今回は「お召し列車」です。
この中でDF50の引くお召し列車は到着が二条駅で、昔懐かしい二条駅が出てきます。この日は私も同じ場所で撮していました。
このシリーズは、次回「サボ編」で終わります。続いては「乙訓の長老」シリーズが始まります。今まで以上のご援助・ご協力をお願い致します。
今回は「お召し列車」です。
この中でDF50の引くお召し列車は到着が二条駅で、昔懐かしい二条駅が出てきます。この日は私も同じ場所で撮していました。
このシリーズは、次回「サボ編」で終わります。続いては「乙訓の長老」シリーズが始まります。今まで以上のご援助・ご協力をお願い致します。
EF5861。車体の側面にシルバーの帯がたった一本入るだけで引き締まり見栄えがします。いいですね。近鉄田原本線百周年記念の旧820系似の復刻塗装でもシルバーの帯でぐっと印象が良くなりました。
大阪通信員さん、
もうお召し列車は見られないのでしょうか?
昭和天皇は鉄道の旅がお好きだったようですが、平成天皇は一般車両を使うことが多く、さらに令和天皇に至ってはお召し列車の名前すらご存じないようですから。2月の寒い夕方、中学校からの帰り道、四条烏丸を下がったところにあった日経新聞京都支局に張り出された「皇孫誕生!」の号外を見たのを思い出します。
それにしても「新幹線」にはだれも興味がないのですね!驚きました。
【13-11】旧御料車 見覚えのある写真でした。小生、数年前『国鉄時代』誌の御召列車特集に寄稿したとき、全く同じ写真を使いました。しかし出所は不明です。大昔の会誌などは、バラバラの写真が添えられて来て、自分で該当箇所に貼り込むものがあり、その手の写真かと。
写真は、鋼製1号で、昭和7年の大井工場製造。昭和35年に新1号が製造され交代するまで28年間使用された。天皇が乗車する御座所が中央ではなく、車端に寄っているのが、側板の菊紋章台座の位置を見れば判る。写真では、紋章は未だつけられていない。新製時に冷房はなく、改造により冷房を備えたのは昭和30年で、2年後の昭和32年に冷房強化とともに各所を改造している。このとき屋根上のベンチレーターが、7個から4個に減少している。写真では7個で、昭和32年以前の記録と判ります。
宮崎繁幹様
ありがとうございます。
この御料車が分かりませんでした。御紋章の位置がズレていることの意味も初めて知りました。C57が引くお召しもEF58が引くお召しもすべてこの旧一号御料車ですね。
C59108のナンバープレートは梅小路機関区の事務所内に誇らしげに掲げられていました。その下には菊のご紋章の中央に梅がデザインされた紋章も飾られていました。この梅模様の紋章はC59108の写真を見る限り、見当たりませんが どこに付けられたのでしょうか。
失礼しました。13-5を見落としていました。正面の連結器の上に菊と梅の飾りがありました。
西村雅幸さん
これです!
『ここはどこ?』の場所はサッパリですが、首を突っ込みたい私です。
関西でのお召し機はC58 108が常識でしたが、ある時三ノ宮で見た時には少し離れた引き込み線に、ひっそり静かに単機で止まっていたC58 118に気付きました。
日章旗は無く旗棒のみが付いていたような。
予備機とは思いましたが、先導機だったのかも知れず、権威有る『お召』を実感したのを思い出しました。その時、小生は中学生だった気が…。
一方、品川区の担当部分での本務機は、車体にシルバーラインを引いたEF58 61の独壇場でしたが、その『陰』にEF58 60が居たのも忘れてはならない事ですネ。
河 昭一郎さん
EF5860の写真を撮っていませんでした。残念!