“平成”の思い出 鉄道の記憶 〈8〉

廃止予定の大社線に乗る
平成になってからの時代、一人で遠隔地へ行くことは不可能な時代でした。辛うじて、家族旅行の際に、乗り鉄を楽しむ程度でした。大社線に乗ったのも、そんな理由でした。大社線は出雲市~大社7.5キロの路線で、出雲大社への参詣線として、国鉄時代、運転時期は違うものの、東京から「出雲」、名古屋から「大社」、大阪から「だいせん」が直通で運転されていた由緒正しき名門路線です。ところが、JR化後、特定地方交通線の第三次廃止対象路線に指定され、平成2年4月に廃止されます。かつて直通列車があったのに、廃止されたのは大社線だけでした。その前年、平成元年8月の夏休みに訪れた時は、最後の賑わいを見せていました。神社様式の堂々の木造駅舎、大正13年の二代目駅舎だが、大社線廃止後もそのまま保存され、国の重要文化財に指定されている。

二面三線の構内、長編成の急行列車が発着しただけに、ホームの有効長も長い。訪れた時は、使用されていたのは本屋側のホームのみだった。

廃止前は、もちろん各地からの乗入れ列車はなく、大社線内だけの折り返し列車のみだった。

夏休み中とあって、単行のキハ40からは、驚くほどの乗客が降りてきた。

駅前でも廃止前のイベントが行われ、結構の人で賑わいを見せていた。

駅舎内部、いまも保存公開された内部は、休日には喫茶店などが営業しているそうだ。

(左)駅名標は今でもそのままに置かれていると言う。(中)早くも廃止の告知紙が貼られていた。(右)駅前の交番までが神社様式だった。

当時はバスも熱心に撮っていた。行先幕表示も今となっては貴重。

かつての大社線

初めて大社線に乗ったのは昭和39年8月、ちょうど、今般の水害と同じぐらいの規模の水害が山陰地方であり、山陰本線はズタズタ、2ヵ月ぶりぐらいで、ようやく開通した直後だった。大幅遅れの大阪発大社行き準急「伯耆」に乗って初めて大社線に入った。牽引機は、これではよく分からないが、米子区の化粧煙突で有名なC5180だった。

大阪発「だいせん」がC11のバック運転で大社駅に到着する(昭和46年9月)。

到着した「だいせん」は、C11が正向になって、出雲市に回送されて行った。

 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈8〉」への2件のフィードバック

  1. 特派員様
    C11牽く「だいせん」など貴重な写真をありがとうございました。平成18年1月9日に大社駅跡で撮影したD51774を添付します。同機は昭和50年1月25日に浜田区で廃車になった機です。現在もこのような状況かどうか判りませんがご参考まで。

  2. 西村様
    大社駅跡で保存中のD51774の写真、ありがとうございます。ネット情報ですと、同機は今でも大社駅跡の3番ホーム側に保存されているようです。大社線は直通列車も走っていましたから、D51も入線可能な線路規格だったと思いますが、入線の記録はあるのでしょうか。

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