吹田総合車両所京都支所(近キト)には、117系が、T編成(8両編成)2本、S編成(6両編成)6本の計52両配置され、いまも湖西線、草津線で活躍しています。今回紹介するT1編成8両編成のみクリーム1号にぶどう色2号(マルーン)の帯を配した関西急電カラーの原色で残り、ほかの編成は地域色の抹茶一色に改められています。しかし、JR西日本の進める車両の地域カラー化で、T1編成も去る2月22日早朝に吹田工場へ入場し、地域色に改められました。
▲117系の新製以来、約40年にして、伝統の関西急電カラーの原色編成が姿を消した。
117系T1編成
京キト(当時)では、2010年、6両固定編成の117系に、100番台ユニットを組み込んで8両固定編成のT1、T2編成を組成した。団体などの波動輸送が目的で、8両固定編成は117系としては初めてのことだった。定員増のため、トイレも増設された。おもな用途は宗教臨で、金光臨として山陽本線、天理臨として奈良線へ足を伸ばしたほか、旅行会社のツアー、学生イベントなどの団体輸送、市民マラソンなどの催事での臨時輸送など、多様な使われ方をした。乗車人員や有効長で、適宜、ユニット単位で減車し、4両編成、6両編成で使用されることもあった。一般運用に入らなかったが、時々、代走をすることもあり、その際は、増設トイレは使用停止し施錠された。T2編成は先に地域色化されており、このたび、残るT1編成も地域色化されることになった。地域色は識別しやすい一色塗りのため、団体を誘導する場合、案内をしやすいとの現場の要望もあるという。▲8両のうち、トップナンバー車が4両もあることで、いわば、車号、カラーとも117系の始祖とも言える、記念すべき編成だった。
▲先頭クハ117-1、116-1 いずれも昭和54年製造、クハのトップナンバー車
▲モハ117-104+モハ116-104ユニット 増備の100番台車で下降窓、117-104は霜取り用増設の2バン
▲モハ117-2+モハ116-2ユニット 車椅子対応の大型トイレを増設
▲モハ117-1+モハ116-1ユニット こちらもトイレ増設
▲地域色の113系と並ぶ
試運転時の117系をお目にかけます。1979年9月12日、鷹取→大久保(試9934M)→大阪(2分停車)→摂津富田15時26分30秒着・16時5分発→高槻→宮操のスジでしたので、摂津富田で撮りました。その時に西尾克三郎さんとプレスアイゼンバーンのMさんをお見かけしました。乗車されていたようです。
到着直後ですので右隅に人が少ししかいませんが、そのうちに近所の人がたくさん集まってきて見たことのない電車を見物していました。
井原様
貴重な試運転時の写真、ありがとうございます。川重からの出場時のものですね。いかにも新製されたばかりのピカピカですね。西尾さんとMさんも乗車されていたとのこと、交通科学館では、お二人が一緒のところへ、厚かましくも押しかけて行ったことがありました。
総本家青信号特派員様
通勤で乗っていた113系に次いで117系も原色がなくなるのは残念です。確か初めての転換クロスシートではなかったでしょうか。そのためか、進行方向とは逆になったままの座席をよく見かけました。登場したころは千里丘に住んでおり、80年台新快速は高槻は停まらないので乗る機会はあまりありませんでしたが、その後、大津に引っ越してからはよく利用させてもらいました。単色にするのはコスト削減だそうですが、あの抹茶色は似合いませんね。近くに居りながら、新快速時代の117系は撮っていませんでした。
大津の86さま
117系の転換クロスシートは、近郊型電車としては、初めてで、ほぼ同時期に東京方面で作られた185系は、ほぼ同じ車内設備ながら、特急料金が要り、関西の優位性を感じたものでした。一色塗りも、カラーによっては全く問題の無いものもありますが、抹茶だけはいただけません。117系が新快速から消えたのは、もう20年前で、若い世代では記憶も無いのでしょうね。
ついこないだ向日町にいるのを車中より見かけましたが急電色最後の姿だったのですね トイレを増設した8連だったとは知りませんでした
福知山線用は確かアイボリーに緑帯でしたか
1980年3月2日の京都駅早朝の撮影です。
この快速から乗継いで九州まで在来線で帰ることにした際の撮影です。
登場間もない頃の117系の写真として、出しておきます。
車番から第4編成のようです。