新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-9-

今回は電気機関車です。
古くからのファンにとって、輸入電機や旧型のデッキ付き電機をリアルタイムで見る事ができたことが最大の自慢でしょう。私はその最後をチラッと見た世代ですから羨ましい事しきりです。大型電気機関車は大都会・東京へのあこがれでした。小型電機は地方の、それでも汽車よりもモダンな都会の雰囲気を感じたものです。実際、関東へ行かないと多彩な電機は見られなかったのです。

それでは私鉄を含めたED型電気機関車をご覧下さい。

①小田急101

②満鉄3004

③東横電鉄1

④定山渓鉄道ED5001

⑤EB101

⑥ED1721(八)

⑦ED16

⑧DE153(八)吉祥寺

⑨ED192 宇野昭氏撮影

⑩ED195 ED192とは微妙にデザインが違う

⑪ED241 八王子駅東方1957 5 17

⑫ED361(八)

⑬名鉄デキ400 撮影 S.KANEDA

⑭ED341

⑮ED4511

⑯ED4521

⑰ED461 昭和34年8月19日宇都宮区 熊谷泰定氏撮影

⑱ED441

⑲ED17x2 462レ 中央線 初狩-勝沼 1957.3.14

⑳ED384+ED16阪和線

㉑ED4219+

 

19 thoughts on “新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-9-

  1. ④は定山渓鉄道ED500。写真はED5001だがED5002と合わせて2両製造された。電気部品が三菱電機、車体は新三菱重工業で、新三菱重工業三原製作所製造。1957年竣工。定山渓鉄道の廃止にともない1969年に長野電鉄へ移り、ED5100として河東線の貨物列車に使用された。さらに1979年には越後交通へと転じ、ED5100のまま使用され、1995年に同社長岡線の廃止と共に廃車となる。
    ④の写真は、スノウプラウ装着や帯の塗装から定山渓時代と判断できる。

    • ④は乙訓のご老人の甥殿のコメント通り、定鉄時代だろうと思います。三菱三原構内で完成間近の頃に撮られた写真があります。塗装の最終段階でラインを入れて、マスキングテープを剥がす前に構内試運転している際の撮影ではないかと勝手に想像しています。

    • 定山渓温泉へ飛んでみると、「ホテル鹿の湯」が見つかりました。終点の定山渓駅で撮影されたのでしょう。

  2. 名鉄デキ400です。
    愛知電気鉄道(愛電)が1930年に400を、1931年に401を導入。製造は日本車両ですが、機器類はウェスティングハウス製。1935年の名鉄合併後も、常滑線・三河線などで貨物輸送の任に就く。
    1983年末で名鉄の貨物輸送が廃止され、その後は工事列車に充当。2016年に2両とも廃車となり解体されてしまった。
    なお、「愛電400→名鉄402」と改番、「愛電401→名鉄401」(これは番号変わらず)、つまり愛電時代は0起番だったが、名鉄は1起番。
    写真は名鉄デキ402なので、元愛電デキ400ですね。

    • 素早い回答をありがとうございます。ところで、もしご存じでしたら『東横電鉄』なるものに関して解説をいただけませんか?

      • 宮崎様のおっしゃるように、東横電鉄は現在の東急東横線ですね。
        この機関車は東京横浜電鉄のデキ1形1デキ1として1929年川崎車輌で生まれました(1930年製とする資料もあり)。全長8m、20tの可愛らしいBB電機です。大東急時代にデキ3020形デキ3021に改番、東横線菊名 – 田園調布間の貨物列車や、工事列車など東横線唯一の電気機関車として働きました。貨物列車廃止後は元住吉工場の入換車となり、同工場の長津田への移転後は長津田車両工場の入換車として使用。東急での車籍は1980年に抹消、除籍後は機械扱いとして引き続き長津田の工場にいましたが、動態保存のため2009年に上毛電気鉄道に移りました。現在は上毛電気鉄道大胡車庫にいますが上毛でも車籍はないので本線走行はできません。
        高畠鉄道デキ1(→山形交通高畠線ED1)、伊勢電気鉄道デキ501・502(→近畿日本鉄道デ1・2)などの同系機がいました。

  3. 知っている方はおられるでしょうか。写真⑰のED46のプラモデルがあったことを。買ってもらって作りましたが走りませんでした。HOゲージで、モーターをつけて電池で走るようになっていたのですが・・・組み立ては難しいものでした。車輪がプラスチックでベルト駆動のような気がします。小学生にはハードルがかなり高かったようです。

  4. ②の満鉄3004について、
    大連の石炭積み出し線で使用された南満州鉄道デキ3000形、後にデキイ形と改称。1930年から導入されたようですが、製造は川崎車輛で、丸窓付は同社製の特徴。

    戦後は一部が撫順炭鉱へ移り、大連に残った2両は2013年まで改造されながらも使用され、何と!保存されている模様。
    写真の3004の個体がどうなったのかは調査できていません。

  5. ①の小田急101は、後に岳南鉄道に移ったED28 1でしょうか?
    側面に並ぶ丸窓は「船」の舷窓のようにも見え、なるほど、川崎造船の作品ですか。丸窓と言えば、近鉄にいた元吉野鉄道のデ51・52を思い出します。見たことはありませんが…。

    • ①小田急101
      1930年川崎造船所製の50t機。側面の7個の丸窓が特徴ですね。同系機に富士身延鉄道200形がありますが、こいつは丸窓ではありません。
      小田原急行鉄道では101形、1942年からの「大東急」時代になると、デキ1020形デキ1021と改番、1948年に大東急が解体、小田急電鉄に引き継がれED1021となりました。
      紫の1863さんの云われるように、1969年に岳南鉄道に移り、ED28形 ED281になり、1988年に廃車となりました。

  6. 外野より失礼致します。⑥のED1721は、八王子区に最後まで残ったED17で、私も撮影することが出来た機関車として、よく憶えて居ります。1966(昭41)年頃に、作並区に転属しました。掲載の写真は、背景の印象から、国分寺駅の立川寄りで、南側から撮られたような気がします。⑨のED192を撮影された宇野 昭さんは、鉄道友の会のベテラン会員で、今なお現役の鉄道ファンです。3月の西武鉄道の新特急試乗会でお目にかかりました。直接お尋ねになれば、場所や撮影日などが判るでしょう。

  7. 米手作市様

    東横電鉄ですが、その会社名としての前身は明治末期に設立された武蔵電気鉄道でした。
    しかし、鉄道が建設段階に至る前に会社が改組されて1924(大正13)年10月25日に東京横浜電鉄となったものです。
    最初の開業は、1926(大正15)年2月14日の丸子多摩川―神奈川間で、次いで渋谷へ伸ばし、1928(昭和3)年5月18日に横浜(本横浜)に進出し『東横線』となりました。

    戦時の大合併時に東京急行電鉄となった後、戦後は小田急、京王、京急が夫々分離し、相鉄も経営管理が解除となって東京急行電鉄の名が残りました。
    しかし、阪急京都線が長らく新京阪で通っていたのと似て『東横』線の名は根強く、『東横百貨店』共々『東急』はなかなか一般化しませんでした。

  8. ⑮はのちにED9111と改番されるED4511で、作並機関区での撮影ですね。この東芝製ED9111は東北本線の盲腸線利府駅の先にある森郷児童公園にC58354と並んで保存されている筈です(平成18年7月28日の撮影で、13年ほど前なので今はどうか?)。この公園は東北本線の旧線跡なので、運んでくるのは簡単だったと思われます。

  9. 皆様、ありがとうございます。すべて記録致しました。
    まだまだ続きますので、引き続きよろしくお願い致します。

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