カラーで振り返る 昭和の気動車 -4-

キハ55系
キハ55系は、昭和31年から造られた、当時の準急用気動車です。同年10月から上野~日光の座席指定の準急「日光」でデビューしました。それまでのキハ17(当時キハ45000)と比べると、幅・高さとも大きくなり、客車と同じ車内設備の第一号DCとなり、翌年からは量産車が登場します。なお当時はキハ44800形で、昭和32年4月に形式称号の改正で、機関2台、車体幅2.8mの区分によりキハ55となりました。基幹形式のキハ55のほか、キロ25、キロハ25、キハ26、キハ60、キロ60を加えた6形式からなるグループで、最終的に、キハ55系は昭和36年までに総勢489両が製造されました。

全国の非電化区間の準急として活躍したキハ55系ですが、その後に、急行型キハ58系が誕生すると、優等列車の主力の座を追われ、冷房化改造も見送られたため、昭和40年代は、むしろローカル線の普通列車で、一般型気動車とともに混成された形式と言う印象の強いキハ55です。

   ▲舞鶴線真倉付近を行く、すべてキハ55系で編成された普通列車。


いまはキハ120の天下の関西本線笠置でもキハ55系が見られた。

当初のキハ55系は窓周りの赤が側面・前面に連続する独自の塗色で、前面窓の下部ラインに小さなV字があったり独自の塗色だったが、のちにキハ58系と同様のデザインに変更されている。キハ55系は、その後に郵便・荷物車に改造されたものも含めて、晩年には朱色一色塗装になったものもある。昭和62年までに全車廃車となり、JRに継承されることなく、最後を迎えた。

なおキハ55系は、私鉄への払下げ車は存在しないが、私鉄独自の新造例が南海電鉄と島原鉄道にあった。どちらも国鉄の準急との併結を目的に造られた。
南海では、戦後まもなく自社発注の国鉄型客車サハ4801を造り、紀勢西線へ直通運転をしていた。昭和34年に紀勢本線が全通すると、新設の気動車準急に併結して南紀方面へ直通運転のため、自社発注車として、片運のキハ5501、5502、両運のキハ5551を新造した。基本的に国鉄キハ55形100番台と共通設計で、その後、増備され、全部で9両となった。難波発着の「きのくに」として、座席指定車の2~3両編成で単独運転され、東和歌山(現・和歌山)からは天王寺発着の「きのくに」に併結されて白浜、新宮まで運転された。
昭和60年3月改正で、「きのくに」が電車特急「くろしお」に格上げされたため併結の相手が無くなり、難波発着の「きのくに」を廃止された。

 

 カラーで振り返る 昭和の気動車 -4-」への4件のフィードバック

  1. 聡本家青信号特派員様

    キハ55は当初大変上品な黄色で、窓下に赤帯を巻いていましたね。
    準急『はまゆう』の出発式が京都駅で有り、ホームから線路にまで降りて懸命に撮影したのが思い出されます。
    当時はカラ―フイルムは未だ未だで、折角の黄色を残せなかったのが心残りです。
    車体塗装はその後貴殿の写真の通り2色塗りになりましたが、個人的には何か『暑苦しい色やなあ』と思った記憶があります。

    • 残念ながら準急の黄色は,乗車,実見共に有りません.幼少時に有ったかもしれないけれども,記憶には無いです.が,羽越本線の急行羽越の,全車キハ55系の編成に乗車.秋田駅⇨新潟駅の全区間,先頭のキハ26形への乗車が,鮮明に記憶に有ります.父親の撮影したカラースライドが有るので,記憶違いは無いです.他にも京都府,九州豊肥本線,指宿枕崎線,姫新線,芸備線,北海道函館本線(全種類が最低1両は苗穂に国鉄の最後まで在籍.58系の56,27,ロ26と共に急行に運用.北海道は58系も非冷房で,見劣りせず)で,乗車しました.父親が国鉄↝JR(E)の職員でしたので,国内の鉄道旅行にピーク外れに年1で行きました.

  2. 小学校の夏休み,親からもらっておいた国鉄の家族割引券を使用,内緒で東京を午前中に出発.夕↝夜帰るだけは伝え,一路大阪,和歌山へ.此の年の秋にポンコツにされるらしいと聞いた,車輌の乗車と撮影に.同じ時同じ処でキハ81形が最後を迎えたが,気付けず撮影しなかった残念です.但し,目的の乗車と,撮影は実施.一目散に帰宅に.目的の車輌はキハユニ16形.天王寺駅から和歌山駅迄乗車.後で知ったが,本来は客室は回送らしいです.が,おばさんが普通にドアを開けて(開けるのは手動)乗って行ったし,続いて乗車した後でも,大勢のお客が乗車.和歌山駅で此の車は外すので降りて下さい!って言われただけで,国鉄からは,おとがめなしでした.自分は,国鉄家族割引で,急行券は不要でしたが,他のお客は,キハユニ16形に急行券を持って乗車して居るので,混んで居て,同じく自由席は非冷房だったので,キハ58系で立って行くよりキハユニ16形に座った方が良いのでは?座れれば同じ非冷房車輌です.キハユニ16形も座れましたが混んで居ます.先頭の端っこで無ければ,もっと混んで居たかもしれない?と思いました.黙認に感謝します.

  3. もう1日,同じ様に今度は撮影.阪和線の沿線で,天王寺駅行きと椿行きで,1往復を撮影して,一目散に帰宅しました.が,実は撮影が先に来て居ました.父親の白黒写真を見て,此を見たい!と思って居た処,今年の夏で最後になると見聞きして,急いで来たのです.乗れないよと聞いて居たけれども,目の前を通過した車輌は,乗客が大勢?(本来の編成よりは少)居る.じゃ!もう1回来て,急行に乗ろう!と来たのです.おかしな点は有ったが,乗った事に満足して,後から思うと,幌が繋いで無い.編成に往き来出来ない.でも,どうせ移動しないからと.代替わりでキユニ28形になった時に,幌が繋いで無いのが確認.やっぱりキハユニ16形の客室は回送?らしいのです.でも,地元客中心に,乗って居ますよ大勢.

河 昭一郎 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください