50年前の撮影地を歩く -20- 宗谷本線編

旭川

今年は、各地の積雪量が例年になく多いようですが、“こんな時にこそ”と北海道へ行ってきました。3月になってからの北海道は何度か行きましたが、厳冬期は初めてのことです。おもに訪れたのは宗谷本線、LCC利用客限定のフリー切符が発売中で、これを使っての訪問となりました。宗谷本線は、本欄でも何人かが記されていますが、DRFC時代には、多くの仲間と一緒に訪れた思い出の地ですが、それ以降、北海道へ行くことはあっても、この地を訪れることがないまま50年が経過しました。各駅で今昔対比もしながら、ゆっくり一人旅を楽しんで来ました。
始発の旭川で発車を待つ宗谷本線のキハ40、規模の大きな立派な駅構内には不似合いな単行列車の姿は、宗谷本線の現状を象徴していた。

旭川
宗谷本線の起点、旭川駅に降り立つのもDRFC現役時代以来だった。当時の旭川駅は、北海道最初の民衆駅として昭和35年に造られた三代目で、旭川ステーションデパートが併設された大規模な駅だった。函館本線、宗谷本線、石北本線,富良野線の4路線の起終点であり、駅は終日賑わいを見せていた。活気づくのは、むしろ夜間で、夜行列車が何本も発着するため、終日開いている待合室は大賑わいだった。私も二回ほどお世話になった。同業者も多かったが、ベンチも十分にあって快適に眠ったものだ。

その後、付近は高架化され、平成23年に現在の4代目駅舎が完成した。地元の技術や材料にこだわった設計であり、平成27年には隣にイオンモール旭川駅前も開業した。

当時の旭川駅も、現在と同じ4面7線を持つ駅だった。1番ホームで発車を待つ稚内行き急行「利尻」、C55 50〔旭〕牽引、この時は、鉄鈍爺さんと羽幌線を訪れて旭川へ戻り、駅でしばらく仮眠のあと、「利尻」に乗って稚内へと向かった(昭和43年9月)。▲▲現在の駅、同じくホーム新旭川方でとらえた石北本線「オホーツク」、老朽化している183系の取り替えが急がれており、3月のダイヤ改正では函館・室蘭線の「北斗」は新型に置き換えられるが、「オホーツク」はしばらく走るようだ。稚内発小樽行き322レ、旭川までC5516〔旭〕牽引で、四次型のC57193〔築〕に代わったところ、小樽~岩見沢が初電化した直後だが、電機が足りず、そのまま小樽まで通し運転していたと思われる。C57は、補助灯を二つ付けた“三ツ目”だった。荷物車への積み込み、テルファと、昭和の匂いプンプンだ。左手に小さく琺瑯製の駅名標が見えるが、拡大して見ると「あさひがわ」になっている。昭和63年に、読みが「あさひかわ」に変更された。▲▲ほぼ同地点、札幌方のホームに並ぶ、「カムイ」と「ライラック」。いずれも旭川~札幌の特急だが、車種によって区別されており、「カムイ」が789系1000番代の5両編成、「ライラック」が789系0番代の6両編成になっている。

宗谷本線の特急体系が、平成29年3月改正で見直され、従来、札幌~稚内を直通運転していた「スーパー宗谷」2往復、「サロベツ」1往復は、旭川で分断されて、宗谷本線内のみを走る「宗谷」1往復、「サロベツ」2往復に改められた。札幌からは電車特急「カムイ」「ライラック」と同一ホームで接続し、特急料金も通しで計算する特例となった。これは、特急気動車は老朽化が進むものの代替が困難なため、特急気動車の走行距離を抑えたいこと、反対に、特急電車は、北海道新幹線の開業で比較的運用に余裕が出たため、走行距離を伸ばしたいJR側の思惑があった。また冬期、宗谷本線のダイヤの乱れを、ドル箱である函館本線に持ち込ませない考えもあったと思われる。

このように旭川での乗り換えが強いられるものの、いっときだが、ホーム上での乗客の行き来も見られ、賑わっているように見える旭川駅だが、一日の乗車数は5300人程度に過ぎない。これは札幌駅の95000人に比べると極端に少ない数字だ。北海道第二の都市の駅とは言え、札幌一極集中の思いがある。大屋根を支える鉄柱のデザインと、夜間のライトアップには、ほかでは見られないセンスを感じた。駅全体も木を多用した温もりのある造りになっている。

駅の裏口に当たる南側は、こんな牧歌的な風景が広がっていた。富良野線のキハ22が停車する横には少しの側線だけで、すぐ横を忠別川が流れ、人家は全く無かった。▲▲50年後の姿を見に行くと、駅が新しくなっただけで、建物が無いのは50年前と同じで驚かされた。雪で隠れているが、忠別川沿いの緑地帯になっているようだ。左手奥の樹木も、50年前と同じようにも見える。

 50年前の撮影地を歩く -20- 宗谷本線編」への7件のフィードバック

  1. 今冬のようなとりわけ寒い時に旭川に行くとは常人ではとてもできないことです。
    私は旭川には2016年、17年で雪のない時期に数回行きました。旭川は、大規模な郊外型ショッピングセンターが駅直結(一部は高架下)になっていて、勿論広い駐車場やスーパーマーケットもあり、非常に多くの人で賑わっています。が、列車は画像のようにさびしいもので、少数の乗降客以外、駅構内にあまり人ははいません。内地の他都市と比べ「ショッピングセンター」と「駅」との落差が際立っています。駅に人を呼ぶという意識が無いのでしょうか。ガランとした構内に、テーブルと椅子がいくつか置いてあって誰でも利用できますが、どれも若者が勉強していました。
    降雪期には駅にいちだんと人がいなくなるのでしょうね。

