昭和の電車 改訂版(28)ー東武5700系ー 投稿日時: 2019年11月24日 投稿者: 米手作市 あの花巻のうまづら電車でも反応がうすかったのですから『猫ヒゲ電車』などダメでしょうか? この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(129)ー西鉄北方線323ー 昭和の電車 改訂版(121)ー営団地下鉄300型ー 昭和の電車 改訂版(115)ー南海電鉄モニ1045号ー 昭和の電車 改訂版(76)ー仙台市電モハ300型ー 昭和の電車 改訂版(74)ー宮崎交通チハ101型ー 昭和の電車 改訂版(68)ー京成電鉄モハ109号ー 昭和の電車 改訂版(18)ー奈良電クハボ600型ー 昭和の電車 改訂版(14)ー阪急電鉄202号ー
はい、知っていますょ。むかし見た絵本に「とっきゅうでんしゃ」として、この5700系と、京成の開運号1600形が載っていました。関西私鉄では見られない、湘南形の特急に強い憧れを抱いたこと、覚えています。結局、現車は見ることは叶いませんでしたが、ことし、東武博物館に復元保存されているモハ5701を見学することができました。“ねこヒゲ”の正面もさることながら、青いモケットの転換シートがズラリと並んだ、豪華な室内に圧倒されました。 返信 ↓
総本家さん! ありがとうございます。 こんな形ですか。なかなか良い感じではないですか? グリーンとオレンジに塗り分ければ86とソックリ! こんな博物館を持っている関東の私鉄は関西の私鉄より文化度が高いと思います。 ヘッドマークは『けごん』と書いてあるのですか? 次回はその京成の1600型が登場です! 返信 ↓
はい、ヘッドマークは「けごん」でした。猫ヒゲを拡大しましたが、いいデザインです。たしかに、私鉄で“博物館”ですから、関西では見られない、文化度の高さがありますね。とくに、この東武博物館は、雰囲気のいい館内で、ほかに保存車も多く、なかでも、これも現車には叶わなかった日光市内線の連接車の車内に乗れて感激しました。 返信 ↓
いえいえ、元館長をされていたHさんから、招待券をいただいていたからです。元館長さんは、堅田で行なった江若鉄道展にも、わざわざ来ていただき、いま東武が手がけている元江若鉄道のC111の復元作業の速報写真を届けていただきました。
米手作市様 東武鉄道5700系の猫ヒゲ湘南型は1951年製造で1960年に貫通化されており、撮影は無理です。当会では人間国宝級の方なら記録されているかもしれませんが、私は猫ヒゲではありませんが同系車がありましたのでホームカミングデイでの米手さんの講演を念頭に投稿してみました。 5700系は3種類あり、①5700型が湘南型、吊り掛け駆動で1960年に貫通化 ②5710型が貫通型、吊り掛け駆動 ③5720型が貫通型、直角カルダン駆動で1961年に吊り掛け駆動化 以降全てが5700系に統一されました。私が1967年7月9日に鐘ヶ淵駅で撮影した急行「おりひめ」の先頭5702号は元々貫通型で登場時の5710号から変更されたものです。尚、後ろに続く編成は戦前製のモハ5310型(デハ11型)と思われます。東武の110KW×4に対して150KW×4と大出力ですが、近鉄の2200、2227、2250の混成急行を思い出しますし、阪急のP-6と710を混結したらこのような感じかなと無理に想像してみました。 何れにしましても国鉄、私鉄各社が吊り掛け車(旧性能車)からカルダン車(新性能車)へ移行する試行錯誤の時期の車両は興味深いものがあります。またまた白黒で申し訳ありません。 返信 ↓
米手作市様 持っているならもっと早よ出して欲しい。これの方がライトもシールドビーム2灯化される前の原型で価値が高い。客車以外に興味がないとか言いながら私鉄、それも関東のものも持っているなら出し惜しみせんでいただきたい。疲れたし、馬鹿バカしくなってきた。 返信 ↓
おしかりは甘受致しますが、これは中学生の頃、親戚の家に行ったときに撮ったらしい。日にちも場所も記録がないし、準特急さんの写真を見るまで東武とは気がつかなかった(いや、見てもわからない。似てるのがあったな程度)のです。 時期はたぶん中学2年の頃だから昭和35年前後ではないかと思います。場所は西新井だと思います。練馬(親戚)からどうやって行ったのか全く記憶が無い。 返信 ↓
準特急さんの逆鱗に触れたのを反省しつつ写真を再確認したら車番が「701」となっているので5700系とは別物の似たものと思ったのです。 準特急さん、私が東武を撮ったのは生涯でこの時の十数枚だけです。出し惜しみしてないので怒らないでね! 興味が無くても何でも撮っておくものだと今さらながら再認識しました。 この時撮ったもう一枚も出しておきます。 返信 ↓
米手作市様 米手さんは客車と蒸機のファンと思っていましたがP-6の幌付きや今回の東武の5700系などお宝を持っておられること、関先生の発表される全国の電車についてご自身の思い出を含めて毎回紹介されていることなどからもう立派な電車ファンです。ステンレスカーや客車といっても12系、50系など電車に近い構造の客車に興味がないことはわかりますが、昭和35年頃は我々老鉄ファンには鉄道の最も面白かった時代だと思います。写真はどんどん発表してください。私は目覚めが遅かったですがついていけるものにはついていきます。 返信 ↓
準特急さんのお許しがでてホッとしました。 『立派な電車ファン』と言われると『それは違います』と言わねばなりませんが、何でも撮っておくことがよかったのだと今さらながらに納得しております。しかしながら電車の知識は毛ほどもありませんので皆様からのご教示におすがりすることをお許しください。 返信 ↓
米手さん 動物シリーズですか。「うまずら電車」に始まって「猫ヒゲ」電車ですか。なんか「タヌキひげ」みたいな感じですね。次の「どうぶつ」は何かな。楽しみにしています。
そんなことよりこの電車へのコメント下さい!
