新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-10- 投稿日時: 2019年6月19日 投稿者: 米手作市 電気機関車はF型に入ります。 【01】EF1029(新) 【02】EF1316 【03】EF1329+D511026 山手線原宿-渋谷 1954.7.4山手貨物線電化試運転 【04】EF301 【05】EF507 1956.11.18 【06】EF501 東京駅 1957.5.12 【07】EF512(八) 【08】EF523 【09】EF531(高二) 【10】EF551 【11】EF552 【12】EF56 【13】EF571 【14】EF57 【15】EF5861 レトロ横浜号 【16】EF6217お召用? 【17】EF638+ お召し 【18】EF635 白鳥補機 【19】EF802 【20】EF8037 これで電気機関車はお終いです。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-終- 新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-13- 新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-12- 新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-11- 新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-8- 新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-5- 新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-3- 新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-2-
またまた大量?の20枚。見応えが有りますネ。 ただし小生の場合、恥ずかしながら電機は得意分野では無く、通り一遍の知識しか・・・。 それなのに、コメント参加者が未だ0なので、盛り上げなければ・・・と他人のせいにしての参加です。(笑) ①のEF10は関門海峡を連想しますが、これはEF30に追われてツルソに追いやられたのでしょうか? ③のEF13は、例の凸形の大形電機でしたネ。 戦時の節約設計?のなれの果てですが、実はその先が有って、EF58の初期型機を流線形?新形機と同様の車体と乗せ換える事になった時、その両数が32両で偶然同じだった事からEF58のお下がりと着替え、凸形から脱皮したものだったと思います。 ④のEF30は斬新でしたネ。何より交直流でステンレス銀色が一種憧れでしたが、機会が無く現認しないまま終わりました。 ⑤⑥は『大ワニ?』って言いませんでしたっけ? ED17が小ワニとすれば・・・の話ですけど。 ⑩⑪のEF55も憧れの電機でしたが、当方幼少で現認できないまま、小生の中では幻の電機です。 ところで、⑪の切妻側の写真は小生としては初めて見たような。 一時、切妻側キャブが先頭で運用したかどうかが話題になった気がしますが、この写真を見る限りでは流線形側と同等の機能有りと見えますネ。 レアな写真をありがとうございました。 ⑭のEF57も話題性では1、2を争う電機と思っています。 『ワザトらしく』パンタを頭の上に担いで、独特のスタイルでしたネ。 主に東北線が活躍の場だったと記憶しており、小生にとっては遠方だった事から、これ又現認出来ぬまま終わりました。 ところで、逆に2丁のパンタをせせこましく車体中央に寄せた⑫のEF56も面白い電機でしたネ。 ⑯以降の新性能電機は、全く食付く間もないまま、従って無知のままの恥さらし状態が続いております。 以上、どちらかと言えば何の役にも立たないブツブツ独り言ですが、以上が場違いなコメントであればお許し下さい。 返信 ↓
河 昭一郎様、 干天の慈雨のような初投稿、空梅雨の関西から感謝申し上げます。 F型電機はD型電機よりマニア的要素が少ない(私の偏見ですが)ように思えます。EF50~51ぐらいまでは輸入機なので、ED17=EF50とかED19=EF51とか同型の組み合わせで楽しく覚えられました。 やはり皆さんも同じなのかF型には興味がないようです。それでも詳しく見ているとなかなか興味がわいてきます。EF13に付いてはEF58旧との車体交換や、EF57も1号だけはEF56に似ていた事など、理由が知りたいです。 EF301は最終晩年には敦賀で見たように思います。スベッとしたステンレスの車体に赤帯が印象的ではありました。 私もEF58以降は分かりません。ギリギリEF61までで、以降は見分けも付きません。鉄鈍爺さんが『ニーナを追って!』と没頭されているのを羨ましく思ってみています。 返信 ↓
外野より失礼致します。【04】のEF301の写真は、興味深いものですね。後ろに見えるのは、ED71のようだし、右側にはEF58が、見えています。周囲の人たちも国鉄職員ではなく、見学者のような感じです。思うに、EF30とED71は、展示会などの目的で、出張って来たのではないでしょうか。場所は、東京機関区のような気がしますが、定かではありません。 返信 ↓
