京都市電北野線に寄せて(1) 車庫跡地「さよなら」展へ

京都市電北野線の北野車庫の跡地に建てられた、京都こども文化会館(愛称エンゼルハウス)が老朽化で閉鎖されることになり、10月18日、地元のきたの商店街による、一日限りのイベントが行われました。いつもお世話になっている、伏見チンチン電車の会の皆さんも、イベントに参加され、1/8のN電模型の運転、ペーパークラフト教室を出展され、私もお邪魔してきました。

昭和36年北野線の廃止によって、北野車庫も廃止され、跡地には、昭和57年に京都こども文化会館が建設されました。コンサートや催事が行われてきましたが、老朽化のため、11月13日限りでの閉館となったものです。イベントを主催された、きたの商店街は、千本中立売通~一条通の約400mに渡り100店舗が並ぶ商店街で、従来から、N電を模した商店街のロゴを作成したり、歩道にはN電の絵を埋め込んだりと、北野線の顕彰に努められてきました。今回の同館の閉鎖に当たり、商店街の柱にはN電当時の写真を飾ったり、商店街のホームページでも多くの写真を公開されています。

昭和36年まで北野線が走っていた中立売通に面した京都こども文化会館、こんな狭いところを、複線でN電が走っていたとは信じられない。

北野車庫は、狭軌線用の車庫として、北野線下ノ森電停付近に設置された。南北に長い敷地で、中立売通に面して、煉瓦庫があり、その両側に、入庫線があって、奥の留置線と通じていた。最奥にはトラバーサーもあった。この跡地に京都こども文化会館が建った(写真/廣庭基介)。

 

「上京区電車物語」でもお馴染みの1/8のN電模型が、特製のサボを付けて登場、線路の有効長が倍に延びて、モーターの唸りも楽しめた。

近くの家族連れや、N電に通学で乗っていたと言う、お年寄りも来られて、なごやかな雰囲気のなかで行われた。

 京都市電北野線に寄せて(1) 車庫跡地「さよなら」展へ」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    京都こども文化会館の前は先週通ったばかりですが、確かにあの狭い通りに複線の線路があったとは思えませんね。N電廃止後はしばらくの間市バス50号系統が、この通りを走っていて、今出川通りを越えた北野天満宮の鳥居前で転回していました。いつの頃からか今出川通りを通るようになりましたが、多分、歩道の拡幅とアーケード設置の時期に関係するように思います。
    下ノ森に電車が走っていた頃は60年近い昔のことになり、市バスの北野車庫があったことを知る人も少なくなったことでしょう。
    京都こども文化会館ができた昭和57年頃は、中立売通りは通勤経路に当たり、毎日バイクで前を通っておりました。北野車庫前にはN電27号が保存されていましたが、いつの間にか姿が見えなくなりました。この頃は鉄道趣味から離れていて、いつかN電を写しておかなければと思いながらも、果たせませんでした。

    • 紫の1863様
      市バス50号系統の思い出、聞かせてもらいました。いまは千本今出川経由ですが、当時の中立売通経由のほうが、ショートカットしていましたから、所要時間は短かったのではないでしょうか。一時期、50号は、下ノ森~北野~千本今出川と、一方循環のようでしたが、昭和53年の市電全廃時に再編されて、千本今出川経由になり、行き先も北野から衣笠へ延長されたようです。当時の50号は、北野の鳥居前で転回していましたね。ここでバスが止まるので、形式写真を撮るのに最適でした。

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