鉄道少年の時代に戻ってみる  〈4〉

叡電を撮る

小さい頃の身近な鉄道と言えば、すぐ近くの京都市電に尽きますが、余りにも身近すぎて、撮影の対象ではありませんでした。“やっぱり専用軌道を走る、大きな電車を撮りたい”。となると“叡電”に行き着きます。ひとつの行政区内で完結する珍しい鉄道であり、徒歩圏内で始発駅に行けるとあって、中学生になると、よく出掛けることになります。懸賞でカメラが当たったことがあり、喜び勇んで行ったものの、目も当てられない酷い写りで、さすがに公開は気が引け、何とかマシなものに限定して見ていただきます。

叡電宝ヶ池駅の南にある修学院7号踏切。ポール姿のデナ21が出町柳方面へ向かって行く。比叡山の山麓には青々とした田圃が広がっていた。その後、急激に市街地化が進み、当時は修学院までだった白川通が延長されて、叡電を乗り越す高架橋もできて、同じ地点から見る光景は激変してしまった(以下、昭和39年8月)。

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7年半のトレインビューを振り返って 2

② 回送(北びわこ号)
引っ越しから2ヵ月ほど経った3月の土曜日。買い物から帰った家内が「踏切にたくさんの人がカメラを構えている」と伝えてくれた。私はそれまで「調子踏切」のことを知らなかった。「何か珍しい電車でも走るのかなぁ」と私は椅子とデジカメを窓際に置いた。30分ほどしてEF65に牽かれた12系客車がゆっくりと走って来た。

2017年3月4日撮影

北びわこ号は1995年から2019年11月までの観光シーズンに米原~木ノ本間を走っていた列車。牽引は主に梅小路区のC56160が担当し、客車は宮原区の12系5両が任務についた。北びわこ号運転の前日に、EF65牽引で12系が回送されてきた。

2018年8月18日撮影

上りの通過時間は13時台で自宅や調子踏切からは半逆光だったが、上手く収められた。5両編成の最後にテールマークがついているのが、イベント列車らしく華やいだ気持ちになった。反対に運転を終えて12系5両が宮原へ戻る姿は1度だけ17時台に見たことがある。

2018年7月21日撮影

北びわこ号回送以外にも2020年ごろまでは、ほかの地域を走っている電車や列車が自力で回送する姿が見られた。普段見ることが出来ない電車は、例えそれが回送であっても、ワクワクしたものだ。下の写真は和歌山地域色(であろう)のモハ105系。(続く)

2017年4月4日撮影

 鉄道少年の時代に戻ってみる  〈3〉

開館した交通科学館へ

昭和37(1962)年1月、大阪環状線弁天町駅前に、交通科学館が開館しました。小さい頃から、東京には交通博物館があるのに、なぜ関西には無いのかと、いつも恨めしく思っていた私にとっては待望の開館で、その直後に見に行きました。当初の予定では、昭和36年に開館と新聞で知り、勇んで行ったものの、工事中で見ることができませんでした。あとで分かったことは、この年の第二室戸台風の被害で、工期が遅れていたとのこと、それだけに待望の開館でした。中庭に展示されたC5345、最終のC53廃車機に当たり、解体予定のところが変更されて、教習用として国鉄吹田教習所に展示されていた。交通科学館の構想が上がり、同館の目玉として展示することになり、鷹取工場で、自走可能な状態に復元工事が行われた。しかも本線で客車を牽いて、鷹取~吹田で二日間公開運転された。そのあと、龍華から大阪臨港線の大阪港まで自走し、そこから陸送で、交通科学館に収まったと言う。ただ現役時代のC53を知らない小学校6年生にとっては、三気筒の歴史的な名機と言われても理解できず、デフが無いのは、日頃見るC51やC57と決定的に違い、どうしても馴染めなかった。

