そろり、ゆっくり、活動再開  【7】

夕景求めて 近場でチョイ撮り 大阪編(1)

近くの夕景撮影を続けます。つぎは大阪です。以前に掲載の阪急淀川鉄橋も同じですが、大阪らしい、ビル街バックのダイナミックな夕景が狙えます。今回は、何度か行っている京阪天満橋駅付近を採り上げました。天満橋~京橋で、淀屋橋行きと中之島行きが、線路別から方向別へ立体交差するところに、土佐堀通から大阪城方面に渡る歩行者・自転車専用の大坂橋があります。橋からの景観は大阪そのもので、大阪城天守閣、OBPビル群が望めますが、京阪電車も、梅田方面のビル街をバックにして、川の上で線路かが交差する、いかにも“水の都”らしい撮影が可能です。

大坂橋から、京阪天満橋駅へ向かって行く京阪電車を写す。ビル街の煌めきを撮るには、晴れた平日の日没直後が限定。大川周辺のライトアップも彩りを添える。

日没30分前、空は“らしく”なってくるが、この時期、電車は日除けを下ろしているため、窓部が抜けず、編成全体が暗いまま。

しばらくすると、梅田方面が日没に。電車はまだ暗いままだが、こんな時、特急車のサインが格好のアクセントに。京都方面の特急は、地下から出て、一気に交差部まで上り詰めるから、背後に、大川の水面バックとなる。

電車のアクセントと言えば、13000系などの、逆八の字のテールライトも、夕景の中での格好のアクセントに。こちらは日除けも上がって、車内の様子が読み取れる。

見ものは、上下の電車のすれ違い、高低があるから2編成がうまく見える。時刻表では、夕方ラッシュ時に数回はありそうだが、アタマが揃うのは、運次第。この時間帯になると、道路のナトリウム灯が点灯してしまうため、強すぎる光源をうまく避ける必要がある。土佐堀通に出て、道路橋から見ると、電車も間近に望める。

なお撮影場所の「大坂橋」の由来だが、大阪市のホームページから引用すると、大正時代、東横堀川を浚渫中に「大坂橋 天正拾三年」(1585)の銘が刻された擬宝珠が発見された。しかし、その名は過去の文献にも見あたらず、橋の所在・規模については謎だった。擬宝珠は、大阪城天守閣に保存されていたが、終戦の混乱時に行方不明になり、橋の所在と同じく幻の擬宝珠となってしまった。昭和48年、大阪城公園と毛馬桜宮公園を結ぶ自転車・歩行者専用橋に、「大坂橋」の名が復活した。

 

 そろり、ゆっくり、活動再開  【7】」への3件のフィードバック

  1. この大坂橋は、昔から撮影ポイントでした。私の勤務時代、写真のような本を造ることになり、表紙用として、“2編成が立体交差するところを”と注文を出して、知り合いのカメラマンに依頼しました。まだ中之島線が未開業の時代で、高架線を走るのは、天満橋止まりの電車だけで、朝夕に僅かしかありません。カメラマンは、何回も通ってくれて、この写真のような2編成の写真を撮ってくれました。グリーンの車体も懐かしい、20年前の思い出です。

  2. きれいな夕景をありがとうございます
    アングルはもちろん、天候、時間に曜日にまで気を配っておられること、改めて敬服いたしました

    添付は電車は写っていませんが、大坂橋の北、大川をまたぐ川崎橋からの眺めです
    今年の6月なんですが、特派員様の写真を拝見するとOMMピルの東壁面のサインが取り替えられ、京阪のロゴも追加されています 今年の夏から秋の間に改修されたんですね

    お書きのとおり以前は高架線を通る機会はなかなかなかなく、かなり以前、朝に乗車したときにわざわさ天満橋止まりに乗ったことがありましたが、今や全然レアでなくなってしまいました

  3. 宇都家さま
    ご無沙汰しています。コメント、ありがとうございます。やはりOMMの壁面のサインは、最近取り替えられたのですね。何かいつもと違うと思いながら撮影していました。たしかに中之島線の開業以前は、高架線を走る機会は滅多になく、高い位置から望む大川沿いの景観に感嘆したものです。
    いまは、中之島でイルミネーションのイベントをやっているのでしょうか。なかなか大阪へ行く機会がありませんが、大坂橋から望むと、イルミネーションも取り入れて写せるのではと期待しています。

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