    • 井原さま
      速攻コメント、ありがとうございます。井原さまの執念にも似た北海道の廃車客車訪問に少しでもあやかりたいと、今回の旅となりました。井原さまがお書きの「ショッピングセンター(SC)」と「駅」の落差は、全く同感で、その典型を旭川で見ました。私は旭川で2泊した際に、いずれも夕食を駅横のイオンモールでしましたが、駅の閑散さに比べて、イオンモールは大賑わいで、家族連れ、女子高生、それにアジア系外国人の姿が目立ちました。本州では、ロードサイドと駅前商店街の落差がよく言われますが、よく考えたら、土地・道路に余裕のある北海道では、SCは何も国道沿いである必要はなく、駅前の立地であっても、渋滞もなくクルマで来てくれるのですね。それに鉄道利用の高校生・外国人も取り込めますから、商売としては、この上ない立地条件を満たしていると思いました。

  2. 総本家青信号特派員さま 井原さま
    人が考え付かない、即ち常人にあらざる行動をするのはDRFCクローバー会の伝統?で、皆さん一つや二つは身に覚えをおもちでしょうが、しかしよりによってよく今冬のような多雪に行かれたものだとその行動力に感服いたします。小生も半世紀前の厳冬期にウロついた経験がありますが、大雪が降った後ならともかく、吹雪いたり暴風雪になったりすると交通機関が運休し、旅程を変更せざるを得なくなりたいへんな思いをすることになります。よくぞご無事でご帰還なさったと安堵しました。
    小生の経験ですが、1999年の3月上旬に釧網線SL冬の湿原号C11を撮りに行った際に、撮影後の夕刻から吹雪いてきたため予定していた釧路→千歳JAS最終便が欠航、急遽丘珠へのANKYS-11最終便へ振替えたものの、前便の到着遅れ~除雪作業等で宿泊予定の小樽へ着いたのは22時30分でした。なぜ小樽泊としたかですが、翌朝に走る山線回りの臨時夢空間北斗星号も羊蹄山をバックに撮るつもりで、早朝小樽出立を計画していたからです。しかし余りの大雪と前日におきたスケジュールの大幅狂いなどですっかり写欲を削がれうえ、とんぼ返りで午後の千歳発便に乗る予定だったこともあり、足止め等を懸念して夢空間北斗星は諦めざるを得ませんでした。余談ですがせめて雪景色でも見てから帰ろうかと特急で帯広往復を企図したものの、Sとかちは運休し復路に予定していたSおおぞらも2時間遅れで、この案も没になりました。ことほど立ち往生に近い状況に置かれることもあるわけです。改めてご無事でなによりでした。
    さて50年前との対比写真を見ると、電化や車両の進化など感慨深いものがありますね。旭川規模の駅でさえ駅は立派になったのに寂しい感じが漂いますが、実際にローカル列車に乗ってみれば、それこそ空気を運ぶような有様に愕然とします。それだけに合宿時やその当時に撮った写真や経験は、今となってはSLに限らず貴重な想い出が詰まった宝物だといえますね。

    • 1900生さま
      いつもコメントをいただき、ありがとうございます。はい、常人あらざる行動でしたが、寒さや雪に対する対策も進化していること改めて思いました。以前のような、死に直面する?ような難渋ぶりはありませんでした。列車の運休・遅延も、ラッキーなことに、ことごとく回避しながら、ほぼ予定どおり旅行が出来ました。宗谷本線では、全線乗った翌日には、「サロベツ」が雪塊に突っ込み、音威子府以北が終日運休、根室線に至っては、乗った列車のつぎから大雪で運転抑止になるなど、うまくくぐり抜けられました。1900生さんからは、北海道の特急列車で、座席の選好が、本州とは異なるなど、興味深い話を聞いており、今回、それも実感しました。

      • さすが百戦錬磨の総本家特派員さま、中々しぶといですね。危機一髪をくぐり抜けられて、いやはや強運の持ち主と改めて認識しました。
        何もなければ雪景色もいいものですが、一旦ことに遭遇すると地獄になりかねません。厳冬期の北海道へ向かわれる方はくれぐれもご注意のほどを。

  3. 総本家青信号特派員様
    イオンモールと駅の寂しさは興味深い対比ですね。1900生さんのような経験は中標津空港でしました。飛行機諦めて札幌行きスハネ16の急行に変更したことがあります。それにしても総本家さんは無事に旅行されましたね。私は中国で死にかかって以来比較的安心できる国内旅行でも気になることがあります。冬に山形へ行っても米坂線は豪雪で危ないと思いいつも訪問を躊躇していますし、総本家さんが前回報告された羽越線の秋田に近い日本海側も強風で止められたことがあります。東海道線の根府川鉄橋でさえ強風の時は怪しくなります。日本国内なら死ぬことはないと思いますが、それでも福井の豪雪による自動車内死亡事故など特に高齢者は注意しないといけないですね。新潟の新型電車の雪害事故も気になりました。旭川は神居古潭のC57201保存機撮影以降行っておりません。

    • 準特急さま
      中国での恐怖の体験は、以前にも伺ったことがあります。宗谷本線には各駅にはJR北海道の「撮影は安全にルールを守って行なうこと」の警告文が貼ってあり、過去に事例があったように見えました。私も、この歳になって、“命だけは”の思いが強くなり、安全第一、写真第二の行動をしたつもりです。最後にお書きの神居古潭も、いまは長大トンネルで一気に抜けてしまい、C55、C57で渓谷沿いを行った光景も、遠い過去の思い出と再認識しました。

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