散歩道で見つけました 8

今回は江若鉄道、南海電鉄、水間鉄道です。
江若は、特派員さん、西村さんの専門領域で、南海は村尾さんの専門です。なにとぞお手柔らかにお願い致します。

江若鉄道

① 浜大津駅 キハ5122+ハ5010+キハ5121「快速比良」

② これも流線型? 三井寺下 キニ13

③ キハ14 三井寺下

④ キハ20+ 三井寺下 昭和44年9月から10月頃の撮影か

⑤ キハ51 キハ52 三井寺下

⑥ 左 キニ9 右 DD1352

⑦ キハ51 右 DC251

⑧ 奥にある客車の廃車体が気になる 左 キニ4

 

水間鉄道

⑨ 1010+1011 水間鉄道←淡路交通←南海電鉄

⑩ デハニ101+301 水間←宇部電気鉄道

⑪ ⑨に同じ

南海電鉄
クローバー会で、南海の話題はほとんど聞いたことがありませんでした。唯一、村尾さんが『こうや号』はいい電車や!と虚空に吠えていたのを覚えているぐらいです。どなたか解説をお願い致します。

⑫ たしか電車で和歌山まで引っ張って行って、国鉄に乗り入れて白浜あたりまで行っていた南海の客車がありましたな。国鉄から借り入れのオハフ33  堺駅

⑬ 天下茶屋駅

⑭ 堺駅

⑮ 6000系 天下茶屋駅

⑯ 1521型 天下茶屋駅

⑰ クハ2806 1930年製 天下茶屋駅

⑱ 1251型 天下茶屋駅

⑲ 1501型 南海仕様の63型割り当て車 天下茶屋駅

⑳ モハ12001型 キハ55の電車改造かと思った! 天下茶屋駅

㉑ 最後に乗ったのは一畑電鉄でした 天下茶屋駅

 

散歩道で見つけました 8」への10件のフィードバック

  1. 米手作市様
    江若鉄道の登場とは嬉しいですね。①は浜大津駅に停車中のキハ5122+ハ5010+キハ5121ですね。「快速比良」のヘッドマークも見えます。快速比良号は春と秋の行楽・登山シーズンに浜大津・北小松間で運転されていました。当初はDD13牽く客車列車でしたが、晩年は気動車となり、このキハ5122の3連が活躍していました。快速の名の通り滋賀・和邇間は無停車でした。写真左手の出発信号機が下りていますから、もうすぐギロチン遮断機が下りて発車する直前でしょう。なお現在びわこ大津館3階に常設展示してあります浜大津ジオラマも この写真と同じくキハ5122の3連を展示してあります。②は三井寺下を発車直後のキニ13ですね。これもれっきとした流線形気動車でしょう。③は三井寺下に到着した浜大津行きのキハ14です。元キハ41014で房総の大原区から流れてきた車です。④も三井寺下のキハ20+?です。この写真で注目すべきは左手にちょっとだけ写っている車両です。救援車代用のワ2と解体中のキハ17です。キハ17は元キハ41105で、昭和41年10月にお座敷気動車に改装されたものの使い勝手が悪く、江若廃止を待たずにひと足早く廃車、解体されました。この写真でも窓ガラスが外されているようですからすでに解体作業中と思われます。従ってこの写真の撮影時期は昭和44年9月から10月上旬ではないかと思われます。⑤は三井寺下車庫の洗車線のキハ51とうしろがキハ52です。ともに熊本の熊延鉄道から江若に来た車でした。湘南顔で側面は狭窓が並び偏芯台車を履いた個性的な2両でした。⑥は左がキニ9、右はDD1352です。DD1352は江若廃止後岡山臨港鉄道に移り、その岡臨も廃止されて最後は水島臨海鉄道に部品取り用として売られて、水島で一生を終えた機関車です。⑦は左がキハ51、右は熊延から来たDC251です。江若廃止後御坊臨港鉄道に移りました。⑧の左はキニ4です。そして右手には木造客車の廃車体があります。この客車の番号が特定できませんが、更衣室、休憩室として使われていたと思います。三井寺下ジオラマを作ったときには、忘れずにこの客車も作りました。廃車体の模型を作ったのはこの時が初めてでした。江若廃止からそろそろ半世紀です。懐かしい写真の数々のご提供ありがとうございました。HCDでのお煎餅を楽しみにしています。