だれかこの電車を知りませんか?
はい、知っていますょ。むかし見た絵本に「とっきゅうでんしゃ」として、この5700系と、京成の開運号1600形が載っていました。関西私鉄では見られない、湘南形の特急に強い憧れを抱いたこと、覚えています。結局、現車は見ることは叶いませんでしたが、ことし、東武博物館に復元保存されているモハ5701を見学することができました。“ねこヒゲ”の正面もさることながら、青いモケットの転換シートがズラリと並んだ、豪華な室内に圧倒されました。
総本家さん!
ありがとうございます。
こんな形ですか。なかなか良い感じではないですか?
グリーンとオレンジに塗り分ければ86とソックリ!
こんな博物館を持っている関東の私鉄は関西の私鉄より文化度が高いと思います。
ヘッドマークは『けごん』と書いてあるのですか?
次回はその京成の1600型が登場です!
はい、ヘッドマークは「けごん」でした。猫ヒゲを拡大しましたが、いいデザインです。たしかに、私鉄で“博物館”ですから、関西では見られない、文化度の高さがありますね。とくに、この東武博物館は、雰囲気のいい館内で、ほかに保存車も多く、なかでも、これも現車には叶わなかった日光市内線の連接車の車内に乗れて感激しました。
総本家青信号特派員様
総本家さんが度々上京されていることはよく存じ上げておりますが、それにしても一私鉄の博物館によく行かれましたね。何かおありだったのでしょうか?
いえいえ、元館長をされていたHさんから、招待券をいただいていたからです。元館長さんは、堅田で行なった江若鉄道展にも、わざわざ来ていただき、いま東武が手がけている元江若鉄道のC111の復元作業の速報写真を届けていただきました。
米手作市様
東武鉄道5700系の猫ヒゲ湘南型は1951年製造で1960年に貫通化されており、撮影は無理です。当会では人間国宝級の方なら記録されているかもしれませんが、私は猫ヒゲではありませんが同系車がありましたのでホームカミングデイでの米手さんの講演を念頭に投稿してみました。
5700系は3種類あり、①5700型が湘南型、吊り掛け駆動で1960年に貫通化 ②5710型が貫通型、吊り掛け駆動 ③5720型が貫通型、直角カルダン駆動で1961年に吊り掛け駆動化 以降全てが5700系に統一されました。私が1967年7月9日に鐘ヶ淵駅で撮影した急行「おりひめ」の先頭5702号は元々貫通型で登場時の5710号から変更されたものです。尚、後ろに続く編成は戦前製のモハ5310型(デハ11型)と思われます。東武の110KW×4に対して150KW×4と大出力ですが、近鉄の2200、2227、2250の混成急行を思い出しますし、阪急のP-6と710を混結したらこのような感じかなと無理に想像してみました。
何れにしましても国鉄、私鉄各社が吊り掛け車(旧性能車)からカルダン車(新性能車)へ移行する試行錯誤の時期の車両は興味深いものがあります。またまた白黒で申し訳ありません。
写真、待ってますよ!
下の「参照」をクリックしてパソコン内にファイルされている写真をクリックしてコメントに貼り付けて下さい。
再送信します。
準特急さん
お疲れ様です。
私も「似たようなもの」は持っています。
米手作市様
持っているならもっと早よ出して欲しい。これの方がライトもシールドビーム2灯化される前の原型で価値が高い。客車以外に興味がないとか言いながら私鉄、それも関東のものも持っているなら出し惜しみせんでいただきたい。疲れたし、馬鹿バカしくなってきた。
おしかりは甘受致しますが、これは中学生の頃、親戚の家に行ったときに撮ったらしい。日にちも場所も記録がないし、準特急さんの写真を見るまで東武とは気がつかなかった(いや、見てもわからない。似てるのがあったな程度)のです。
時期はたぶん中学2年の頃だから昭和35年前後ではないかと思います。場所は西新井だと思います。練馬(親戚)からどうやって行ったのか全く記憶が無い。
準特急さんの逆鱗に触れたのを反省しつつ写真を再確認したら車番が「701」となっているので5700系とは別物の似たものと思ったのです。
準特急さん、私が東武を撮ったのは生涯でこの時の十数枚だけです。出し惜しみしてないので怒らないでね!
興味が無くても何でも撮っておくものだと今さらながら再認識しました。
この時撮ったもう一枚も出しておきます。
米手作市様
米手さんは客車と蒸機のファンと思っていましたがP-6の幌付きや今回の東武の5700系などお宝を持っておられること、関先生の発表される全国の電車についてご自身の思い出を含めて毎回紹介されていることなどからもう立派な電車ファンです。ステンレスカーや客車といっても12系、50系など電車に近い構造の客車に興味がないことはわかりますが、昭和35年頃は我々老鉄ファンには鉄道の最も面白かった時代だと思います。写真はどんどん発表してください。私は目覚めが遅かったですがついていけるものにはついていきます。
準特急さんのお許しがでてホッとしました。
『立派な電車ファン』と言われると『それは違います』と言わねばなりませんが、何でも撮っておくことがよかったのだと今さらながらに納得しております。しかしながら電車の知識は毛ほどもありませんので皆様からのご教示におすがりすることをお許しください。