【99074】 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈6〉

横サボを鑑賞する

客車らしさを演出する小道具として、車体に書かれた標記、取り付けられた表示板があります。なかでも車体の中央に下げられていた、引掛け式の行先方向板、通称“横サボ”は、その代表です。鉄道趣味のジャンルも構成していて、私はさほどの執拗さは持ち合わせていませんが、恰好の蒐集品対象にもなっているようです。以前の趣味誌に、“これによって旅客車に魂が入る”と書かれていましたが、まさにそのとおりで、サボが吊り下げられるだけで、生きた客車を感じて、サボの行き先を見ては、見知らぬ地への思いを馳せたものでした。なかでも、青地に白文字、琺瑯製のサボは、茶色に塗られた客車とは絶妙のバランスでした。
琺瑯製のサボのなかでも、毛筆体のものは、昭和30年代初頭まで製作されていたと言われ、昭和40年代後半でも、この写真のように、北海道や東北では見られた。達筆で書かれたサボは、昔の職人の技を感じたものだ。琺瑯は、金属の表面にガラス質の釉薬を焼き付けたもの、今でも、JR北海道の柱部の駅名表示に使われる。


こちらは、肥薩線人吉~吉松で使用されていたWルーフのスハ32のサイド、蒸機の煙が客室に入るのを防ぐため、通風器が撤去されている。サボは、毛筆体に代わる、国鉄制定の「すみ丸角ゴシック」で、角ゴシックの端部の隅にアール(丸み)がある。ローマ字は表記されていない。
こちらも国鉄書体のサボ、一応、書体見本はあったようだが、サボは不足・追加が生じると、客車区で独自に製作していたようで、当然、書き方に巧拙があって、さまざまな書体が派生した。

客車の端部も、優等列車になると、種別、愛称、号車の案内札があった。すべて差し込み式だが、普通列車には無い札だけに、乗り込む時には、ちょっとエリート気分を感じたものだ。

これがグリーン車(一等車)となると、扉上部にも等級表示が入って、夜になると照明で浮かび上がり、さらにゴージャスになってくる。右は中央に扉のあるオロハネ10の表示類。

 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈6〉” への16件のコメント

  1. なにか「美の壺」みたいな「客車の壺」 だれか入口の上のひかるのを模型で作って~

    • どですかでん様
      扉上の行灯式の等級表示ですが、斜めに付いていますね。乗客の目線と合うように、斜めにしたと思います。鉄道車両のなかでは珍しい取り付けだと思います。これも、客車の“美の壺”でしょうか。

  2. 総本家青信号特派員様
    いつもお褒めのコメントで恐縮ですが、いろんな切り口で感心しております。凡人の私などフィルム代が勿体ないと思ってこの手の写真は皆無です。サボなどを収集することもなかったですが、上越線経由秋田行きとか筑豊線経由熊本行きなどは旅情を掻き立てられました。スハフ3244のリベットもいいですね。客車としてはスハ43系に好んで乗車し小さい窓のスハ32系は敬遠したものですが、こうやってサボまわりの写真を見ますとスハ43系よりも見栄えがしますね。

    • 準特急様
      サボは、収集に熱心な人もいますし、撮影対象として熱心に記録している人も知っています。私は、そのどちらでもなく、たまたま撮ったに過ぎませんが、改めてこうして見ますと、たいへん興味深く、もっと熱心に取り組んでいたらと悔やんでいます。お書きのように、サボに「◎◎線経由」と矢印の下に書かれたものもありました。たとえば、上野発青森行きは、最盛期、常磐線経由、東北本線経由、奥羽本線経由、さらには上越・羽越線経由もありましたから、必須の表示でした。行き先、経由を見て、改めて旅情を感じたものです。褒めていただいくのは、何度でも嬉しいものですので、これからもよろしくお願いします。

  3. 総本家青信号特派員さま

    待ってました!
    サボのお話。
    サボに魅せられて、はまってしまったデカンショまつり号です。
    青い琺瑯の客車用サボはなんとも言えない魅力があります。集めているサボをみると、大阪から、三角や人吉、早岐、三島などに行く客車列車があったことがわかります。三島なんて、エキスポこだまに使われていたものと思われるます。これらが実際に使われていた頃の客車列車の写真を撮影したかったです。

  4. デカンショまつり号さま
    コレクターとして著名なデカンショさんからのコメント、ありがとうございます。三角、人吉、早岐、三島、すべてサボをお持ちなのですか、すごいですね、デジ青上でも、ぜひ披瀝してくださいよ。「エキスポこだま」、ありましたね。在来線の夜行で三島まで行き、三島から始発の「こだま」で東京へ行くものでしたね。当時は余剰気味だった一般客車の万博輸送の妙手でした。

    • 総本家青信号特派員さま
      ご自身や皆さん仰るように、改めてサボや表示類を眺めてみると、「有る」のが当たり前で普段見慣れていたそれらがいかに「名脇役」だったかを再認識させられました。列車・車両しか撮っていなかった者には悔いが残る写真ばかりです。こういう細かいところまで目を配り、記録に残されたことに頭が下がる思いです。
      ところで「エキスポこだま」号ですが、何かで読んだところでは、万博輸送がパンクしそうだったため、東京への臨時夜行を計画したことが発端だったようです。各地から客車を搔き集めたものの10両余りの1編成分しか確保できず、このため連日の運転を確保するため、三島始発のこだまに目を付け、これに接続することにして客車はすぐ大阪へとんぼ返りし、なんとか同夜発に運用したようです。当時なら旧客は余剰気味のように思いがちですが、万博輸送はそれほどまでに逼迫していたのでしょうね。