  2. ⑨と⑪は元淡路交通1010-1011です。 南海→淡路(車体更新)→水間と海を2回渡ってます。
    ⑩は元宇部電気鉄道デハニ101・301です。日車製の同系統は一畑のデハニ50ですね。
    ⑫は国鉄からの借入車だと思います。サハ4801が検査の時などは、オハフ33が借り入れられていたようです。
    ⑲は南海1501型です。63型私鉄割り当て車で、南海仕様に仕立てて納車されています。

  3. 村尾さんからメールを頂きましたのでご覧に入れます。もちろんご本人の了解を得ています。
    『標記デジ青に南海の写真、何か言えとのお言葉なれど南海沿線のそれも各停しか止まらないところにに住んでいただけで、ほとんど出歩くことも無し。 南海に乗っていたのは大学に行く時の難波までの短い時間。 当時車両に興味もなく、さっぱり分からずコメントは控えさせていただきました。 当時のことを思い出し、世話になった南海より阪急の2800が良かったと今になってしみじみ感じている次第。天下茶屋の懐かしい写真を拝見させていただきありがとうございました。』
    とのことですが、私には学生時代に村尾さんが新こうや号の自慢を述べていたことが記憶にあります。いずれにせよ、村尾さん、コメントをありがとうございました。

    • 米手 様
      村尾さんは大学では1年先輩ですが高校では同級生です。高校は地下鉄「大国町」の近くで、校庭の南側には関西線・環状線が走っていました。教室からはC58(だったと思います)やキハ35がよく見えました。また東側は南海が走っており「新こうや号」も走っていました。今から半世紀前の風景がよみがえってきます。コメントにも写真が添付出来るようなので試してみました。1972年の大和川鉄橋です。

      • おお!南海の「デンカン」や!!
        実を申せば、父の兄弟が南海本線の貝塚や水間鉄道の石才に住んでいたので学生時代までは時々南海を利用していました。でも、ほとんど興味がありませんでしたので覚えていません。

  4. 米手様
    ⑧の客車の模型写真をやっと見つけましたのでご披露します。この客車は大正3年梅鉢製の播但鉄道ハ11で江若では2代目ハ11でした。更衣室やあるいは散髪屋として使われていたようです。

    • これはこれは!
      西村さんでないとできない事ですね
      大傑作です!ありがとうございます。

  5. 会員外で失礼いたします.乙訓の老人様 ・ 総本家青信号特派員様 ・ 西村雅幸様に特にお世話になっておりまして、心より厚く御礼申し上げます.以前に使っておりましたハンドルネームで失礼いたします.

    南海沿線で育ちまして、後半写真に誠に懐かしさを感じております.⑫ ⑭ は堺駅、それ以外は天下茶屋駅ですね.⑬ ⑭ の簡易半鋼製車は 1969 年の廃車までに見ているはずですが、あまり記憶にございません.

    ⑮ の 6000 系は Tc 方転前で、[←難波] Mc+Tc+T+Mc 時代ですね.⑯ の 1521 形は 4 連化されていましたでしょうか.⑰ の クハ2806 は 1930 年製の屋根の浅いタイプで、Mc より一足早く廃車になっておりますね.

    ⑱ にもずいぶんお世話になりました.側扉内部のステップと 21000 系登場後の 1968 年頃に急行のほとんどを 1251 形で充当した時代がもっとも記憶に残っております.

    その頃の本線普通車は廃車直前の ⑲ で、モハ1509-12 が正面貫通化されました 1965 年から約 3 年の間のご撮影ですね.⑳ はモハ 11001 形でなく、Mc-Tc 編成でつりかけ式の モハ12001 形で、サハ11801 形に改造されました 1969 年までのご撮影ですね.

    ㉑ には限りなく思い出がございます.側扉窓が直接支持ですので、クロス車の 07F か、ロング車の 09-15F ですね.前者のクロス部はブラインドで、判別基準にさせていただこうと思ったのですが、判らずにおります.帯色が後年のダークグリーンでなく、エメラルドグリーン時代と思っております.

    思い起こすままの雑文で、誠に申し訳ございません.

    • 801F様、
      ご投稿、ありがとうございます。
      南海というとなかなか盛り上がりに欠けます。京都という距離のせいでしょうか残念に思っておりましたところ、これほどの詳しいご説明を頂きまして感謝に堪えません。
      会員外であってもご遠慮なくご利用くださることをお待ちしております。

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