北海道の鉄道被害を憂う 〈続〉

北海道胆振東部地震から2週間以上が経ちました。JR北海道ホームページによると、不通区間のうち、最後の根室本線富良野~東鹿越も9月26日に開通することになりました。震源近くの日高本線苫小牧~鵡川でも、一部代行バスが残るものの列車運転が始まり、これで、地震前に営業していた区間は、すべて復旧・営業再開することになります。以前、本欄の私の投稿で、廃止が取り沙汰されている線区が不通になり、なし崩し的に廃止に追い込まれるのではと心配しましたが、それが杞憂に終わり、安堵しているところです。ただ、以前から災害で不通になったままの日高本線・根室本線の一部は、バス連絡が続いています。
ブラックアウトで停電が続いていた北海道のなかで、札幌の繁華街ススキノにも電気が復旧し、名物のニッカウヰスキーの電照広告に灯が点いた時は、人だかりの中から歓声が上がったと報じています。“札幌”“灯り”の新聞見出しで思い出したのが、たまたまC62のネガスキャンをしていた時に一緒にコマにあった、この札幌駅前の夜景だった。北海道を転々としていた身には、煌々と灯りが点るのは、久しぶりの大都会の光景で、都会から来た旅行者にとっては、逆に心が安らぐような光景だった。ススキノでニッカウヰスキーの電照広告を見た人たちも、同じような思いにとらわれたのだろう。

写真を撮ったのは昭和44年に北海道へ行ったある日のことだった。この日は、室蘭本線の沼ノ端付近でずっと撮影していたが、途中から雨に降られ、撮影を切り上げて、予定より早めに札幌へ着き、その日の晩、DRFCメンバーと乗る夜行列車までの間を、札幌駅前で市電撮影をした。雨はどんどん激しくなっていくが、ちょうど屋根付きのところを見つけ、雨に濡れずに撮影をすることができた。これとよく似た写真を、鉄道ピクトリアルの写真コンクールに出したところ、「入選」となったのも思い出だ。
ことし冬、札幌を訪れた時、同じ場所に立ってみた。約50年の間に札幌駅周辺は激変した。駅前に発着していた市電は、昭和46年12月に姿を消した。人通りも、みんな地下道に潜ってしまい、駅前は、クルマだけが通る、何とも無機質な街並みになっていた。
ススキノに近い西4丁目付近の夜景、環状線になった市電が健在だ。ここだけ、札幌の50年前の面影が残っているようにも思えた。雨、夜、市電、人と、大好きなテーマが揃った、ススキノだった。

 北海道の鉄道被害を憂う 〈続〉」への1件のフィードバック

  1. いいですねぇ、我ながら。路面電車と街並みのある風景、こんな光景がもう見られないのは、現役の蒸機が見られなくなった以上に、私は残念な思いです。
    誰からもコメントがもらえないので、自分で“いいね”することにしました。

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