新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-2-

写真が多岐に亘り、数多くありますのでのんびりしてはいられません。
さっそく次ぎに進みます。

古典蒸機は複写されたり同一原版から焼き増しされたものが多いようです。その意味では発表済みの写真が多いのでネットで探しやすいのかもしれませんが、私はできるだけネット検索はしないで皆様からのご教示をお待ちしております。皆様はどんな方法でも(ネット検索でも、亀甲占いでも)いいのでお願い致します。

①国鉄8800型

④写真下に「篠山鉄道No2」と読める

写真の分別ができるように写真に番号を振りました。

新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-2-」への11件のフィードバック

    • まだ蒸機が残っていますのでチョット待ってください。
      それより-2-の推理をお待ちしております。

  1. まず①8800形8811号機ですが、1911年ドイツのシュワルツコップ製の2C機です。機関車本体だけがドイツ製で、テンダーは鷹取工場製です。煙突がシリンダ中心より前にあるスタイルはドイツの急行用2C機と似ています。異様に大きなヘッドライトは先台車と連動して旋回する構造です。8800形12両は東海道西部から山陽東部で活躍後、関西線、福知山線にも進出し、晩年は宮原、吹田の入換え用だったようです。そのうちの最終機8811号機は1950年6月29日に吹田区で廃車となっています。肝心の撮影場所はこの写真からは特定できませんね。②以降は改めてコメント致します。

    • 西村さん、ご無沙汰です。
      江若鉄道のハイキングでお会いできるかも、と思っていましたが残念です。町内会長がお忙しいのかな?
      8811が戦後まで残っていたとは知りませんでした。後の蒸機もよろしく。特に篠山鉄道2号機が知りたいです。

  2. ご無沙汰しております。多忙でちょっとデジ青を開いていない間に私の好きな軽便のコッペルも登場していたのですね。
    さて、今回の篠山鉄道2号機ですが、写真のスチームドームにあるメーカーズプレートからも判るように日車製で、20tクラスのCタンクです(1926年製造)。これは篠山鉄道の3代目の2号機です。1代目2号機は1903年、バグナル製のB型10t機(旧鉄道院1形)。2代目2号機は1914年、石川鐵工所製のB型10t機。
    篠山鉄道は国鉄篠山線の開通に伴い1944年に廃線となり、3代目の日車製2号機は宮崎交通に転じ6号機となったようです。

    • お久しぶりです。
      先日の「関三平先生を囲む会」で長老様にお会いしましたが、お元気なようで別れ際に「次の原稿ができているので渡す」と言われました。最近は、要介護者が元気になってきたので原稿が増えて嬉しい悲鳴を上げております。
      そんなわけで本稿も先へ進めますが、未解明な機関車に関しても続けてお願い致します。

    • 丹波篠山市のホームページに「丹波篠山動画データベース」というページがあり、「篠山軽便鉄道」(1930年撮影、1分36秒)の動画がアップされています。36秒頃から、この2号機の生きた姿を見ることができます。

  3. 西村様、乙訓ご老人の甥御様、お待ちしておりました。
    明快な解説をありがとうございます。
    さて、②の写真ですが8595は九州鉄道の224で、国有化で8550形8595となりました。8550形は同族61両が製造されましたが、8595は1905年スケネクタディ製です。一部は加熱式に改造されて8500形となりましたが、8595は昭和の初めから終戦の前後まで東灘にいたようです。終戦後広島二区に転じ、昭和24年3月15日に廃車されました。西尾克三郎氏の「記録写真 蒸気機関車」に東灘貨物駅で昭和7年に撮影された僚機の写真が載っておりますので、8595も神戸地区での入れ換えに使用されたのではないでしょうか。
    ③も8550形のようですが、番号が読めません。しかし、3桁目が5か6のようにも見え、8554-8557の4両が昭和15年頃の梅小路に、8566が昭和8年頃の東灘にいたようです。京都駅で入れ換え作業中の8554を、杵屋栄二氏が昭和12年頃に撮影されています。
    左端の建物は二条駅前にあった日通のようにも見えますが、考えすぎかもしれません。
    これは小生の憶測ですが、8550のラストナンバーは樺太庁鉄道の8615で、我々の良く知るハチロクが8620という中途半端な数字から始まる理由は、ここにあったのでしょうか。今頃になって気づきました。

    • そうです!
      貴殿の憶測ではありません。
      ハチロクが8620から始まるのは、まさに8550のラストナンバーの存在によるものです!

  4. ④は篠山鉄道の2号機(3代目)に間違いないでしょう。昭和元年日車製の20Ton機です。昭和19年に国鉄篠山線開業のあおりをくらって、篠山鉄道は同年3月に廃止されています。もともと篠山には陸軍歩兵第70連隊があったので、篠山鉄道は軍用鉄道的要素もあって大正4年に開業したのですが、30年ほどで姿を消したことになります。廃止に伴い、この2号機は宮崎交通に移って同社の6号機になりました。終戦後、昭和24年に宮崎交通は電化、と言っても国内では稀有の蓄電池化に踏み切り、キハ40000改造の電車や蓄電池機関車が日南海岸を走ったのですが、2号機は廃車を免れ、予備機として昭和37年まで生き延びました。篠山鉄道の晩年は敗戦に向かってゆく時代のため、写真などが少ないようですが、今回登場した写真は非常に貴重な記録だと思われます。「ササ山」を図案化した社紋もはっきり読み取れます。車体もきれいなので、昭和ヒトケタ時代の撮影ではないでしょうか。乙訓の老人の甥殿のコメントにあるように、煙を吐いて進む動画が残っているのも貴重です。写真②③は皆様のコメント通りで、私が出る幕がありません。

    • 西村さん、ありがとうございます。
      昨日、三原を通過して山口線から因美線、姫新線を廻って、今帰ってきました。皆さんのご協力で留守をしていたのに解明が進み感謝に堪えません。
      今後もご協力お願いします。

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