようです。アホは褒められると調子に乗るのでそのうちまた、登場させてもらいます。
今も電車少年様
今日で3連勝と思ってデジ青投稿後テレビ観戦していたら、坂本の逆転満塁ホームラン。
しょうがないなと思いながらテレビやめてデジ青再チェック。
早速の回答を有り難うございます。
DRFC黎明期のご苦労がよくわかりました。電車少年様にはパシナよりも金剛山電鉄の方が興味がおありかもしれませんね。次回にはまた、国内の電車の拙写を用意いたします。
準特急さん、国内外を問わず電車を広く紹介お願いします。
コメントは登録すればだれでも簡単に登場できます。
その手法は米手作市さんをはじめととした介護士さんにお聞き合わせください。
行きずりの方でも参入しているぐらいです。
新規投稿は時にして拒否することがあります。
基本的にはクローバー会の会員なら誰でも参入出来ます。
ワープロ作業しか出来ない老人でも指1本で参加しています。
さあ新人さん、やってみよう!
前日から、北陸方面へ桜前線へのスタンバイを続けている私です。毎朝4時起床ですが、今日も現地は雨模様で、動けません。
撫順の電車は、やはり復活は、無理なんですね。ただ、2009年閉鎖と言われていた炭鉱が、まだ稼動しているとは知りませんでした。ここの上遊型は、どうなったんでしょうか。
調兵山の上遊型は、12月に行った時は、春には、4両復活と言っていましたが、
まだ、2両のみの稼働ですか。でも、大明の築堤で撮影できたのは、良かったですね。大千へは、蒸気の運行はありませんでしたか?いつも、教会を前景に撮りたいと思っているのですが、天候に邪魔されます。
パシナは、以前には。観光列車としての運用がありましたのに、これでは、もう大連~撫順間を走行するのは、難しそうですね。黒龍江省の黒河にいるとは、初めて知りました。瀋陽も今、見えない状況ですので、満州の早春時期の5月末頃でも、行ってみることにします。
ぶんしゅう様
小生の連絡不徹底で僅かの差で同行していただけず残念でした。今回の我々旅行団のリーダーS氏とはED71やクモハ52を一緒に撮り歩き、ヨーロッパやインドネシアにも共に行った仲です。彼はまだ喪中にもかかわらず遼寧省大連、瀋陽を3月、4月と連続訪問した猛者です。その彼が、是非、「ぶんしゅうさんに声をかけろ」と言ってましたが、デジ青を見たのか次はバシャク(漢字忘れました)鉄道とわめいていました。また、KH生さんのコメントにもありますが、あの懐かしい感じのする風景と電車か電機には興味がひかれますね。ぶんしゅうさんのこれだけの中国詣で既に日本人の中国鉄仲間では有名人の存在になっていますよ。KD-6を検索するとデジ青のぶんしゅう旅日記が出てきます。
ご質問の鉄媒の上遊ですが、路線が四方八方に出ていてもぶんしゅうさんご存知のとおり何れも短いので、1両でも稼動してくれれば、結構撮れますね。観光用に残しているような感じがします。また、王千は前回もそうでしたが、蒸機運転体験をさせる区間のようです。列車に乗ればたったの1元=14円。それが、体験運転一人12千円。しばらく上遊を残すのではないでしょうか。当日の王千行きはディーゼル機牽引列車、手前の暁南行きが蒸機牽引列車で折返しの間に運転体験させているようです。
ところで、パシナが運転されたことがあるとのですが、いつごろだったのでしょうか。今の旧満鉄線はスマートな電機牽引の客車列車と貨物が複線区間を頻繁に往来しており、それらを一度キャッチしたいと思っています。ただ、どこに行っても線路の両サイドに立ち入り禁止の金網の柵ができたようでどこからか俯瞰するしかないようです。それに疑いかけられて死刑にでもなったらえらいことです。
それでは4時起きなど無理せずにゆっくり、のんびりとやってください。
ぶんしゅう様
ぶんしゅうファンのS氏から黒河に保存されているのは蒸機パシナでなくアジア号の展望車でないかとのご指摘がありました。多少もうろくが進んできたので小生の聴き間違いだったと思います。黒龍江省出身のガイド氏の言うことですから多分間違いないと思いますが、次回この方面に行かれて発見されたら報告して下さい。アジア号の展望車と言えば、流線型スタイルで冷暖房完備の豪華な客車ですね。よくロシア人女性がのった写真を見たことがありますが、小生自身アジア号展望車の保存情報にでくわしたことがありません。是非、探して発表してください。ただ黒河と言う所は地図で見ると随分遠いところで北緯50度のロシアとの国境の黒龍江沿いですね。