先日の準特急様が投稿された「ホームカミングデー前後のこと」とそれに対する1900生様のコメント、私も加わりたかったのですがちょっと留守をした間に機会を逸してしまいました。この辺りは自宅からも歩いて行ける範囲で、散歩がてらカメラをぶら下げて勾配標を追いかけて浜大津から大谷まで歩いてみました。
↑ B地点。最急勾配、上栄町側の標識、道路から見下ろすところにある。
浜大津の駅を出た電車は左にカーブを取って併用軌道に入りいきなり勾配が始まります。この部分は道路の真ん中を走っているため勾配標がありませんが、この部分もかなりの勾配があります。併用軌道を離れ、上栄町駅を出ると40‰の勾配とカーブが続き、161号線の踏切近くに40‰の勾配標があります。旧上関寺駅を通り過ぎて国道をくぐったところが問題の最急勾配で1900生様のご指摘の通り、国道側に61‰の勾配標があります。ここから距離にして100mあまりが61‰の勾配区間、大谷側の標識は国道と同じ高さにあるため、電車と一緒の写真を撮ることができますが、柵があって少し撮りにくい角度となります。その先も緩くなるものの40‰前後の勾配が続きトンネルをくぐると大谷の駅になります。
京津線の写真は浜大津の駅出たところ、併用軌道がポイントのようで、最近は必ずカメラを構えた人を見かけますが、上栄町から家や神社の門前をかすめて大谷に至るこの区間も私は気に入っています。このあたりには旧逢坂山隧道など鉄道遺跡もいくつかあり、当地においでの折はぜひお声掛けください。ご案内いたします。
↑ A地点。旧上関寺駅。この反対側上栄町寄りにも40‰の標識がある
↑ B地点。標識から大谷方面の勾配を見る
↑ C地点。大谷側の標識
↑ D地点。40‰の勾配が続く
↑ E地点。トンネルを出たところ、カーブの向こうが大谷駅
↑ よく写真に出てくる大谷駅のベンチ
大津の86様
地元とはいえ早速の調査有難うございます。確かに京津線は浜大津駅界隈、旧蹴上駅界隈、旧三条駅界隈での撮影が多かったですが、大谷付近でも一度撮影したような記憶があります。ところで上関寺という駅はなくなったのでしょうか。駅の廃止というのは一般的には簡単に行かないことが多いと思いますがどういう事情があったのでしょうか。この付近は鉄道遺跡も多いとのことですが以前大津の86さんには日吉大社等々名所旧跡を案内していただきましたが、こうなったら次回も甘えたいなと思っております。
大津の86さま
現地調査までして頂き有難うございました。61‰でしたか。いつの間にか蹴上横の66.7‰と混同していました。仰るように浜大津~上栄町間の併用軌道区間は勾配標がありませんが、最急勾配は40‰程度だったはずです。おおまかには四宮以東はほぼ40‰と思ってもらっていいと思います。
準特急さま
上関寺駅の廃止は昭和46年でした。朧げな記憶では本線特急全3000系化と15分ヘッド化に関連した大津線のダイヤ改正に伴って廃止されたものです。それ以前の京津線は260型の急行と80型の普通が20分おきに運転(ゆえにほぼ10分ヘッド)されていましたが、15分ヘッド化に伴い山科以東が各駅停車になる260型準急のみになり、260型の運転性能や利用客減少により廃止されたと聞きました。また上下ホーム間に通行量の多い国道1号線の踏切があり、安全のため踏切警士を置いていたこともあって、人員削減の合理化の中での廃止のようでした。
この踏切脇には元東海道線のレンガ造りの橋台や、86さまのご案内にもあった旧逢坂山トンネルもありますから、当地にお見えの際には86さま共々ご案内させて頂きたいと思います。
1900生様
上関寺駅廃止の件並びに少し前ですが勾配の計算方法についてご教示いただき有難うございます。ご案内いただけるなら1900生さんとは湖西線に行って以来と思います。お互いに下戸ですが、86さんを入れて酒と焼き鳥ではなくお茶と羊羹でやりましょう。ホムカミよりも先に実現したいと思います。
準特急様、1900生様
コメントいただきありがとうございました。わざわざの現地調査と言っていただきましたが、実は先週の土曜日、地元の団体が計画した「大津に鉄道がやってきたころ」という大津駅周辺の鉄道遺跡を巡るイベントに参加してきまして、そのついでに歩いてきたものです。
上関寺駅はその当時自宅から一番近い京津線の駅で、通っていた小学校の遠足で京都の動物園に行くときには上関寺から団体乗車しました。1900生さまご指摘の通り昭和46年8月に廃止になりましたが、もともと利用客が少なく、隣の上栄町駅とは0.7㎞ほどしか離れていなくてそんなに反対運動はなかったようで、いつの間にか気が付いたらなくなっていたという感じでした。昭和40年代京津線は2両編成の急行と1両の普通が交互に走っていて、急行は上栄町を出ると四宮まで停まらず、上関寺に停車するのは単行の普通電車だけでしたが、昭和46年8月の改正で単行の普通列車がなくなり、全列車2両編成となりました。上関寺のホームのあったところは今も変わっておらず、特に京都行はこんなところにホームがあったのかと思うようなスペースしか空いていなくて、2両が停まるだけの有効長がなかったのかもしれません。
先週参加したイベントで訪れた鉄道遺跡はよく知られたものばかりでしたが、1つだけ知らないものがありました。これも含めてぜひ案内させていただきたいと思います。
上関寺が最寄り駅でしたか。駅の想い出や廃止前後の詳しいお話を有難うございました。各停の80型は単車でした。この浜大津単車各停運用が無くなってから順次2両化が進んでいきました。
前信で書き忘れていましたが、確か2両分のホームを確保できなかったことも理由の一つでした。
この頃の大谷駅付近の映像も8mmで残っています。また機会をみてお目にかけましょう。