毎日散歩をしています。
その途中にいつも気になるお店があります。うっかりすると見過ごすようなお店ですが、島原の大門の前にある明治19年創業のおかきや「菱屋」さんです。
このお店には、かつて近くにあった旧丹波口駅で撮った列車の写真がいつも貼ってあります。そこでおかきを買うために入ってみました。さて、ここのおかき・”うすばね”は絶品です!いつも家内が他家へのお土産に買っているのですが、私が買うのは初めてです。
ここから本題。
ちょうど店頭におられたご主人・藤田光一さんにお話を伺いました。
「いつも楽しみに見せていただいておりますが、他でも撮られていますか?」
「大体は近くですが、呉線や飯田線も行きますよ」
「よければ見せていただけませんか?そしてDRFCのHPで公開させていただきたいのですが」
「私はパソコンもインターネットもデジタルも分かりません。この写真もオリジナルの写真をコピーした物を掲示しているだけです。お任せしますのでご自由に使ってください」
と、アルバムを三冊、貸してくださいました。
ご主人の藤田さんは昭和22年生まれ、私と同年代です。どうりで波長の合う作品です。
早速ご紹介します。
旧丹波口駅は中央市場と島原遊郭に挟まれた位置にありました。遊郭があった頃は駅前が入り口だったとかで、子供たちは近寄れませんでしたので駅の写真がありません。藤田さんの作品にも無いそうです。でもカメラを持った頃には廃止されていたので汽車の写真は撮りに行けました。
↑ 京都駅を出た列車が最初の停車駅・丹波口に着く。入れ違いに交換した上りの客レが終着駅を目指す。ホームには右にある中央市場で仕入れた鮮魚を入れたカンカンを持った買い出し部隊が待ち構えている。いつもの光景だ。左の森は島原の「角屋」。左遠方に現存する梅小路機関区の貯水タンクが見える。
↑ 左のホームは現在道路になって、駅本屋は公園となっている。各停とはいえオハ61系堂々10両の大編成
藤田さんはC57190がお気に入りと見えて多くの写真を撮られているが、カラーはこれだけだった。C57は初期と後期ではイメージが全く違い、好みが分かれるが私はC59やC61に似た戦後の後期型が好きだ。
この頃の梅小路機関区は近所の鉄道少年のたまり場であった。一日いても怒られないで遊ばせてもらった。今ならどうなっていただろう。
まだまだありますが続きは追々にご覧いただきます。
続編の予定は
国電、阪急、京福、呉線など
手作市様様
これは、これは、お宝発掘ですね。
小生はC51でしたが時期的には蒸機に間に合っていて、国電屋だったのに『記録、記録』と、結構撮っています。
続編の『国電』を楽しみにしております。
実は河様用にお借りしてきました!
米手作市さま
いやあ本当に懐かしい写真で涙が出ます。私事ですが、以前にも触れた通り、当時小生はこの写真に写っている元丹波口駅の東方0.7kmほどの大宮五条に小学1年生まで住んでいました。すぐ近くに父方の本家があり、そこに我々兄弟と数年しか離れていない従弟兄弟が居たので、小さい頃4人でよく遊んでいました。たいていは近所の神社境内でしたが、時折SL見たさに小生が皆を丹波口駅まで引っ張って行ったものです。ですからこの丹波口駅は想い出が一杯詰まった駅なのです。ちょっと想い出の一端を。
・当時の旅客列車のSLはC57でしたが、かなり初期の頃にC52だったかC54だったか、い つもと違うカマが牽いていたのをかすかに憶えています。
・4~5歳の頃でしたか、父にせがんで二条まで乗せてもらったことがありました。列車の 記憶は無いのですが、父が後年「汽車が来ると思ったが短い2両編成の前の丸い電車が 来た」と話してくれたことから、10時半頃のキハ07による胡麻(園部?)行きではないか と思われます。
・当時のピカイチ列車はやはり準急白兎号で、茶色塗装のDF50がスハ43系を牽いていま した。DL牽引はあと朝の福知山発と夕方の福知山行に日立だったか三菱重工製だったか の試作車が牽くのが一往復だけありましたが、度々故障していたようで新聞に「また故 障」と書かれていました。
・その後のヒーローは昭和33年(34年?)9月22日のダイヤ改正で登場したDC準急丹後号で すね。改正前の新聞に「準急丹後新設。車両は従来の青色(それまでのDC標準色)ではな く、オレンジに窓周りクリーム、上部灰色(屋根のこと)の七尾から来た明るい色の車 両」と紹介されていたので期待していました。初めて跨線橋から見たのは中間に青いキ ロハ18を挟んだキハ20の4両編成でしたが、新車をイメージしたのに七尾線からの中古 車でガッカリしたのを憶えています。
・SL写真の4葉目の重連ですが、休日夕刻の園部行ではないかと思います(突発事由の別列 車でない限り)。当時休日朝の園部発と夕刻の園部行に休日運休列車があり、客車は終日 園部でお昼寝しますが、カマは別の列車で梅小路との間を回送されていたからです。余 談ですが昭和45年に初めて8mmカメラを手にしたとき、初撮影でこれを撮りに17時頃 に丹波口へ行きました。このフイルムがありますから、重連はSL末期まで残っていたと 思います。今思うともっと撮っておくべきでしたが、当時の山陰線はC57とD51ばかり で飽きていたのでしょうね。勿体ないことでした。
・あとオマケですが、五条通り踏切の北東に大阪ガスの工場があり、その専用線に「5」 号機という小型SLが居ました。カマの由来は全く知りませんが、丹波口へ遊びに行った 際にたまに駅を往復するのを見かけたときは、SLについてよく走ったものです。
ついつい懐かしさのあまり筆をすべらせてしまいました。
梅小路にC52はいないので福知山のC54だと思います。
大阪ガスのタンクは私が撮っています。ガスタンクのところまで引き込み線がありました。
米手作市さま
やはりC54でしたか。ご教示ありがとうございます。懐かしい大阪ガス5号機の写真をぜひとも拝見させて頂きたく、その機会を楽しみにしております。
ところで5号機はどの程度動いていたのかご存知でしょうか。
米手 作市様
趣ある「菱屋」さんのご紹介有り難うございます。「うすばね」是非賞味したいものです。
京都らしい上品さが伝わってきます。他にも美味しいおかきが沢山ありそうですね。機会を作って伺いたいものです。
これで終わったら、グルメレポートと勘違いしてるんと違うか?とお叱りを頂きそうですね。
C57 127の10連、機関車とと客車の長大編成の美しさに見とれました。いいですね。
偉大なる会長様には山陰線京都口ではなく、下関口へお連れする企画が水面下で計画されております。これで会長様は世間の目を気にすること無くお天道様の下を堂々と闊歩できます。お楽しみに!