米手作市様 画面の90%以上が機関車に占有されている形式的写真が多く、場所はそれぞれ東京、上野、横川あるいは大宮、八王子、ひょっとして天王寺あたりを想定しましたが、風景の入った写真は想像をめぐらせ興味があります。②のEF1316の旅客列車は同機が中央東線で活躍しており撮られた方も多いと思います。まず高尾~甲府間で笹子峠を越えて甲府盆地に降りてくる勝沼辺りかと思いますが、どうでしょうか。もう一つ⑭のEF57は右にカーブする複線の線路が見え比較的都会を離れた場所に見えますが、EF57の活躍した時代はどこも田舎風景が残っており右の線路は東武野田線ではないかと思い大宮の北辺りと見ましたが、どうでしょうか。 返信 ↓
米手作市様 先にEF57 1ガEF56の『デザイン』を引き摺って云々、と寝ぼけたコメントをしましたが、『デザイン』は不適切でした。せめて『スタイル』とすべきでした。 ところで、肝心の場所当てですが、これがサッパリ! ①は上に巾の狭い歩道橋?のような橋が見えますが、鶴見操車場にはヤードの中央部を長~い歩道橋が横切っていたような気がします。 また、⑤ですが、左の背景に東京中央郵便局のような建物が見えますので東京駅南端のように見えますが。 その続きで、⑥は東京駅での撮影では良く見るショットですネ。 以上、全て確証なしで申し訳有りませんが『参加する事に意義あり』のコメントですのでご容赦を。 返信 ↓
米手様の励ましに乗じまして、やや前進し中間守備位置に着きましょう。 【07】EF51の隣にED16、更に向うはED34(後のED2710番台)。これらは南武線で運用された機関車ですので、ここは西国立です。機関区が無くなってからは、不自然な形の空地になっていたが、今はマンションが建っています。 【09】EF531【10】EF551ともに、上野駅の地平ホームです。両方とも高崎線の列車と思われます。 【12】EF56 こちらは、上野駅でも高架ホームでしょう。東北線列車かと。 【16】EF6217 背後の山容から、横川機関区です。 【18】EF635 アブト式から、粘着運転への切替で、DC特急「白鳥」の補機もED42から、EF63へと交替。その記念に鉄道友の会が製作した、ヘッドマークを付けています。場所は、横川機関区。この5号機は、1975年10月に起きた、4重連回送中の過走事故で廃車となりました。 【20】EF8037 上越線の「とき」と常磐線用のEF80が並ぶところは、上野しかありません。高架ホームです。 返信 ↓
遠慮していたわけではないのですが、プラモデル作りに夢中になり、「はしだてビーチ」を調べている間に、コメントを寄せるのが遠のいてしまいました。 デッキ付きの旧型電気機関車をみたのは、EF57が唯一の存在です。ですが、高校生の頃「鉄道ファン」に連載されていた〝美しき旧型電機〟を見て、関心はあったのですが、詳しくは知りませんでした。 さて、【05】のEF50 7ですが、ウィキペディアに興味深い記述があります。「鉄道友の会会長の鷹司平道氏から花を贈呈され、最後の花道を飾った」とあるのです。日付は昭和31年11月18日で、列車は上り急行「十和田」とされています。ですが、「十和田」は常磐線の列車で、上野止まりではなかったのでしょうか? それとも、かつては東京まで乗り入れていたのでしょうか? 「鉄道ファン」153号には「上野-東京間急行十和田けん引に活躍したEF50」とキャプションがついた写真が載っており、疑問は増すばかりです。最晩年のEF50は東京機関区の配置ですので、河様がご指摘されるように東京駅南方で撮影されたとしても、何ら疑問はありません。しかし「十和田」については、どうも腑に落ちません。 【06】のEF50 1は高崎線の列車でしょうか? EF53も晩年を高崎線で過ごしており、かつての花型機関車の働き場所だったようですね。 返信 ↓
急行「十和田」を調べてみました。 昭和29年10月1日に東京-青森間を結ぶ急行として運転開始され、昭和31年11月19日のダイヤ改正で東京発着に変更されていました。これで謎が解けました。 【05】は東京乗り入れ最終日だったのですね。 返信 ↓
EF50のWikipediaには、本形式の最後の本線仕業となったのは、1956年(昭和31年)11月18日の上り急行「十和田」で、鉄道友の会会長の鷹司平通から花輪を贈られて最後の花道を飾った。牽引を担当したのは7号機であった。とありますね。 翌日から上野発着になったみたいです。 返信 ↓
本筋とは関係がありませんが、Wikipediaの「鉄道友の会会長の鷹司平通から」の記述は、誤りです。鷹司氏は会長であったことはなく、事務局長かと。EF50は輌数もあり、輸入された電気機関車では最大で、保存されていればなぁと思います。 返信 ↓
またまた大量?の20枚。見応えが有りますネ。
ただし小生の場合、恥ずかしながら電機は得意分野では無く、通り一遍の知識しか・・・。
それなのに、コメント参加者が未だ0なので、盛り上げなければ・・・と他人のせいにしての参加です。(笑)
①のEF10は関門海峡を連想しますが、これはEF30に追われてツルソに追いやられたのでしょうか?
