秋の北海道 鉄道ひとり旅 【3】

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デジ青投稿をちょっと留守にしている間に、JR北海道の危機的な事態が現実のものとなって来ました。最悪の175億円の赤字決算になる見通しのJR北海道は、過日、「単独では維持困難な路線」として、10路線13区間のリストを公表しました。営業距離にして1200キロ余り、実に同社の全路線の約半分に相当します。リストのなかには、宗谷線、石北線、根室線(一部)という、特急も走っている本線クラスの路線も含まれて、JR北海道の深刻な現状を伺い知ることができます。また札沼線の北海道医療大学~新十津川、根室線の富良野~新得、留萌線の深川~留萌の3区間は、廃止を前提に沿線自治体と協議する方向で検討中だと言います。かねてから、「維持困難な路線」は取沙汰されていましたが、留萌線の留萌~増毛が、明後日には廃止されるタイミングでの公式発表となりました。

「維持困難な路線」の代表、札沼線の終点、新十津川に到着の“朝の最終列車”


a61010-474sy_edited-1函館本線の桑園から分岐する札沼線は、新十津川でポツンと途切れている。かつては留萌線の石狩沼田まで結んでいたが、昭和47年6月に廃止されて以来、終点となった。札沼線は、北海道医療大学までは札幌の近郊区間として乗降も多く、電化されてフリークエントサービスが行われている。沿線には新設大学も多く立地して、学園都市線の愛称が付けられた。
しかし、それも電化した北海道医療大学までのこと、以降は非電化となり、列車本数も激減する。北海道医療大学~浦臼は区間列車も含めて、まだ7往復あるが、浦臼~新十津川13.8キロは、以前は1日3往復が札幌まで直通していたが、今年の3月改正からは、朝の一日1往復のみの運転となり、“日本一早い最終列車”と揶揄されることとなった。
今まで紹介した留萌線、夕張支線のように廃止が決定したわけではないが、今回の声明のように、そのつぎの廃止候補となることは目に見えている。
a61010-403sya61010-463sy札沼線の非電化区間、北海道医療大学~新十津川のなかで、交換可能なのは石狩月形のみ。ここは、まだ7往復区間なので、交換シーンが見られる。右が新十津川へ向かう5425D列車。キハ40形400番台で、札沼線の石狩当別以北の専用車で、動力はキハ40系では最強のものに換装されている。

a61010-456sy9時28分、新十津川に到着した5425D、9時40分に折り返して行く。この列車が最終列車で、翌日までに列車は無く、駅は12分間だけの賑わいを見せる。

a61010-492sy好ましい木造駅舎、原野の中にただ一つ、と思いきや、駅前には大きな病院や集合住宅、近くには新十津川町の庁舎もあって、町の中心部に位置している。

昭和6年、中徳富駅として開業して以来、85年を迎えた新十津川駅。一日一往復の時刻表。
a61010-480sy“学園都市線”の愛称は、この終点まで同じように駅名標に示されている。平成9年には読みが「しんとつがわ」から、本家の奈良県の十津川村に合わせて、「しんとつかわ」に変更されている。
a61010-458sy昭和47年3月まで、さらに石狩沼田まで延びていた。私も廃止の直前に石狩沼田から札沼線を乗り通したことがあるが、夜間で眠りこけていたようで、その記憶は全く残っていない。
新十津川の由来は、奈良県十津川の人々が開拓したことにより、明治23年に北海道植民区画の第一号として新十津川村ができたと言う。現在でも人口7500人を擁しする新十津川町であり、駅付近も前記のように生活感のある街並みがあって、秘境感は全くない。
人が居ても居なくても、クルマ中心の生活なら、鉄道が見向きもされないのは、前回の留萌線でも感じたとおりだ。しかも、新十津川は、石狩川を挟んで、函館本線滝川駅と接近しており、バス・函館線で札幌へも速達することができる。私も事前に1900生さんに教えてもらったバスに乗って、滝川へワープすることができた。途中には住宅団地もあって、各停留所から乗降があり、終点に着く頃には、立ち客が出るという北海道には珍しい光景に出会った。新十津川周辺だけが時間が止まったように、静かにたたずんでいた。

新十津川名物、空知中央病院内保育所の園児たちによる、“歓迎・見送り”。列車が到着すると手作りの乗車記念カードを下車客へプレゼント、発車の際は“バイバイ”で、列車が見えなくなるまで手を振ってくれる。

つぎに車中から1日1往復区間の浦臼~新十津川の途中駅を見てみよう。

【1】 浦臼 浦臼町の中心にあり、かつては交換設備もあり、札沼線の中枢駅として、折り返し列車も多かった。今でも一日平均乗降数が22人で、付近ではダントツに多い。

【2】 鶴沼 ここからホーム一面の駅が続く。車窓には田畑、牧草地が続く。一日平均乗降数はゼロ。

【3】 於札内 ホーム一面のみ、一日平均乗降数はゼロ。

【4】 南下徳富 付近にはわずかな集落も。しかし一日平均乗降数はゼロ。

【5】 下徳富 昭和51年まで交換設備もあった。閉鎖された駅舎も残っている。ここも一日平均乗降数はゼロ。なお、つぎの新十津川との間には平成18年まで中徳富駅があった。

 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【3】」への2件のフィードバック

  1. 「祝 新十津川駅開業85周年」の垂れ幕がひときわ侘しく感じられますね。1往復のみを残すという、鉄路の存在を自ら否定するような今回の措置は何を目的としたものか、むしろ疑問に感じます。いっそ浦臼から先の廃止ならとも思いますが、江差、増毛と続いてはさすがに気がひけたのかもしれません。しかし路線の半分近くが廃止候補とは、なにやら国鉄の末期症状の再来ですね。やはり人口が無いとやってはゆけないのでしょう。
    現在のJR北海道の危機的状況の大半は北海道の人口減少による部分が大きいといえます。これは経営基金の積み増しで凌ごうとしたJR民営化の問題点とともに、想定外の出来事だったと思われますが、いっぽうでもとより鉄道の基本である安全確保を怠たった会社の責任も重いと言わざるを得ません。現に似たような状況下にある四国では、苦しいながらも電化・高速化を進めてなんとか持ちこたえています。
    とはいえ留意すべきは冬季の除雪費用でしょう。これは他社にはない出費かもしれません。しかし今後は豪雨や台風被害が大きくなると思われ、本島3社以外は益々立ち行かなくなる恐れは充分に考えられます。
    表向きの「単独で維持不可」という意味がよくわかりませんが、そんな意味不明なことをいってないで、JR民営化の再評価・再構築をすべき時期にきているのではと思うことしきりですね。例えば上下分離などですが。
    ところでキハ40の400番台は元急行宗谷・天北用改造車の再改造車ですね。急行用に大出力エンジンに積み替えてそのまま転用されているのですね。

  2. 1900生さま
    新十津川のバス接続を以前にご教示いただき、ありがとうございました。でも、その時は一瞬青ざめたことがありました。駅から左手に行くとコンビニがあり、その前にバス停がありました。時刻表を見ると、2分ほど前に出たばかり、慌ててコンビニに駆け込み、店主に聞くと、まだ待っているとの返事。よ~く見ると、向かいの町役場の前に、時間調整で止まっているバスを見つけました。間に緑地帯があって、パッと見には気が付かず、もう少しで乗り遅れるところでした。
    さて、北海道の鉄道に乗って感じるのは、駅も車内も街も、札幌以外は、ホントに人が居なくて、なんと活気がないところだと改めて思いました。お書きの人口減少は、北海道は特に深刻です。とくに輸送の中心となる高校生などの若年層の減少は深刻でしょう。ただ最近は、高校生でも、親のクルマでの送り迎えが常態化しているようです。高校生の輸送するためには、少なくとも1日3本が必要です。朝の登校に合わせた一本、下校時は遅くなることも考えての2本です。新十津川が1日1往復になったのは、もう高校生の通学が無くなったと判断したのか、あるいはJR自らが通学輸送を切ったのか、とにかく最低限の維持しか行わないことの表れが、1日1往復だった気がします。国鉄民営化は、JR北海道に限って言えば、完全な見誤りでした。

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