昭和の電車 改訂版(10)ー阪堺電車モ101ー


この電車も2010年12月に藤本さんから解説をもらっていましたが、改めて皆さんからの感想・思い出を聞かせてください。

昭和の電車 改訂版(10)ー阪堺電車モ101ー」への6件のフィードバック

  1. この電車はホントに渋いですね。是非、見たかったものですが、見てたかもしれない、という中途半端な感想です。
    幼稚園児だった昭和40年代前半、上町線沿線に住んでおり、上町線を時々利用してました。当時、形式や車番など勿論わかりませんが、電車への興味は持ち出したころで、パンタグラフとYゲル(そんな名前は知る由もないですが)の区別はついており、Yゲルの電車がいたことは幼心にはっきり覚えているのです。ただ161、151との区別はつかず、101に乗ったことがある、と明確に言えないところが残念です。
    イラストは、阿倍野~松虫間のように思えますが、昔は行先看板を使っていなかったのでしょうか?

    • 前回に藤本さんが117の写真を投稿されています。それには行き先看板を出しています。
      よければ2010年12月8日の投稿をご参照ください。

      • ありがとうございます。藤本様のご投稿を改めて拝見しました。私が知っている一番古い上町線はこの写真の数年後です。無看板はイラスト上の演出ですね。

        • 営業運転中の車輌に、行き先表示がないというのは不思議ですが、この件に関しましてはただ今、関先生に問い合わせております。

  2. 宇都家様
    関三平先生からのお返事です。

    「下敷きにした写真が何故か札なしだったので、うっかりそのままイラストに。大阪市電の札なしになれすぎ!?ミスです。白い◯札や青い角札がありました。」

    • ありがとうございます。先生には揚げ足取りのようなツッコミをしてしまい、失礼しました。
      平野線が最後までツーマンで看板を使用していたように記憶します。

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