③のEF13は、例の凸形の大形電機でしたネ。
戦時の節約設計?のなれの果てですが、実はその先が有って、EF58の初期型機を流線形?新形機と同様の車体と乗せ換える事になった時、その両数が32両で偶然同じだった事からEF58のお下がりと着替え、凸形から脱皮したものだったと思います。
④のEF30は斬新でしたネ。何より交直流でステンレス銀色が一種憧れでしたが、機会が無く現認しないまま終わりました。
⑤⑥は『大ワニ?』って言いませんでしたっけ? ED17が小ワニとすれば・・・の話ですけど。
⑩⑪のEF55も憧れの電機でしたが、当方幼少で現認できないまま、小生の中では幻の電機です。
ところで、⑪の切妻側の写真は小生としては初めて見たような。
一時、切妻側キャブが先頭で運用したかどうかが話題になった気がしますが、この写真を見る限りでは流線形側と同等の機能有りと見えますネ。
レアな写真をありがとうございました。
⑭のEF57も話題性では1、2を争う電機と思っています。
『ワザトらしく』パンタを頭の上に担いで、独特のスタイルでしたネ。
主に東北線が活躍の場だったと記憶しており、小生にとっては遠方だった事から、これ又現認出来ぬまま終わりました。
ところで、逆に2丁のパンタをせせこましく車体中央に寄せた⑫のEF56も面白い電機でしたネ。
⑯以降の新性能電機は、全く食付く間もないまま、従って無知のままの恥さらし状態が続いております。
以上、どちらかと言えば何の役にも立たないブツブツ独り言ですが、以上が場違いなコメントであればお許し下さい。
河 昭一郎様、
干天の慈雨のような初投稿、空梅雨の関西から感謝申し上げます。
F型電機はD型電機よりマニア的要素が少ない(私の偏見ですが)ように思えます。EF50~51ぐらいまでは輸入機なので、ED17=EF50とかED19=EF51とか同型の組み合わせで楽しく覚えられました。
やはり皆さんも同じなのかF型には興味がないようです。それでも詳しく見ているとなかなか興味がわいてきます。EF13に付いてはEF58旧との車体交換や、EF57も1号だけはEF56に似ていた事など、理由が知りたいです。
EF301は最終晩年には敦賀で見たように思います。スベッとしたステンレスの車体に赤帯が印象的ではありました。
私もEF58以降は分かりません。ギリギリEF61までで、以降は見分けも付きません。鉄鈍爺さんが『ニーナを追って!』と没頭されているのを羨ましく思ってみています。
米手作市様
そうそうEF57 1を見過ごし?てました。
57の最初の1両は56のデザインを引き摺っていたんでしたネ。
外野より失礼致します。【04】のEF301の写真は、興味深いものですね。後ろに見えるのは、ED71のようだし、右側にはEF58が、見えています。周囲の人たちも国鉄職員ではなく、見学者のような感じです。思うに、EF30とED71は、展示会などの目的で、出張って来たのではないでしょうか。場所は、東京機関区のような気がしますが、定かではありません。
米手作市様
画面の90%以上が機関車に占有されている形式的写真が多く、場所はそれぞれ東京、上野、横川あるいは大宮、八王子、ひょっとして天王寺あたりを想定しましたが、風景の入った写真は想像をめぐらせ興味があります。②のEF1316の旅客列車は同機が中央東線で活躍しており撮られた方も多いと思います。まず高尾~甲府間で笹子峠を越えて甲府盆地に降りてくる勝沼辺りかと思いますが、どうでしょうか。もう一つ⑭のEF57は右にカーブする複線の線路が見え比較的都会を離れた場所に見えますが、EF57の活躍した時代はどこも田舎風景が残っており右の線路は東武野田線ではないかと思い大宮の北辺りと見ましたが、どうでしょうか。
場所に関しては全く分かりません。
関東在住の皆様にご判断をお願いします。
米手作市様
先にEF57 1ガEF56の『デザイン』を引き摺って云々、と寝ぼけたコメントをしましたが、『デザイン』は不適切でした。せめて『スタイル』とすべきでした。
ところで、肝心の場所当てですが、これがサッパリ!
