今回は「新幹線」と「客車」です。
今回もよろしくお願い致します。
【12-1】
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【12-11】
【12-12】
【12-13】
【12-14】
【12-15】満鉄二等食堂車ロシ4 441
【12-16】朝鮮鉄道一等車
【12-17】スハネ301急行糸崎行
【12-18】別府鉄道フハ3 土山にて
【12-19】ナハ22007 八王子客貨車区1956.4.1
【12-20】ナヌ322 甲府 1957.1.24
【12-21】省型ナニ6065 新井幸夫氏撮影
【12-22】マハ4787?
【12-23】昭和42年7月15日~8月20日の間撮影 安房鴨川
関連
【12-23】
{だれ?}
「かもめ」のテールマークを付けたオハフ61 1000代と「うちうみ」のDCが並んでいますから、時期は昭和42年7月15日~8月20日の間と特定できます。客車は、高タカのオハフ61 3008~3011,3019の5両のうちのどれかでしょう。データがあれば全検の年月からさらに絞り込める可能性がありますね。
DCはわかりません。
{どこ?}
場所は安房鴨川でしょうか。
ありがとうございます。
海水浴快速でしたね?京都発博多行きと間違える方が居れば面白いのに、と思いましたが・・・残念!
【12-22】の正体は分かりませんか?
スハフ43でなくオハフ61の特急ですか。えらいことですね。
【12-22】
マハ47 87は、モニター屋根スハ32系のマロネ37393(昭和6年川崎製)→マロネ37 87を昭和19年に五稜郭工場でセミクロスシートの三等車に戦時改造したものです。はてなマークが付いていますが番号と写真は矛盾はしません。昭和28年にスロハ38 120にまた改造されましたので昭和19年から昭和28年の間に撮影されたものですね。北海道に長くいたようですが、撮影場所はわかりません。
井原さん、お言葉を返すようですが
撮影時期はスロハ38から格下げ後の最晩年とは考えられませんか?
仰せのようにスロハ38 120は昭和38年に格下げされましたが、スハ38 120になりました。そもそも3軸ボギーで「47」という、形式の1の位が「7」は昭和28年4月の車両称号規程改正によって3軸ボギー車では使わなくなりました。オハネ17やオシ17は2軸ボギーですね。
了解!
そういえば配属区の記載位置も昔の位置ですね。
小生は、昭和37・38年の臨海学校が千倉、39年は岩井で、両国から、C57に牽かれ出かけました。途中この「かもめ」号に出会い、写真を撮ったこともあります。この列車、その後も走っていたのですね。場所ですが、「かもめ」は、房総西線(後に内房線)の館山行だったので、安房鴨川ではないと思います。恐らく館山ではないでしょうか?何せ小学校時代なので、間違っていたら、お許しください。
ありがとうございます。
撮影場所を館山に修正します。
ターンテーブルは館山機関区にあったのですか。
1966年7月24日竹岡~浜金谷間の下りかもめ2号です。牽引機はC578です。因みにこの日の下りかもめ1号はC58184、3号はC57160、4号はC5733が牽引とメモにあります。
井原 実さまから、「ターンテーブルは館山機関区にあったのですか。」とのご質問がありました。小生の記憶では、本線に沿い矩形の機関庫があり、その南側にあったと思います。列車の窓から写真も撮った筈だが、直ぐ出て来ません。そこで国土地理院の空中写真に頼ることにしました。しかし無料の400dpi写真では、かろうじてと云うところです。写真の矢印のところが、恐らくそうです。小生の記憶とも一致しています。今はどうなっていることやら。
宮崎繁幹様
ありがとうございます。
テンダー機が走るのですから、カマの配置は無くともターンテーブルがなければいけませんね。
12-21の客車は明治30年代の鉄道作業局新橋工場製の初期ボギー客車かと推測します。
自連に改造された以外はオープンデッキのまま、このスタイルでよく戦後まで生き残れたものだと感動しました。
しかも国鉄の幹線級の列車に連結されています。大阪駅でしょうか?、福知山線の連結か。
ふと思い出したのが、昭和26年に貞明皇后が亡くなられた時に、参号御料車が急遽車籍復活して、皇居ー多摩御陵間の運送に使用されたとありますので、最初にその話を聞いた時はたまげたのですが、同時代の2軸台車をボギー化したような客車が健在だったら、部品等の調達も出来たのかと、この写真を見て思いました。
K.H.生さん、ご無沙汰です。
戦後、30年頃までは車輌も新旧入り交じっていたようです。子供の頃に福塩線で下降窓の木造客車に乗ったおぼえがあります。
このシリーズも大詰め、まもなくお召し列車をアップします。不明な御料車がありますので教えてください。
米手さんがこのシリーズのお召列車の投稿でのコメントで新幹線には誰も興味がないと書かれていたので、その新幹線について、ただしちょっとした疑問なのですが。写真12-6ですが、試作台車と思いますが軸箱支持が板バネ4枚を重ねて支持しています。そして、オイルダンパがありません。それに軸箱のところにコイルバネもありません。いったい、これはなに?
分かりません。
試作車各部の写真の中にあったので試作車の台車では、と掲載しましたが違うのでしょうか?
12-8と12-9の違いが分かりません。明らかに窓の形状がちがうので別の車輌と思いますが。どちらも試作車なのでしょうか?
米手さんのコメントを見て、慶応鉄研の電車ガイドブック(第一刷発行)を詳しく見てみると新幹線の台車は「1車両ごとに軸箱支持装置の構造のちがった6種類の台車(DT9001~9006)が使われ、その性能はあらゆる角度からテストされています。」とありました。6種類の内のひとつかもしれませんね。それと新幹線の試作車はA編成とB編成があったとありました。窓が六角形のものは車体の柱をX構造で試作したもので量産車には採用されませんでした。形が面白いので本を読んでいてかなり印象に残っていました。ところで12-23のかもめの写真ですが、鉄道ファンで見たことがあります。1964年10月の40号で「夏の房総線臨時列車」という写真の中にありました。高橋文雄さんの写真です。その中でもびっくりしたのは臨時準急白浜2号です。最後部の写真ですが湘南電車でした。キャプションにはDD13重連+電源車とありました。7月ですので海水浴客輸送のかきいれ時だったのでしょう。新幹線のことで古い鉄道ファンを見ていたら出てきました。