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帰ってきた米手作市

デジ青読者の皆様、
永らくのご無沙汰です。
巷には「米手は死んだらしいで!」との噂が出回っていたとか。
どっこい生きております。

実は昨年の後半頃から家内の体調が悪くなり、手術を繰り返しておりました。幸い生死にかかわるような事ではなかったのですが、やはり痛がったりしていると出歩くのは気が引けてしまいます。
さらに我が家が娘夫婦による乗っ取りに合い、彼女のマンションと交換することになりました。そしてその引っ越しの直前にまたまた家内の手に菌が入り、さながら豚足のように晴れてしまったのです。古い会員の方はご存じですが家内は免疫抑制剤を使い続けないといけないため菌に感染しやすいのです。結果引っ越しは私一人で荷造りから開封、設置まで一人でするハメになり、更には炊事洗濯までこなすスーパー爺さんになりました。

やっと家内の手も収縮しはじめて久しぶりにデジ青の画面に向かっている次第です。
宮崎繁幹さん、河 昭一郎さんはじめご心配いただいた会員の皆様、お礼とお詫びを申し上げます。

再開してもなにも資料が準備されていませんので、しばらくはコメント欄で構内試運転をする程度になりますがよろしくお付き合いをお願い致します。

最後にあたらしい我が家からの絶景をご覧に入れてご挨拶と致します。

※東寺の五重塔を背景に特急サンダーバードを追い抜く新幹線N700S。屋根はJR貨物・梅小路駅。毎日青い機関車が牽く22両のブルートレインや緑色の「青大将」更にはブドウ色の列車が行き交います。
ジョイントの音を聞きながら、お休みなさい。

ダイアグラムをエクセルで描く

先日のサロン会で、「ダイアグラムをエクセル上に表示できる」と口走ってしまった。四半世紀ほど前の話になるが、脱サラした際にパソコンやプリンタは必需品であったが、使用頻度の少ないプロッタを購入するか否かで悩んだ。プロッタとは、座標値を与えて直線や円などの図形を紙の上に作画する機械である。当時、私の書く1本のプログラムの中ではプリンタやプロッタへの出力コマンドが7割程度を占めており、このネックを解消すべく計算処理後の結果のみをエクセルに渡して表示させたり、印刷ツールとしてエクセルを使うようにしていた。この延長戦上で、エクセルのシート上に図形描画機能を使って作画し、印刷できればプロッタを購入する必要もなくなる、と考えたのがキッカケである。 続きを読む

駅名喫茶店(第112回:蒸し暑い日こそ駅名で涼みましょう(駅名読み方クイズ2))

好評(?)だった駅名読み方クイズをもう20問。今回は定番の問題も含めています。西院は、阪急京都線では「さいいん」、嵐電では「さい」と読み分けます。同様に、木幡もJR西日本と京阪で読み分けるのですが、皆さんご存知でしたでしょうか。 続きを読む

7年半のトレインビューを振り返って 1

プロローグ
2016年12月、埼玉から実家のある長岡京市へ引っ越した。高齢の両親はまだ健在であったが、徐々に世話のかかる状態になっていた。この時に紹介された賃貸マンションが、JRの線路際。しかも自室・ベランダからも、共用の廊下からも撮影可能なトレインビューの住まいだった。東海道本線 長岡京~山崎間にある「撮影の名所」調子踏切から100mほど北に位置した。

引っ越しのタイミングで、東京での仕事を退職の予定が、会社の厚意によりパソコンを使った「長距離在宅」を任命され、2020年10月までの約4年間は会社員の肩書でトレインビューの自室で勤務をしていた。この間やその後いくつかのライフイベントがあり、母親と義父は他界した。そして2024年4月、同じ長岡京市へ転居した結果、トレインビューも見られなくなってしまった。 続きを読む