①は上に巾の狭い歩道橋?のような橋が見えますが、鶴見操車場にはヤードの中央部を長~い歩道橋が横切っていたような気がします。
また、⑤ですが、左の背景に東京中央郵便局のような建物が見えますので東京駅南端のように見えますが。
その続きで、⑥は東京駅での撮影では良く見るショットですネ。
以上、全て確証なしで申し訳有りませんが『参加する事に意義あり』のコメントですのでご容赦を。
河 昭一郎様、宮崎繁幹様、紫の1863様、乙訓の老人の甥様、
皆様は決して『外野』ではございません。
どうかご遠慮なくご投稿ください。そして鉄道無知な私にお教えください。お待ちしております。
米手様の励ましに乗じまして、やや前進し中間守備位置に着きましょう。
【07】EF51の隣にED16、更に向うはED34(後のED2710番台)。これらは南武線で運用された機関車ですので、ここは西国立です。機関区が無くなってからは、不自然な形の空地になっていたが、今はマンションが建っています。
【09】EF531【10】EF551ともに、上野駅の地平ホームです。両方とも高崎線の列車と思われます。
【12】EF56 こちらは、上野駅でも高架ホームでしょう。東北線列車かと。
【16】EF6217 背後の山容から、横川機関区です。
【18】EF635 アブト式から、粘着運転への切替で、DC特急「白鳥」の補機もED42から、EF63へと交替。その記念に鉄道友の会が製作した、ヘッドマークを付けています。場所は、横川機関区。この5号機は、1975年10月に起きた、4重連回送中の過走事故で廃車となりました。
【20】EF8037 上越線の「とき」と常磐線用のEF80が並ぶところは、上野しかありません。高架ホームです。
宮崎繁幹様
さっそく守備位置を内野へ変更いただき感謝致します。これで安心して腕が振るえます。
遠慮していたわけではないのですが、プラモデル作りに夢中になり、「はしだてビーチ」を調べている間に、コメントを寄せるのが遠のいてしまいました。
デッキ付きの旧型電気機関車をみたのは、EF57が唯一の存在です。ですが、高校生の頃「鉄道ファン」に連載されていた〝美しき旧型電機〟を見て、関心はあったのですが、詳しくは知りませんでした。
さて、【05】のEF50 7ですが、ウィキペディアに興味深い記述があります。「鉄道友の会会長の鷹司平道氏から花を贈呈され、最後の花道を飾った」とあるのです。日付は昭和31年11月18日で、列車は上り急行「十和田」とされています。ですが、「十和田」は常磐線の列車で、上野止まりではなかったのでしょうか? それとも、かつては東京まで乗り入れていたのでしょうか? 「鉄道ファン」153号には「上野-東京間急行十和田けん引に活躍したEF50」とキャプションがついた写真が載っており、疑問は増すばかりです。最晩年のEF50は東京機関区の配置ですので、河様がご指摘されるように東京駅南方で撮影されたとしても、何ら疑問はありません。しかし「十和田」については、どうも腑に落ちません。
【06】のEF50 1は高崎線の列車でしょうか? EF53も晩年を高崎線で過ごしており、かつての花型機関車の働き場所だったようですね。
急行「十和田」を調べてみました。
昭和29年10月1日に東京-青森間を結ぶ急行として運転開始され、昭和31年11月19日のダイヤ改正で東京発着に変更されていました。これで謎が解けました。
【05】は東京乗り入れ最終日だったのですね。
3行目の『東京発着』は『上野発着』の誤りでした。肝心なところでミスしてしまい、申し訳ございません。
EF50のWikipediaには、本形式の最後の本線仕業となったのは、1956年(昭和31年)11月18日の上り急行「十和田」で、鉄道友の会会長の鷹司平通から花輪を贈られて最後の花道を飾った。牽引を担当したのは7号機であった。とありますね。
翌日から上野発着になったみたいです。
本筋とは関係がありませんが、Wikipediaの「鉄道友の会会長の鷹司平通から」の記述は、誤りです。鷹司氏は会長であったことはなく、事務局長かと。EF50は輌数もあり、輸入された電気機関車では最大で、保存されていればなぁと思います。