天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【28】 初冬編

名勝、大畑へ

昭和46年初冬の南九州、つぎは大畑へ向かいました。大畑を含む吉松~人吉の矢岳越えは、それまでも列車で何度か通りましたが、下車しての撮影は、この時が初めてでした。日本三大車窓の絶景地であり、33‰勾配、スイッチバックとループ線、重装備のD51に混合列車と、魅力が大盛りの区間でした。いままでは、夜行鈍行の1121列車で大畑を通ることが多かったのですが、この1121レから撮るためには、現地泊しか手はなく、奮発して人吉の国民宿舎に一人で泊まりました。大畑では、食糧調達の術はなく、朝食、昼食用のおにぎりを宿舎で作ってもらい、薄暗い人吉の駅を出て、一番列車841レで大畑へ向かいました。大畑には7時14分着、841レの発車を見送ったあと、ループ線を見下ろす、撮影地へ向かった。朝露でズクズクになりながら着いた。天気さえ良ければ、霧島連山まで、キレイに見渡せる場所だ。まもなくループ線を一周して、1121レがやって来た。1121レは、門司港発鹿児島本線経由の都城行き夜行。九州へ行けば何度も愛用した列車で、客車6両と、大畑では唯一の本格的な客車編成だった。

大畑は、山間地帯ではあるものの、険しくはなく、なだらかな丘陵地帯が続いている。植林が終わったばかりで、草原地帯のなかを線路が横切っていた。高低差も関係なく、どの場所からも撮影できるのが魅力だった。客車3両の836レ。ループ線から、さらに矢岳寄りに歩くと、“大野のSカーブ”と呼ばれる大規模なSカーブがあった。写真のように、手前に線路が見える、半周以上する大カーブだった。“大野のSカーブ”を通った列車は、このように手前に再び姿を表わす。大畑を通る客車列車の標準編成で、集煙装置を付けたD51の次位に1両だけの客車が付き、その後に長い貨車が繋がった混合列車で、さらに補機D51が押し上げていた。最近も大畑を通過する機会があった。“デジ青”誌上でも、述べられているが、木が成長して、展望がほとんど利かなくなり、大畑の魅力は半減している。ループ線で混合列車を押し上げるD51、誰とも出会わない大畑で、まる一日、たっぷり撮って、引き揚げた。実は、大畑の魅力に取り憑かれ、最終日に、人吉の国民宿舎にまた泊まって、もう一日撮った。この時は、もう年末の休暇に入ろうとする時期で、一転して、人吉からの一番列車は撮影者で一杯だった。

 

 

5 thoughts on “ 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【28】 初冬編

  1. 「大畑ループ」「大野のSカーブ」、懐かしい響きですねぇ。鉄道誌に発表された素晴らしい写真を見て、憧れていた路線のひとつです。しかし、ここも間に合わなかった撮影地でした。昭和47年3月の改正で川線より一足早くDD51に置き換えられ、D51の力闘をカメラに収める夢は無残にも打ち砕かれたのでした。
    いつかきっと大畑へ行きたいという夢がかなうのは、2000年の正月休みでした。日本三大車窓のひとつを是非とも見たかったのですが、よほど日頃の行いが悪かったのかあいにくの雨。木々が成長して蒸機時代の眺望は望めない、そんな情報は知っておりましたが、列車は霧に包まれて何も見えなかったのです。
    混合列車を押し上げる後補機の写真を見ていると、D51の咆哮が聞こえてくるような気がします。

    • 紫の1863さま
      いつもコメントをいただき、ありがとうございます。私も年代は少し違いますが、捕り逃がした例は、ヤマほどあります。私が大畑に惹かれたのも、鉄道誌の写真でした。近くの人吉に、福井弘さんという方がおられて、よく写真を発表されていました。ピクの鉄道写真コンクール特選の「遠足」というタイトルの写真はとくに印象的で、私もそれに刺激を受けての訪問でした。近年の大畑は、樹木が成長して展望が利きませんし、観光地化が進んでいるそうで、大畑の駅舎を利用した高級レストランができるそうです。

  2. 大畑は行ったことがありますが、撮ったことはありません。ここはDRFCの1967年夏季狂合宿が行われた所で久大線の支線宮原線麻生釣でテントを張った後に場所を移したものと思います。デジ青常連のマルーンさん、ぶんしゅう旅日記さんも参加されたと思います。野宿に近い感じで一夜を明かしたような気がしますがほとんど記憶が薄れています。その上、大畑ではカメラが故障し、1枚も撮ることができませんでした。「まあええや」と思ったのはこの頃はD51は食傷気味で風景の良さ、スイッチバックの妙味よりもパシフィックやハドソン機を撮ることに優先順位を置いていたので諦めたのでしょう。勿体ないことをしたと思っております。風景よりも車種だったのでしょう。その後、日豊線や鹿児島線に移動して撮っていますが、S沢さんという生粋の大阪人が「これ貸したるわ」とヤシカを使わせてくれて大変助かりました。ところで後年デジ青でもお世話になっている村樫さんが大畑でも素晴らしい作品を発表されているのを知りました。村樫さんといえばお仕事の関係で近場であった喜々津~大草の蒸機やライトパシフィックの共著でお名前を存じ上げていましたが、大畑も夜行列車でお酒を呑みながらよく通ったとお聞きしたことがあります。もう一つ京成沿線にお住まいなのか、電車がお好きであったことをお聞きして驚いた次第です。

    • 準特急さま
      コメント、ありがとうございます。1967年の夏季狂化合宿は、私がまだ高校3年生の時に行なわれのですが、DRFCに入会後、「青信号」に詳細な合宿記があり、熟読した私は、合宿に参加したような疑似体験をした思い出があります。私も大畑へ行くか、C60C61の走っていた鹿児島本線に行くかの選択は大いに迷いました。大畑の景色がいいのは理解できても、D51は重装備と言っても、保津峡・馬堀のD51とほとんど変わりません。結局、私も景色よりも蒸機の形式を優先して、鹿児島本線に向かいました。大畑へ行ったのは、鹿児島本線の電化後でした。村樫さんの記事には、私も影響を受けました。近々、そのことを記事にしたいと思っています。

      • 村樫さんについては、最新の投稿「Bの時代⑤」でも、夜間撮影の先駆者として、「鉄道ファン」に書かれた記事について触れています。その行動力、表現力について、敬意を表します。

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