散歩道で見つけましたー事件です!ー

アクセルとブレーキを踏み間違えました。す、すみません。

ー1895(明治28)年10月22日16時頃、モンパルナス駅(パリ)に進入してきたグランヴィル発の56レが、停止位置に止まらず、時速40~60キロで車止めを破壊して、線路外を15メートル走った後レンヌ広場に落ちて停車したー(裏面の説明文)

実は、藤田さんからお預かりした、フランス人のお客様からのプレゼントの絵葉書です。ご存じのように老舗のおかきやさんである『菱屋』さんには、フランスから買いに来てくれるお客様があるそうです。お店の写真を見たその方はフランスへ帰ってからこのハガキを送ってくれたのだと言って貸してくださいました。

広場には鉄道馬車のレールが引かれていますが、走っていなくてよかったですね。

では、もう一枚

これは、準特急さんへのプレゼントにします。
これこそ本当の『流線型』

1937年パリ

リヨン駅の流線型機関車 パリ 1937年(昭和11年)
のキャプションが付いていますから、日本でもちょうど流線型が走り出した時期と合致します。

ところで嬉しい話を一つ

藤田さんにお会いしたところ、最近、初めてのお客さんが訪ねてきて「同志社大学鉄道同好会のHPで見てきた』と言われて、ひととき趣味の話が弾んだとのことでした。もちろん、名物の「うすばね」も買ってくださったとのことでした。
このHPが少しでも鉄道趣味の輪を広げる役目を果たしたのなら本望です。

散歩道で見つけましたー事件です!ー」への6件のフィードバック

  1. 米手作市さま
    そんな昔のSLの操縦が足踏み式だったとはとても信じられませんね。
    それはそうと当欄がご来店のきっかけになったというのは嬉しい出来事ですね。そろそろ「同志社大学鉄道同好会指定のおかきやさん」いや「菱屋さんご指定鉄道同好会」のいずれかの看板を上げないといけない時期ですかね。

  2. 米手作市様
    昭和10年前後は世界的に流線形が流行った時代ということがどこかに出ていましたがこれでよくわかりました。海外の蒸機には流線形が結構あったようですが、スピードがそれほどなく、逆に整備に手間がかかるなど不評であった部分もありますが、夢があっていいじゃないですか。流線形というと須磨や乙訓の先輩方がお生まれになった時代ですが、これに対して米手さんや私などは資材がなく代用品を使った戦時設計D52の時代ですね。優秀な米手さんが粗悪車と同じという意味ではありませんよ。

    1900生様
    菱屋さんは当然指定店になられるでしょうし、ホームカミングデイには幹事さんからは3時の休憩の時のおやつとして用意していただけると思います。それと1900生さんの好評のビデオですが私も前座として短いですが小田急と京王の競争(?)を準備したいと思います。

    • 準特急さま
      今秋のHCD総会は3時のおやつ付きですか。嬉しいですね。早速会費値上げの効用あらたかというところでしょうか。
      好評といわれると痛み入りますが、京王と小田急の競争は楽しみです。関西にはそういう場所はなく、昔EVE祭の時にレイアウトを使って1900と2800を競争させたことが思い浮かびます。ところで今ハタと気が付きましたが、小生もぷるぷるさん近くの山の上から八幡の京阪と大山崎の阪急を撮らねばなりませんね。

  3. 1900生様
    京阪間、阪神間のライバル競争は到達時間や特急用車両自体が興味の対象で当時の国鉄も含め趣味者にとっては大変興味深いものがありました。京阪1900と阪急2800はその絶頂期にあったような気がします。一方、関東は車両とスピードに面白味がなくあまり取り上げられなかったような気がします。しかし、多摩ニュータウン(高齢化でとてもニュータウンとはいえなくなってきました)、特に多摩センター、永山と新宿の間は全くの競合区間です。淀屋橋と七条、四条、三条、梅田と大宮、烏丸、河原町は当時の特急停車駅ですが一般の人にとってはそれぞれの目的地に近い便利な会社を選んで乗ったのではないでしょうか。これに対して新宿と永山、多摩センターは駅が同じ場所であり京王、小田急どちらを選んでもいいのですが、僅かに小田急の方が距離が長く、ほとんどの列車が新百合ケ丘で乗り換えが必要など時間がかかるというハンデがあり、小田急の社員と言えども京王を利用していた事実がありました。しかし、小田急は多摩急行を走らせるなどして徐々に利用客を増やしその差は縮まってきました。編成両数の変遷をみてもそれはわかります。ここに至って、3月17日に小田急は念願の複々線が完成し、多摩線に新宿行き快速急行を走らせるなどし、特に通勤時間帯に有利性を強調、派手な広告を車両や駅に掲載しております。京王も2月22日から座席指定の京王ライナー(新宿-永山ノンストップ、多摩センターまで最速24分)など対抗策を出しているようですが、しばらく注目したいと思います。

    • 準特急さま
      ここにきて競争激化とはさすが東京ですね。確かに1900と2800の時代に運転時分や車両を競った黄金時代だったかもしれません。
      小田急の複々線もやっと完成ですね。利用者から鈍感と批判されていたのが遠い過去の話になりました。設備が整い輸送力に余裕ができると他線の客を取りたくなるのは当然ですし、利用者にとってもサービス向上は歓迎されるでしょうね。
      京王のライナーはそういう背景があって設定されたのですね。夜間だけとは妙な運転だと不思議だったのですが謎が解けました。京阪のプレミアムカーは順調と聞いていますが、結局は混み合う列車の利用率が高いということで、まあこれは当たり前の結果だと思いますし、事実平日昼間時間帯は殆どガラガラで走っています。同じ特急のほかの車両に空席があるのにわざわざ乗る人は多くないでしょうから。そうはいっても座りたい時に座る手段が確保されたのは、名鉄特急同様旅客サービスとしては充分意味あることだと思いますが、普段に利用する我々にとって従来の8両が7両になったのは痛い時もあります。この頃はなるべく乗らないようにしています。

  4. 1900生様
    いつも辛口(?)のコメントを楽しみにしております。東京一点集中で通勤時に4扉車でも途中駅で下車する人は予め準備しておかないとえらい目に遭うし、痴漢も一向に減らない中で体にハンディを背負った人、高齢の人、大きな荷物を持った人、酒飲んで帰る人等々ある程度の空間を確保するという座席指定のニーズは結構あるものと思います。そういった状況下、最近の東武東上線や西武と同じような考えでしょうが京王もホームライナーのような列車を設定して営業開始しました。我々の頃の特別料金不要のクロスシート車から比べると4扉車のクロスですから特別料金払うのは損をしたような気分になりますが、これも時代の流れでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください