【95048】 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈4〉

信楽高原鐵道に初乗車

平成に変わって初めての春に、信楽高原鐵道に乗車しました。昭和62年7月に、国鉄信楽線から第三セクターに転換され、1年半経ってからの初乗車です。信楽線は貴生川~信楽の14.7kmで、鉄道敷設法76条に「貴生川ヨリ加茂ニ至ル鉄道」として挙げられた区間の一部として、昭和8年に開通しました。戦時中は、不要不急の路線に指定され営業休止、戦後に運転を再開しました。国鉄再建法では、第一次廃止対象線区に指定され、昭和62年7月13日、第三セクターとして転換開業しました。

貴生川駅に到着した203号、開業時に201~203が登場した。当時、貴生川ではJR線とつながっており、ホーム番線もJRに準じた0番ホームになっている。(以下撮影、平成元年4月7日)。

貴生川10時40分発の列車に乗り、信楽に到着。200形は富士重工製のLE-DCの第一陣であり、LEは、ライト・エコノミーの略、塗色は白地ベースで、陶器の炎「赤」と紫香楽の「紫」を表現している。のちに204、205が増備された。

信楽駅の203号。JRの乗入れDCと正面衝突する大惨事を引き起こすのは、この2年後だった。この事故で202、204が廃車となるが、軽量車体が被害を大きくしたため、全車廃車され、車体を強化した300形以降が製造される。信楽は、平成26年の末にクローバー会員と現役生とともに訪れたことがある。この時も水害で鉄橋が流されて、一時は廃止の噂まで立ったが、鉄橋が架け替えられて復旧した直後だった。

信楽へ来たのは、このボンネットバスに会うためだった。以前は、静岡県蒲原町教育委員会の所有で、東海道本線の蒲原駅から蒲原中学までのスクールバスとして使われていた。昭和52年に新蒲原駅ができて、距離が短縮されスクールバスは廃止され、近くの解体業者に放置されていたが、これを発見したバスファンが購入、理解のある、信楽の自動車整備工場まで回送されて来たところだった。その後、後部の三枚窓のみ部品取りされて、現在、丹後海陸交通のボンネットバスに活かされている。バスついでにもうひとつ、信楽駅前には、現在では見られない、西日本JRバスが発着していた。前記のように、信楽線は加茂まで計画されていた関係で、未開業区間の信楽と加茂を結ぶ、国鉄バスが以前から営業していた。その後、路線が延長されて、奈良~加茂~信楽~貴生川の本線や、石山への支線などを含めて、近城線と呼ばれる路線網を形成していた。「近」は近江、「城」は山城である。当時は信楽~加茂の区間運転が多かったが、平成14年にすべて撤退している。

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