      • ご無沙汰を致しました。小生、エキスポこだま号に乗車し、編成を採録したので、お目に掛けようと思いましたが、デジ青の速度は、リニア並みに速い! 探し出しましたが、昔の話題になってしまいまいました。ご勘弁ください。乗車したのは、昭和45(1970)年7月18日。記録を読むと、「銀河71号」にするか、「エキスポこだま」にするか。迷ったが、珍しさをとって、エキスポにしたとあります。これがご覧のようなトンデモ編成でした。FE58に連なっていたのは:スハフ42158+オハ47114+オハ47312+オハ47133+スハ43235+オハ47308+オハ477+オハ46508+オハ47166+オハ47155+オハ46509+ナハフ1015と、12両編成中、9両が
        オハ46と47でした。
        料金は、大阪~三島のこのエキスポ号が、急行+指定席で¥400、接続する三島からの新幹線は、自由席で¥300の合計¥700。始発の大阪では、40%位の乗車率だったが、新大阪で満員に、こんな「ポンコツこだま号」が、満員になるとは、やはり万博輸送は逼迫していたんでしょう。

        • 宮崎繁幹さま
          コメントを戴き恐縮です。貴重な情報と体験記を有難うございました。
          ご紹介下さいました「トンデモ編成」の出所(配置区)が気になってちょっと調べてみました。手元には1年後の1971年版の車両配置表しかありませんが、念のためと思いそれで調べてみました。するとなんたることか、全車天リウ(龍華)配置車だったのです。見事!というほかない結果でした。搔き集められたと聞いていましたから、初めは東海道線筋の南シナあたりから調べだしましたが、沿線区には当然ながら電暖車(2000番台)の配置が多く、名ナコ、大ムコ、大ミハときても中々見つかりません。天王寺局管内に入ってやっと龍華と判明した次第です。全国はまだしも少なくとも西日本から「搔き集められた」と思い込んでいたのが、実際は龍華区内のあちこちから搔き集められたのが事実のようでした。尤も前年に各地から搔き集められたものが翌年配置換えになった可能性がないことはありませんが、12両揃って龍華にというのは余りに不自然なので、前記の推定はほぼ間違いないと思います。余談ですが編成調べの楽しみはその当時の編成の記録性と、時折?と首をかしげるような車両が入っていることを見つけることにあったと思っています。

  5. スハフ3244の写真を見て思い出しました。
    昔の客車の内側にはブラインドがありました。この客車は旧型ですから「鎧戸」です。他にも細かい網戸が上から下ろす方式もありました。これは顔が触れるとススでほっぺたが汚れるのでいやでしたが、トンネルが続く地域でも何とか外が見えたので鎧戸よりもまし。その後、ロールカーテン式になってバネで上方のボックスに巻き上げられる方式になり今に続いています。
    ところで、ここで写っているスハ32の鎧戸は窓の上の「幕板」部分に収納されているものですから、少し上下に隙間が出来ます。もう一つ下方に(腰板)降下格納される方式の鎧戸は窓のサイズに合っていたと思います。市電500型もこの方式ではなかったでしょうか。

  6. サボには終着駅名ばかりではなく、用途(?)を示すものがありました。私が持っているのは「行商指定車 ○旭」です。石北本線か宗谷本線で使われていたものでしょう。これの実際の使用中は見たことがありませんが、西村さんは写真を撮っておられます。
    山陰本線下関口の行商人用客車を見たことがありますが、他にも各地にあったのでしょうか。
    似たようなものに、戦後間もない頃、「婦人☆こども専用車」なる札を窓に掛けていたことがあるそうです。
    名古屋大須の秘宝館や大阪通信員さんはもっとすごいものを秘蔵しておられるかもしれません。

  7. 井原実さま
     珍しいサボですね。割烹着のおばさんが乗り込んでるのが眼に浮かびます。
     私はこんなんしか有りまへん。裏面は荷物車です。荷物車は手荷物・小荷物を運ぶ車両ですが、手荷物・小荷物の区別は解りますか。国鉄時代にはチッキという制度があり、それなりに国民に親しまれてましたがクロネコに食べられてしまいましたね。
     さて、回送車のサボですが、掲示板99037客車のある風景・超大編成の巻の最初の画像に、EF61の次にあるのは回送車だと総本家特派員さんが説明されてます。そのようなときに装着されてたのでしょう。吊り下げ式ではなく、差し込み式なので、指を引っかける穴がふたつ空けてあります。スハ44系特急用客車や80系湘南電車あたりから差し込み式が始まったように思いますが、高崎局ではどのような使われ方をしてたのでしょう。

    • このサボの幅(左右長)はどれくらいでしょうか?下の線路が1067㎜だとして1200㎜ぐらいでしょうか?国鉄の最大窓が1200㎜ですからスゲ~でかいサボですな!

      • 荷物車のサボの左右長は、一尺八寸です。横に煙草の箱でも置いとけば良かったですね。誰でもわかる楽しい掲示板になるよう心掛けます。
        線路の軌間は38cm軌条は9㎏で、昭和時代に本邦各地の遊園地などのお猿の電車などに見られたものです。
        国鉄最大の旧型客車の窓には、オロ36というさらに10㎝も長い1300㎜の大窓を持った二等車がありました。窓の開け閉めが大変だったでしょう。

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