東日本乗るだけ5日間の旅

巷では「青春18切符」の廃止が噂されているがJR東日本の「大人の休日俱楽部パス」もどうなるか心配である。「大人の休日俱楽部パス」はJR東日本管内各路線を連続4日間乗り放題で座席指定が6回分ついて15270円と格安であったが、今回からは1日延びて5日間になり料金も19800円(えきネットで購入の場合は1000円引き)となり1日あたりにすると少し安くなったが高齢者が5日連続は厳しい。さらに東日本+北海道27620円というものもある。JR東日本では新幹線の「はやぶさ」「こまち」「つばさ」と在来線の中央、常磐、伊豆方面、高崎・吾妻線関係はオール座席指定となり少し利用に難がある。そんなこんなでブツブツ言いながら梅雨に入った6月24日(月)から28日(金)迄の5日間日帰り乗り鉄に挑戦してきたので1965~6年頃の関連写真を含めて若干の報告をさせていただく。後期高齢者なので①乗り鉄に徹する、②撮影は駅付近に限定し無理しない、③宿泊料金高騰で日帰りとするという方針で一人旅に出かけた。

(1)1日目6月24日月曜日は自由席のある列車利用でアルピコ交通(松本電鉄)上高地線の一番手軽な信濃荒井の鉄橋で撮影することにした。東京からは9時4分発E7系「あさま605号」で10時41分に長野に着く。直ぐに話題の敦賀行「かがやき507号」が到着して発車して行ったが撮影し損なう。次に篠ノ井線11時発名古屋行き「しなの10号」に乗る。勿論JR東海の383系である。塩尻まではJR東管内ということで大人の休日パス利用が可能でよく利用する。アルピコ交通は2本とも元東武20000型、20050型の20100系に変わっており京王井の頭線3000系は出番がなくなったようだ。20100系は京王重機で改造したためかシートは京王8000系と同じ緑色模様である。何れも中間車改造なので運転室を新設している。帰りは松本14時6分発「しなの11号」で長野からは15時25分発「あさま622号」に乗車した。「あさま」の車両はJR西のW7系で東京着は17時12分であった。晴れて蒸し暑かった。渚₋信濃荒井間新島々行き20102+20101。▼

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デジタルカメラ元年、2004年(大阪駅)

デジタルカメラを使いだして20年経ちました。ついこの前のようですが月日が流れるはやさを改めて感じます。その前年の2003年にコンパクトタイプを借りて使ってみると、先入観と違って結構使えるな、と思いましたが、当時のニコンD100やキャノンEOS10D等のデジタル一眼レフはまだ高価でした。ところが程なく、手が届く価格帯でキャノンからEOSkissデジタルが、ニコンからD70が出て、フィルム時代にニコンを使っていたのでD70の購入に踏み切りました。普及機ということもあり、ルーフミラーのファインダーやバッテリーパックが用意されていない、など割り切った部分もありましたが、JPEGなら秒3コマで、何十枚も連写が可能なバッファ容量があり、高速連写と高感度撮影に拘らないのなら今日でも使える機材です。併せて、同時期にミノルタのディマージュA1というレンズ一体型のデジタルカメラも入手しました。余談ですが、デジタルカメラ界は激烈な競争で、ミノルタカメラはコニカミノルタとなり、さらに一眼レフ部門をソニーに売却し、デジタルカメラから撤退してしまいました。鉄道のサイトなのでこれ以上は止めときますが、その後もフィルム時代の名門カメラブランドの消滅やカメラ部門売却が続出しました。カメラという機材自体に鉄道と同じくらい関心がありますので、興味のある方は機会があればお話ししましょう。さて、前置きが長くなってしまいましたが、2004年4月11日の大阪駅での写真をご覧いただきます。何気ないスナップのような写真ばかりですが、20年経てば随分変わったなあ、と思います。この日の写真は全てディマージュA1で撮影したものです。

東海道緩行線の205系、今なおこのカラーを奈良線、京都駅で見ることが出来ます。 続きを読む

駅名喫茶店(第111回:たまには駅名で涼みましょう(駅名読み方クイズ))

仕事の都合でサロンに参加できなくなったのが残念です。当日は駅名喫茶店の小話を紹介しようと企んでいました。せっかくなので、その一部である駅名読み方クイズを披露させていただきます。

最近総本家さんの投稿で話題に挙がった「大嵐」や高級肉のランクのような「特牛」は鉄道ファンにとっては馴染みのある駅名でしょう。今回はファンでも読み難いマイナーな駅名中心の紹介です。 続きを読む

