片運化され、貫通幌付となったデハ3467(47-12-17/大岡山)
関 三平先生の「昭和の電車」シリーズは、関西から東京西郊に舞台を移されたようである。東急の電車を意識して撮影したのは、デハ3300形と玉川線くらいで、今回の「デハ3450形」は、戦前の東京横浜電鉄の代表的車両であったことくらいのことしか知らないが、ついで撮影の写真が何枚か出てきたので貼り付けた。
デハ3450形(デハ3450~3499)
昭和6年から11年にかけて50両作られた。両運、非貫通車であったが、戦後の車体更新で大部分の車両の片運化、正面貫通化、窓の拡大化等が行われ、実施時期による仕様の相違等があり、1両毎に細部が異なる状態であった。
昭和56年から廃車が始まり平成元年には営業運転を終了したが、トップナンバーのデハ3450は、原形に戻して「電車とバスの博物館」に保存、東急車両製造の牽引車として使用されていたラストのデハ3499が「デハ3499保存会」により群馬県内で保存されている。
デハ3456
片運改造のみで、運転台側は非貫通のまま (52-2-12/大岡山)
デハ3468
片運、貫通化改造されて幌付き(47-12-17/旗の台)
デハ3484
片運、貫通化改造されているが幌なし(47-12-17/旗の台)
【その他の旧形車両】
デハ3500形(デハ3501~3522)
昭和14年にモハ1000として22両新製、改番でデハ3500形となった。事故復旧車のデハ3508以外は非貫通であった。
デハ3507
(52-2-12/田園調布)
デハ3509
ヘッドライト移設車 (52-2-12/多摩川園)
デハ3600形(デハ3601~3615)
昭和23年から24年にかけて戦災焼失した国電を譲受け復旧した車両である。
デハ3603
昭和24年、台枠を利用して新日国工業で車体を新製した。(52-2-12/多摩川園)
デハ3601
旧国電モハ31087の事故復旧車であったが、昭和39年東横車両で車体を新製した。昭和57年廃車になり弘南鉄道に譲渡された。(52-2-12/多摩川園)
クハ3770形(クハ3771~3782)
前述のデハ3600形同様戦災焼失した国電を譲受け復旧した車両である。
クハ3780
昭和24年、台枠を利用して新日国工業で車体を新製した。(52-2-12/多摩川園)
デハ3700形(デハ3701~3715)
昭和22年規格A´型として新製されたが、車体老朽化により昭和36年東横車両で車体を新製した。昭和50年と55年に名鉄に譲渡された。
デハ3713
(52-2-12/多摩川園)東急の旧形車は、もっとキッチリ撮影された方がおられると思うので、是非発表をお願いしたい。
3450形はある時期の東急を代表する車両である。始めて見た1952年、大井町線での姿がどうであったかは思い出せないが、迷図作家氏による絵のようであったのだろうと思う。大井町線延長の形で田園都市線が出来た頃に行った時、東横線から転じて来たのか3450型が増えているのに気がついた。京都鉄道趣味同好会々誌「急電」66号が手許にあるが、ポン友吉川文夫さんは1957年7月31日現在の東急各線別配置車両を紹介されているが、東横線125両(M85、Tc22、T18)の内3450形は3450、3461~3467、3476~3483、3498.3499の19両、目蒲線43両(M28、Tc15)の内3450形3451~3460の10両、大井町線53両(M48、Tc3、T2)の内3450形3472~3475、3485、3486、3494の7両、池上線47両(M34、Tc9、T4)の内3468~3471、3484、3487~3493、3495~3497の14両とばらまかれている。営団日比谷線開通で7000系増備によるトコロテンの末が大井町線となったのだろうか。