お盆休みの13日を利用して、大文字でスカタンな話題を提供する京都へと向かう。烏丸御池で開催の福田静二さんの写真展「市電の記憶 昭和の京都」ならびに五条河原町で開催の佐竹保雄さんの写真展と津田雅司さんの模型運転会共催の「東北を旅して」を鑑賞するためだ。一日に二度楽しめるコスパ満点の機会だ。
大阪市営地下鉄堺筋線日本橋駅から堺筋線に乗る。途中の市営と阪急の運転手が交代する天神橋六丁目駅のすぐ上にある大阪くらしの今昔館では世界的な鉄道マニアと云われる原信太郎翁92歳の特別展示「鉄道模型と極める-関西の鉄道-」が9月4日まで開催されている。ちょうど今日の日経夕刊に原信太郎さんの自作や収集された鉄道模型約六千輛のうち一千輛を順次展示する鉄道模型博物館が横浜市みなとみらい21地区に来年7月を目途に開設されるとの記事が載っていた。天六駅から昔の新京阪線となる。新京阪の旧天六駅ビルは解体中で高層マンションになる。立体交差工事がすすみ三階ぐらいの高架橋が散見する淡路駅で特急?に乗り換えるが盆休みでか混雑していて烏丸駅まで立ち席。しかし良く停車駅がある。京都市営地下鉄にひと駅乗って烏丸御池ギャラリーへ。
写真展の写真はすべてモノクロで福田調ただよう素晴らしいものである。安全地帯に溢れんばかりのお客が市電の到着を待っているのは微笑ましいばかりだ。今でも正月の初詣のときに阪堺電車の住吉大社停留所の安全地帯で、同じ光景が見られる。鉄道写真としてはもちろん、街の情景や服装・建物など記録写真としても貴重なものだ。少し奥まったとこにあるので多くの人に見て貰えないのが惜しい。
過剰装備の背の高い豪華ホームドアが設置された大赤字の地下鉄東西線と馴染めない配色になった京阪電車に乗って清水五条駅へ。地上へ出ると猛暑。報道に寄りますと、この日の京都市は全国二番目の暑さだったとか。二つめの目的地に着くと佐竹さんご夫妻・福田さん・津村さんのお顔を拝することができ、幸運だった。暑さにも負けず佐竹さんはお元気で、直々に写真の説明をしていただけた。懐かしい蒸気機関車や旧型客車列車、大好きだった薄幸のキハ55系準急色の写真を見る。また福田さんには阪堺電車撮影会など情報提供をいただきながら音信不通のお詫びをする。大阪通信員というのに通信しないと風評が立っているとお叱りを受ける。よってこの一文を熱帯夜のなかで発信する次第である。今春定年を迎えた津村さんは模型鉄道の社長に就任し悠々自適とのこと、ご要望があれば出張運転会が可能のようだ。キハ17系気動車・焦げ茶のDF50の牽くスハ32系客車などお若いのに通信員好みの渋い車輌があり気分良好。なお滞在中に、はるばる伊丹市からご婦人がトランクを引いて来場される。朝日新聞の紹介記事を見て、鉄道資料のチャリティに役立てて欲しいと「日本の電車」などの書籍と記念乗車券や東北新幹線開業メダルなどを持参されたのだ。最近お亡くなりになったご主人のものだとか。ちょうどお盆で旦那さまへの良き供養となれば幸いである。通信員のみならず、OB皆様もお盆を機会に、ご家族には収集品を安易に片付け屋などに渡さぬよう一言云っておかれることも肝要ではありましょう。
大谷廟へのお盆のお墓参りなのか五条大橋の東行きは長い渋滞。京阪電車に乗って丹波橋でこれまた良く停まる特急に乗り換える。やってきたのは生き残った8000系。淀駅は高架駅となったが引き込み線などの工事は残っている。高架になったので淀城跡が上から良く見える。また橋本駅横では遊郭だった建物がまだ見える。途中すれ違う旧色の列車がすっかり少なくなっと嘆いているうちに北浜駅から日本橋駅へと戻る。
大阪通信員様
福田写真展、佐竹・津田写真模型展の詳細をご報告していただき有り難うございます。私も11日に同じ様に京都地下鉄⇒会場めぐり⇒おけいはん宇治線車両撮影⇒曽根崎署近くのミンミンで総本家さんと懇話会⇒阪神出屋敷(泊)とのコースで行ってきました。米手作市さんはできればワンマンになる前の時代の作品がもう少しあればさらによいとのコメントがありましたが、私など直接本人に女子高生が多過ぎると失礼ながら申し上げて苦笑されました。佐竹さんの岩手富士バックのC60+C61の「はつかり」は当時三国連太郎主演の映画「大いなる旅路」に影響を受けて憧れを持った東北蒸機の最たるものです。最近のデジ青には京都N電の話題などの他には海外や日本全国の情報などさすが全国放浪のDRFCクローバー会員と思われる記事が多く、それも今や古典の部類の話もあり、毎日楽しく見ております。そのような中で女優有馬稲子さんと同じ学校を卒業された生粋の大阪人である大阪通信員さんの通信報告は世代の近い人間として心に感じるものがあります。是非大阪中心で出してください。私が宇治線に行ったのはあの当時のスーパーカーの顔がそのまま残っている2600系をデジカメにおさめるためです。中書島からの8000系の特急車は通信員さんご報告のとおり淀付近で高架線になりピクトリアル京阪特集でのっけていただいた定点撮影の場所も過去のものとなってしまいました。この日は天満橋と香里園で事故があり、この特急8062からは樟葉で同駅始発で先行する急行6062に乗り継ぐと言う珍しい乗換えがありました。大阪通信員さんからは蒸機や気動車は架線のない所で撮るもんやと言う話、ススキの間に車両を入れたり、線路際の花の取り込み方の技法等を数々伝授いただきました。もうあの急行通過の写真のような竹で編んだかご状の大きな物入れや牛が出てくる田植えの風景など現代では見ることができません。炎天下で煙がよくあがらない架線の下のC61ですが、懐かしい音だけでも聴きに行ってこようかと思っている今日この頃です。大阪通信員様のさらなる通信とできればあの頃の作品を少量でも結構ですから再登場させていただければと思っております。