山の上から見下ろすと

 我が街には瀬戸内海国立公園の一部にも指定されている筆影山(ふでかげ山)があります。標高311mと麓から山頂まで歩くにはちょうど良い山で、野鳥も多くよく歩きに行きます。山頂からは瀬戸内海の多島美が楽しめますが、途中の登山道から見下ろすと M重工の和田沖工場が足元に広がります。広い構内には各種試運転線があって、広電の連接車やゴムタイヤ式新交通の走行試験を見ることができます。平成18年3月に廃車になった広電550型555号が何故か試運転線上に留置されています。広電旧型車の置き換え用に新製されたと思われる3連接車?も見えます。また草むらには関東から来たと思われる電車の車体も置かれていますが、何鉄道の何型なのか私には判りません。どなたかご存知の方はご教授を。

広電555号。廃車から6年を経て かなり色あせている。

 

 広電旧型車の置き換え用新車?

手前は湘南モノレール401号。奥の電車は何者?

山の上から見下ろすと」への4件のフィードバック

  1. 先の方が書かれている通り、営団5000系で間違いありません。ここまでどうやって来たのでしょうね。

  2. 東京メトロ5000系でしょう。色から察するに東西線で使われていた車両と思われます。
    廃車解体のためにこの地へ来たのか、はたまたどこかの個人や企業に売却されて来たのか、
    そのあたりは謎ですね。

    • Mr.鉄鍋様
      古い記事をご覧頂きありがとうございます。確かに東西線の5000系ですね。但し現在はもう姿がありません。当時レールの上に乗っていた広電555も今では草むらで無残な姿をさらしています。5000系の車番が判らないのが残念ですが、側面にコルゲートが見えることから、アルミ車ではなくステンレス車のようです。なぜこの車体がここに持ち込まれたのかはわかりませんが、ご承知のように三菱三原は機関車と貨車のメーカーでした。今でこそモノレールや新交通システム、路面電車を作っていますが、以前は人を乗せて運ぶ車両を作ったことがありませんでした。例外的に昭和35年に島原鉄道向けにキハ2601、2602、5505の3両と昭和37年にペルー国鉄向けの914mmゲージのディーゼルカー(P3001)1両の計4両を作っています。島鉄向けは帝國車両、富士重工、川崎にも分散発注されていて、三菱は他社から図面提供を受けて製作だけしたのではないかと思います。ペルー向けは島鉄向けを参考に作ったと思われます。要は人が乗る車両についてのノーハウなどが元々無いために、新交通に進出するにあたってステンレス車の車体構造などを勉強する目的だったのではないかと勝手に想像しています。また鉄道車両の他に空港用設備としてのPBB(パッセンジャーボーディングブリッジ、旅客搭乗橋)も多数製作していますが、当初は鉄製コンテナの技術で始まり、ステンレス、アルミ、ガラスと進化していますので、その分野の勉強材料だったかもしれません。外観は何の変化もないようですが、内装を剥がして車体構造や溶接の様子を観察したのではないでしょうか。これは全くの私の推察でしかありませんので 間違っていたらゴメンナサイ。

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