 鉄道少年の時代に戻ってみる  〈2〉

京都駅で「こだま」

京都で育った鉄道少年にとって、京都駅へ行って写真を撮ることは、自然の成り行きでした。新幹線の開業前、東海道本線には、最新の鉄道車両が走り、ホーム端へ行くと、山陰線のC51が見られるなど、最新電車から蒸機まで揃った京都駅に、少年の眼は輝きました。なかでも「こだま」に代表される151系電車は、みんなの憧れの電車でした。東海道線時代の「こだま」型に乗ることは叶いませんでしたが、豪華な車内を羨ましそうに見て、列車を撮影するだけで、胸の高鳴りを感じたものでした。鉄道写真アルバムの第1ページにもこんな写真が貼ってありました。昭和36年8月3日朝7時30分、上り「第一こだま」が京都駅1番ホームに滑り込んで来た。稚拙な写真だが、特徴あるホーム屋根から京都駅と分かる。と言っても「こだま」に乗った訳ではなく、近々家族で箱根への旅行を計画していて、列車の混雑具合を確かめるため、父とともに京都駅へ来た。「こだま」が昭和33年にデビューし、その後も「つばめ」「はと」「富士」と電車特急が増発されるが、電車特急の人気は高く、2週間前発売の指定券はすぐに売り切れていた。勢い、自由席のある急行に目が向くが、これも満員になる。交通公社の時刻表には、優等列車の前年同月の乗車率が載っていたが、8月は、東海道本線の主要な急行は軒並み100を超していた。とくに京都から東上する場合、大阪で乗り込まれると座れる可能性は極めて低い。そんな状況のなか、それを確かめるため京都駅へ来て、乗るアテもない「こだま」を写したということである。

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 鉄道少年の時代に戻ってみる  〈1〉

京都市電北野線に乗る

ついに後期高齢者となりました。市から送られて来た「後期高齢者保険証」を感慨深く見入っていました。“高齢者”の前に“後期”が付く、紛れもない年寄りです。こんな記念すべき時期(?)に、デジ青でやるべきことは何か、やはり鉄道写真を始めた原点に戻ってみようと思います。鉄道写真を撮り始めてから、もう65年の歳月が流れました。親に買ってもらった子供向けのカメラで小学校の時から写し、鉄道を撮った写真は抜き出してスクラップブックに貼り付け、自分だけの鉄道アルバムを作っていました。最初のページには、昭和36年廃止の京都市電北野線の写真が貼られていました。2022年開催の第9回クローバー会写真展のサブテーマ「私の蔵出しお宝写真」に出品した、堀川丸太町に到着する京都市電北野線の写真は、文字通り、自分で最初に撮った鉄道写真第一号だった。(以下、昭和36/1961年6月25日)。

 

 

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 消えゆく老舗書店 熊本と京都~路面電車あれこれ噺⑲

路面電車が走る街で、撮影のため歩いていると書店と出会うことがあります。なかでも、地域に根ざした老舗の書店・古書店は大好きでした。撮影の手を止めて、入ってしまうこともあり、地域ならではの地方出版物のなかから鉄道関係の書籍を見つけて思わず買ったこともありました。ところが、街の書店がどんどん減ってきて、社会問題化しています。もう、路面電車と書店のある光景も過去の思い出になろうとしています。熊本市にある、創業150年を迎える老舗の書店が閉店すると言うニュースを耳にしました。真ん前を熊本市電が走ると言う絶好のロケーションでした。熊本市中央区、熊本市電の上熊本線「新町」電停前の「長崎次郎書店」。真ん前を上熊本線の3・8系統が通っている(以下、2016年2月12日)。

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 仙台駅前で定点対比する ~路面電車あれこれ噺⑱

少し前、三陸・大槌を訪れる途中に、仙台駅前へ寄って、昭和51(1976)年まで走っていた仙台市電を、同一地点からの対比を試みました。今まで、何度か仙台へは行ったものの、駅前の巨大なペデストリアンデッキに阻まれて、定点撮影は不可能と思っていましたが、改めて地上から対比すると、たしかにデッキは邪魔にはなるものの、意外と市電時代の街並みが残っていました。

