新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-5-

蒸機が終わりましたので『電車』に移ります。
中村さんは国電からJRまで、“手当たり次第”に電車の写真を撮っておられます。でも、私の個人的理由から国鉄時代に限らせていただきました。

Ⅰ)クロハ16→クロハ16800→クハ16500 河 昭一郎氏より

Ⅱ)

Ⅲ)

Ⅳ)クモハ11→クモヤ22001 河 昭一郎氏より

Ⅴ)

Ⅵ)

Ⅶ)クモハ300-1東ミツ 河 昭一郎氏より

Ⅷ)

Ⅸ)

Ⅹ)

まだまだ続きます。

5 thoughts on “新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-5-

  1. 皆様のコメントを待っていたのですが、未だに何の音沙汰もありません。旧型国電は小生にとってハードルが高く、大した知識がありません。しかし、Ⅹの電車に興味を持ったのが、あやまちの始まりでした。
    凹型の車体形状から配給電車と目星をつけましたが、屋根はダブルルーフで見るからに古そうな印象です。「ピク」950号が配給電車の特集号で、開いてみると「モル4100形」が載ってました。ですが、この電車はパンタが1基しかなく、窓配置も違っているようです。同書の「モヤ4形」についての記事を読むと、4003が凹型の車体をしていたようですが、写真はありません。ネットで調べるうちに、モヤ4003の図面が見つかり、窓配置もピッタリ一致しました。
    1920年日車製のデハ33400形デハ33403がタネ車で、1929年に改造されてモヤ4形モヤ4003となりましたが、元来は「架線試験車」だったようです。晩年になって大井工場の配給車として使われ、1948年に廃車になりましたが、翌1949年11月に淡路交通へ譲渡され、モニ500となりました。

    • 気になる形態の車両を調査下さり、ありがとうございます。
      淡路交通モニ500については、乙訓の老人が2011年1月20日に当欄に投稿しています。抜粋し、画像も再掲いたします……
      「*モニ500・入線1950.07.28→鋼体化1952.10.10。元国電モヤ4003である。鋼体化までの期間が少ないところをみると、相当酷い状態でやってきたものと思える。元モハ1だけに電装機器は国鉄の標準品で送られて来ており、その後の標準化に役立ったと思われる。ただ連結器は間に合わずで、そのくだりは須磨の爺やの薀蓄をお読み下さい。入線時評価額は957,681円と記録されていた。」
      国鉄時代は自連が付いていたのですが、鋼体化改造されたにもかかわらず螺旋連結器付き!

    • 「モヤ4」の図面は昭和18年、電気車輛研究会編の電車名称図解にあり、同書は国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。

  2. 紫の1863様、乙訓の老人の甥様、
    お手数をおかけしました。この項目一番の難題に正解を頂き、感謝致しております。

  3. 淡路交通への譲渡日ですが、1950年7月28日に訂正します。ネットに出ていた日付を鵜呑みにし、書籍での確認を怠っておりました。
    「ピク」262号の〝失われた鉄道・軌道を訪ねて 淡路交通(下)〟に、藤井信夫氏が「現車銘板では製造年は大正8年、日本車輌となっており、旧番が異なるという説もある」と書いておられます。
    モヤ4003への改造が改番の時期と重なり、デケン33300となるべきところを仮にモハ1形1068と付けたとか、実際には付けたことがないとか、様々な情報があるようで混乱してしまいます。ホントのところはどうだったのでしょうね。

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