こんなん、やってます。「帰るそなたの丹波市~JR桜井線の120年」展 奈良天理市

 新聞にJR桜井線が京終・桜井間が開業して120年になるので天理市で展覧会が行われているので、昨日(2月17日)行ってきました。展覧会の題名が「帰るそなたの・・・」が天理らしいです。「丹波市」は「たんばいち」と読みます。兵庫県東北部にある丹波市(たんばし)とは違います。ややこしいい。ではどんな展覧会かといいますと、

展覧会のパンフレット 賑わっていた頃の丹波市駅の写真が

上のパンフレットでご覧のような2月25日までの展覧会です。最終日の25日には午後2時から午後4時30分まで文化財講演会があります。「天理の近代化と桜井線」そして古墳と遺跡の調査報告です。興味のある方は行かれたらいかがでしょうか。

 展示品の撮影はできません。時刻表や丹波市駅のホーローの駅名標があり、天理教団体列車でにぎわったころのダイヤグラムもありました。天理駅の奈良側にある広い客車ヤードが必要なことがよくわかります。しかし、今は団臨もなくヤードの広さだけが目立っています。この展覧会で知ったことがあります。橋台の煉瓦積みですが焼き過ぎた黒っぽいレンガとそうでないレンガをうまく装飾的に積んだものをポリクロミーというそうです。そのような煉瓦積みした橋台が櫟本駅から奈良側にあり、また帯解駅北側の橋梁と橋台は開業当初のものである可能性があるということです。ビックリしたことがもう1つありました。「急行紀ノ川」の乗車位置表示が天理駅にあると展示とパンフレットに書いてありました。これで帰りは天理駅から奈良へと決まりました。

天理市内の各駅とその歴史が写真で説明されている。大変参考になる。

 来るときは王寺から田原本経由です。ちょっとマイナーな路線ですが、意外と便利なものです。その前に準特急さんと井原さんの真似をして保存蒸機と客車廃車体の写真を撮ることに。

ライトアップのLEDが取り付けられている。正面にはイルミネーション鹿が

客車にもイルミネーションのLEDが

横着ですが保存車両の解説板を

 そして、JR天理駅へ向かうことにしました。ホーム上は吹きっさらしで寒い。どこに紀ノ川号ののりば表示があるか探しました。ホーム中央あたりに高架駅であるので桜井方面ホームの線路向かい側壁にありました。

はっきりと「急行 紀ノ川号 のりば ①」と読める。

こんなものが残っているとは思いもよらぬことですが、古いものがたくさん残っている奈良では珍しいことではないのかもしれません。まだ見るところがあったのですが、今回はこれぐらいにして日を改めて探索してみようと思っています。

 次におまけであります。40年ほど前ですか。京都の南の方に超弱小鉄道がありましたが、経営難で自社製造していた車両を手放すことになったのであります。それで私に無償譲渡されたのですが運行させる予定もなく、そのままでした。(ただし片側だけウインドウシルとヘッダーがなかったが、後で取り付けた。)どうも荷物車のようです。荷物を運ぶ車両が必要になったので何とか復活させたいのですが・・・ところでこれはいったい何者?

これでおしまい

 

 

こんなん、やってます。「帰るそなたの丹波市~JR桜井線の120年」展 奈良天理市」への13件のフィードバック

  1. どですかでん様
    おまけで登場した荷物車に見覚えがあります。多分ぷるぷるさんの作品ではないかと思います。17m電車の戦災復旧車でスニ75あたりではないかと思われますが、この世界は井原様のご登場を待つことにして、「窓も少なく片デッキなので一晩で作れるわ」などと話したように思います。あるいは私が作ったのかもしれませんが、それなら手元に図面が残っているはずですが、探しても見つからないのでやはりぷるぷるさんでしょう。貴重なお宝映像をありがとうございました。

    • 超弱小鉄道とは失礼いたしました。ぷるぷるさんの作品ですか。大事にしないといけませんね。ところでスニ75で検索すると車両の写真がでてきて比較してみますと窓の配置が違っていました。スニ70であれば窓の配置がぴったりでした。そうするとスニ70ではないかと思います。たぶん間違いありません。ところでデッキのドアが左側に見た側面にウインドウシルとヘッダーが取り付けられていませんでした。本文にもあるように私が取り付けました。ぷるぷるさんが一晩で作った為に取付を忘れたのでしょうか。「一晩で作れるわ」とか「そんなん口笛吹きながらできるわ」とか面白い人が多かったですね。ぷるぷるさんもそのうちのひとりでした。京福デオ300を3年がかりで作ったのですから。見せてもらいましたがそれはよくできていました。

      • この怪しい人の怪しい客車はオニ70形式で、計画時にスニ70と称していました。オニ70 1~8の8両があり、1~7が戦災を受けた客車からの復旧、8が電車からの復旧です。さて何番をモデルにしたのかですが、1~3は丸屋根なので4~8のどれかです。4~8は、川崎重工で昭和22年11月~23年2月に落成しましたので、恐らくよく似た形態だろうと思われます。4の写真は発見されていないようですので、ここでは除外することにします。手がかりとして、まずアンチクライマーが無ければ8で確定、有った場合水切りの有無・形状からして5ということになります(山科の人間国宝さんが撮影されたオニ70 5を参考にしました。6と7は水切りが有り形状が違います)。ただ、片側にシル、ヘッダーが無いという状態だそうですので、水切りを判断してよいものかどうか...

        ついでながら、説明板のオハ61 930の内容も怪しいものです。

        • 井原実様
          的確な解説ありがとうございます。当時ぷるぷるさんとはお互いの家に上がり込んでは模型談議に花を咲かせていました。なぜ彼がオニ70を作ることになったのかは思い出せませんが、私がどこかで図面を手に入れてこれなら、口笛を吹きながらすぐ出来るでしょうとけしかけたかもしれません。

        • 井原実様
          解説ありがとうございます。井原さんの解説によるとスニ70は実際に存在していなかったのですか。片側にないシル、ヘッダーのことからぷるぷるさんの車両は未完成だったのかもしれません。水切りもありませんでした。
          ところで保存されてたオハ61930の説明板の内容で怪しいのは主な運転区間の内容ですか。

          • 未完成だったのでしょうかね。だとすると水切りも検討中だったのかもしれません。
            アンチクライマーはありましたか?

            「スニ70」は計画段階の形式で、実際に車体に標記した客車は存在しなかったはずです。終戦直後のドサクサですから現場で一時的に標記したとかも絶対にないとはいえないかもしれませんが、公式にはスニ70という形式はありません。
            また、フジモデルのスニ70(オハ70改)に至ってはいったい何なのかわかりません。オハ70を改造したのはスニ73とスニ75です。さらにその後オエ70に改造されたものもあります。

            オハ61 930について資料がどこに紛れ込んだかわかりませんので、今しっかり申しあげることができないのですが、たとえば、鋼体化改造前はオハユニ15512とありますが、ナハユニ15512が正です。また、「大正14年に木製のオハユニ15512号で誕生し」とありますが、新製後改造されていますし、昭和3年の改番も無視されていますね。

      • どですかでん様 西村さま 
        小生もデオ300を見たことがあります。それはそれはぷるぷるさんの小型電車(関心はに小型に限らないがこと模型では小型が好きでした)に対する愛情が感じられるよくできた模型でした。3年かかったというのもサボった訳ではなく、あれこれ考え抜いたための遅延だったと思っています。当時ポールは既製品がありましたが、気にいらないとみえて、たしか自作されたのが付いていたはずです。実車は正面から見ると少し左右に傾いているので、そのことを言うとボルスタに何か細工しようかなと仰っていましたね。

        • 1900生様、私も覚えています。BOXに持ってこられるのですが、チョコっとつくりかえられているのでどれだけ進んでいるのかわかりませんでした。真鍮のままでしたので塗装せずに完成するのかと思っていたぐらいです。オニ70がうまく完成すればいいのですが、おかしな仕上がりであればぷるぷるさんに叱られそうです。

      • どですかでん様
        ぷるぷるさんの遺作ですから是非完成させて下さい。ところで貴君がネットで検索したと書かれていたので私もさっそく検索してみました。便利な世の中ですね。形式図も出てきました。その図面を見ていると久しぶりにペーパー車体を作ってみようかという気にさせてくれる図面でした。更に検索すると、何とフジモデルからスニ70のキットも発売されていることも判り、驚きました。塗装済み車体だけですが22350円です。7月には大阪で運転会も予定されているようですね。是非それまでに完成させてご披露下さい。ぷるぷるさんもきっと喜ばれることでしょう。

        • うまくできるか心配です。完成したら運転会に持って行こうと思っています。荷物車なので「これは動きませんでした。」とはならないと思いますが怪しいものです。今のところ、HOゲージでは動力のあるものはプロイセン機関車、箱形のB型電気機関車、そして「これは動きませんでした気動車」です。これはアーチバー台車を一つ付けて片ボギーにしました。あとはアーモンドチョコレートボギー貨車、ト、ポーランドの古い形の3軸コンパートメント客車の6両です。オニ70ができると7両になります。バラバラの変な車両ばかりです。運転会でお会いしましょう。

  2. 本題の『桜井線120年展』に行ってきました。
    実は家内の実家が櫟本です。天理文化会館は実家より少し南ですがあまり遠くないので見学してから実家に寄って、お茶を飲んで帰りました。
    ところで結婚した当時はまだ蒸機が走っていたように思います。「丹波市駅」時代は知りませんが天理市駅は知っています。でもそれが別線で建設されたことは知りませんでした。結婚してから天理駅に行ったとき、奈良寄りに広大な留置線ができていて『天理臨』の客車群が留置しているのを見ました。でもこれも新線だとは今まで知らなかったのです。展示品や説明文もかなり専門的で、マニアでも満足できます。なかなか勉強になった展示会でした。

    • 米手作市様、展覧会をご覧になったのですか。私もパネルの説明が知らないことだらけで大変興味深いものでした。特に計画、申請から開通までの経緯は面白く、奈良から桜井にいくのであればすでに汽車が走っている王寺へ行って高田、桜井に行ったらええやんとか言ったかどうか定かでありませんがそれで申請が許可されなかったという話は興味深いものでした。ところでぷるぷるさんの作りかけの荷物車はうまくいけば戦災復旧車と同じく復旧することが米手さん写真で可能となりました。どの様に復旧しようかと思案中です。

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