仙台市電は、路線延長16キロとごく小規模ではあったが、茨城交通、琴参電鉄、呉市からの転属車や仙台のオリジナル車など多彩だった。車両は200形211号、昭和29年から製造された前中扉の軽量車で、201~211の11両があった。前面は2枚窓だが、後期車は写真のように非対称となった。仙台を特徴づけるセンターポールも見える。

青葉通が交わる駅前の地上へ行って定点対比すると、デッキの合い間から、何とか定点対比ができた。すっかり変わってしまったように見える駅前だが、よく観察すると、左の「宮城ビル」は外装は新しいが、躯体はそのままのようだ。正面には、市電時代には地場の百貨店、丸光デパートがあった。そのあと、2002年に、さくら野百貨店となったが、倒産し、建物はそのまま残っている。

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紫陽花の季節

今日6月21日は近畿、東海、関東甲信越はいつもの年より遅れて梅雨入りとなった。晴天順光が好きな私であるが、雨に濡れた紫陽花もいいのではないかと思いいつもの箱根登山鉄道大平台に向かった。雨となると高齢者はかってを知った場所にして安全に注意すべきと考えた。少し前に撮った京王井の頭線と共に発表してみる。

2024.6.10高井戸-浜田山間各停渋谷行き1734▼

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 豊橋市内線の支線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑰

豊橋鉄道 柳生橋支線

路面電車に関わる小ネタをしばらく綴っていきます。先般行われた豊橋ツアー、もう一ヵ月が過ぎての後出し投稿で失礼します。丹羽さんからは、本欄でも貴重な豊橋市内線を紹介していただき、旭川電軌や三重交通神都線から来た貴重な車両を紹介していただきましたが、私も、過去に一度だけ、豊橋市内線の車両を撮っていました。かつての柳生橋支線を走っていた3700形です。

現在、豊橋の市内線は、先日みんなで乗った駅前~赤岩口・運動公園前の東田本線だけですが、以前は駅前~市民病院前、新川~柳生橋の2支線がありました。駅前~市民病院前は昭和44年に休止・廃止、もう一方の新川~柳生橋0.9kmの柳生橋支線は、昭和51年廃止で、私も直前に短時間撮りに行きました。そこで走っていたのが、日本最初の半鋼製電車と言われる3700形でした。柳生橋支線の廃止後も3702が生き残り、鉄道友の会「エバーグリーン賞」を受賞、平成19年まで「レトロ電車」として活躍し、廃車後は豊橋市こども未来館に保存展示されていることが、丹羽さんの原稿にも書かれています。

豊橋の駅前大通りをまっすぐ進んだ東田本線は、新川で左へ曲がり北へ向かう(写真の上方向)。その新川から分岐していたのが、手前の柳生橋線で、専用に走っていたのが細面のモ3700形(昭和50年6月撮影)。

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駅名喫茶店(第110回:特急南紀の停車する駅名)

今回は名古屋~新宮・紀伊勝浦間を結ぶ特急南紀に注目です。昨年、キハ85系が引退しました。その後はHC85系が充当されています。

愛知県・三重県・和歌山県の3県にまたがって走る南紀にぜひご乗車ください。

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 京都市バスに 6月から “観光特急”

京都市交通局では、6月1日にバス系統の再編成、ダイヤ改正を行い、社会問題化したオーバーツーリズムによるバス混雑の緩和のため、観光特急バス、EX100号、EX101号の運転を開始しました。ほかにも、朝ラッシュ時に、主要停留所のみ停車の「快速」や、観光客の多い東山、金閣寺方面の路線などを増便しています。観光特急は2系統あり、EX100号は「観光特急“楽洛”清水寺・祇園・銀閣寺ライン」が副称で、京都駅~五条坂~祇園~銀閣寺の往復、EX101号は「観光特急“楽洛”清水寺ライン」が副称で、京都駅~清水寺・五条坂の往復、いずれも主要停留所のみ停車で、運転時分の短縮も狙った。EX101は、京都駅を出ると、次は終点の清水寺・五条坂となる。

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