秋の北海道 鉄道ひとり旅 【4】

asy61010-152北海道へ渡った理由がもうひとつありました。函館本線長万部~倶知安~小樽、通称“ヤマ線”に乗車することです。40数年前、C62重連を追い掛けた思い出の地を、一人だけでしんみり乗車したかったのでした。そのヤマ線の入り口となる長万部は、乗り換え、機関区訪問、食事、はたまたステーションホテルとして、ずいぶんお世話になりました。以降、観光旅行の途中で通過することはあっても、下車したことはなく、その変貌ぶりは聞いていたものの、この眼で確かめたかったのです。

長万部駅に進入するキハ40、いま長万部に発着する普通列車はすべて単行

a61103-063sy_edited-1長万部で前補機のC62がついて、“ヤマ線”に猛然と挑む。根雪も溶けて、この年、初めてと思われる雨が降り続いていた(昭和46年3月)。

われわれ世代が訪れた長万部は、C62重連が走り出す“ヤマ線”のスタート地点として、また函館本線と室蘭本線の分岐駅として、煙と人が渦巻いた、存在感のある駅だった。上り「ていね」(のちの「ニセコ」)を牽いたC62前補機は、下りの前補機を務めるまでの数時間しばしの休息を取る。

長万部の歴史をたどると、明治36年に北海道鉄道の長万部駅が開業、黒松内機関庫長万部分庫が新設されたのが昭和3年という。昭和7年に長万部機関区として独立した。訪れた際、機関区に配置されていたのは、9600、C11、D51と格別興味の湧くようなカマではなかったが、前記のようにC62、室蘭本線の旅客を牽くC55・C57、貨物を牽くD52が顔を合わせ、バラエティに富んだ機関車と出会えることができた。

昭和45年当時、長万部町の人口は13000人あって、多くの国鉄職員も住んで、鉄道のまちを形成していた。それが、今では5600人まで減少している。鉄道従事者もほとんど皆無に近くなっているのだろう。
asy61010-148函館から普通列車の一人旅を楽しんで、40数年ぶりに長万部駅に降り立った。あれほどいた蒸機の賑わいは幻のように消え、だだっ広い構内には3両のDCがポツンポツンといるだけだった。
asy61010-190顔を合わすDC、函館方へは右のキハ40単行(キハ401813)、倶知安方、室蘭方へは左のキハ150単行(キハ150-13)となる。
asy61010-170構内には面影はなかったが、駅舎だけは昔のままだった。JR北海道のキャラクター、大谷翔平の広告があるのが2016年の長万部らしい。

広告塔に「東京理科大学のまちへ」とある。人口減少対策として、基礎工学部の一回生だけが全寮制で学んでいるという。▲▲しかし、駅前の街並みはご覧のとおり。完全なシャッター通りと化している。

北海道新幹線の広告だけがヤケに目立った。▲▲タクシー業を営む、おしゃまんべ交通も健在、C62の追っ掛けによく利用された。
asy61010-160構内を横断する陸橋から駅構内を望む。2面4線のホーム構造も変わっていないが、ホームに人影がほとんど見えない。駅構内とは思えないような静けさが支配していた。

構内右手の機関区跡地は更地になっていて、将来の北海道新幹線の新駅用地として確保されている。▲▲陸橋から反対側を望むと、唯一の基地として保線車両を収容する建屋があった。
asy61010-186a61103-001sy【長万部今昔①】4番ホームに停車する倶知安行きのキハ150-3、当時は、渡道第一日目の長万部駅でC55のトップナンバー機に遭遇し大喜びだった(昭和43年8月)

 

 

 

asy61010-157a61103-021sy【長万部今昔②】構内に残る照明塔、構内を明々と照らしていた高い照明塔もまだ健在だった。当時の写真は、その前を到着するC57168の牽く室蘭本線の列車(昭和43年9月)。

 

 

 

asyp1130558a61103-073sy【長万部今昔③】駅待合室から1・2ホームを望む。駅本屋側にホームはなく、跨線橋を渡って島式ホームへ向かう構造も変わっていない。待合室は夜間も開いていて、ほかの駅ほど同業者は多くなく、快適なステホだった(昭和46年3月)。

2 thoughts on “ 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【4】

  1. 総本家青信号特派員様
    北海道の近況報告有難うございます。乗り鉄ではありませんが、道内だけは全線乗りつぶしましたので紅葉山も新十津川も懐かしく拝見、拝読させていただきました。また、それぞれ過疎の様子がよくわかりました。当時の長万部は拠点の駅で浜松とか米原くらいの位置づけで見ておりました。今では本線とは名のみで普通列車は単行ばかりというのも恐ろしいものですね。石炭産業やニシン漁も遠い昔のことになりましたし、北海道は札幌一点集中でどこもかしこも人がいないとなるとあとはどうなることか心配です。でも、機関区は別として長万部の駅ホームと線路の位置だけは昔のままの様でしてC62重連が左にC57室蘭線が右に出て行ったその感じも残っているようで他の大きな駅のような線路ごとほとんどなくなっているようなみじめな感じは救われているようですね。

  2. 準特急さま
    コメント、ありがとうございました。投稿ラッシュが続き、昨日の投稿がもう「次のページ」になってしまい、準特急さんのコメントも見落とすところでした。昨今の投稿ラッシュは、HCDほかで、投稿を促す檄を飛ばされた準特急の賜物です。
    さて、北海道の変貌ぶりは、お書きの通りですが、たしかに、長万部でも、左へカーブする函館本線、まっすぐ伸びて行く室蘭本線と、線路の位置関係は変わらず、その場に立つと、当時の感慨がよみがえって来ました。

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