2020年冬 上越鉄路見聞録 Part4 くびき野レールパーク訪問

第2日目 12月12日 その2

13時から直江津駅前のホテル センチュリーイカヤで頚城鉄道ツアーの受付が開始されていました。その中には今年コロナ騒動で海外でお会いできなかった顔なじみの方々が多くおられました。お久しぶりぶりですとご挨拶です。参加者は神谷さんとスタッフを入れての39名です。
今回の一泊朝夕食込みの旅行代金は35,000円、旅行代金への給付金は12,000円で差引の支払い額は23,000円、地域クーポンは5,000円で予め主催のえちごトキめき鉄道より地産で選ばれた日本酒、お米、レトルトカレー、カレンダーが用意され宅急便で自宅宛てに送られました。紙クーポンや電子クーポンでない方法もあるのですね。


▲ 2時半過ぎにホテル前から大型バスに乗って出発しました。3密を避け、ソーシャルディスタンスを守るために2人掛けシートに一人と配慮されていました。勿論全員マスク着用、そしていつもと違って無口で雑談なしの車内でした。
約20分で「くびき野レールパーク」に到着です。

頚城鉄道 】
頚城鉄道は1914年(大正3年)10月1日 、当時の全国的な軽便鉄道ブームに乗り、百間町の大地主が発起人となって国鉄黒井駅に隣接する新黒井 ~下保倉 (13.8km) が開通しました。軌間は762㎜のナローゲージで蒸気・ディーゼルの鉄道路線でした。
1916年(大正5年)5月5日、沿線水利権者のも猛烈な反対にあっていた 下保倉~浦川原 (1.2㌔) の延伸により全線 15㌔が開通しています。


頸城区を横断するこの路線は、当時他に交通機関がなかった頸城地域には無くてはならない、沿線の人々の足として重要な役割を果たしていましたが、日本有数の豪雪地帯を走るため、軽便規格で豪雪に立ち向かうのは苦労を要し運休日が多く赤字が続きました。
1968年10月に、新黒井 〜百間町 (5.4㌔)、飯室〜浦川原 (3.7㌔) を廃止し、中央の百間町〜飯室間 (5.9㌔) に短縮されてからは、国鉄との接続がなくなり『交通公社の時刻表』をはじめとする全国版時刻表から路線図、時刻、運賃が一切掲載されなくなりました。
1971年(昭和46年)5月2日、 百間町 – 飯室(5.9㌔)全線廃止となるまでの約2年半は、時刻表の上では「幻の鉄道」と化し、その存在も知られなくなりました。

【 くびき野レールパーク 】
頚城鉄道は廃線となりましたが最後まで残ったドイツ製の蒸気機関車は西武鉄道に貸し出され走りました。残りはスクラップと思われていましたが、人知れず神戸の鉄道愛好家が木造客車や戦前の客車を改造したディーゼルカー等車両10両ほどと、レール、枕木、短い鉄橋。駅の設備など、そのまま小さな路線が敷設できるほどのものを一括して買い取り、六甲山中にトンネルのような保管場所を作り、その中に殆どの車両を運び込んで大切に保存しておられました。これらを山中で走らせたいとの夢があったそうです。

廃線となって33年後の2004年、上越市と合併なった頚城村より神戸の鉄道愛好家へ頚城の名前を残すために保存されている車両や設備を是非に引き取らせて欲しいとの連絡が入りました。ご本人は一年前に他界しておられましたが引き継がれた息子さんから無償で譲渡したい旨のご返事がありました。

そして11月30日に山中から引き出された車両等は新潟県頚城村へと里帰りが出来ました。当時、テレビや新聞のニュース等で奇跡の帰還として大々的に全国へと報じられています。私も当時の勤務先が神戸でしたので非常に興味を持って見ました。
神戸の鉄道愛好家の息子さんからの記事です。こちらをご覧ください。
当日の引き出しと輸送光景の記事は、こちらをご覧ください。

旧頸城鉄道の機関庫跡地を利用して作られた頸城鉄道車輌公開施設「くびき野レールパーク」には修復されたこれらの車両たちが保存展示されています。入場料は無料ですが一般に公開されているのは年に数回です。今回は神谷さんのご尽力、NPO法人”くびきのお宝のこす会”とえちごトキめき鉄道(株)のご協力により夜間の撮影会が開催されました。

▲ あいにくと氷雨が降る悪天候の中でしたが皆さん傘をさしてはおられましたが全身ずぶぬれになりながらも嘆きの声もなく黙々とシャッターをきっておられました。1911年、コッペル社製2号機ですが動態保存ではなく噴き出す蒸気は人工の演出です。神谷ツアーでは毎回の楽しみですがSLが生きているかのように見えます。

▲ 19:30 宿泊するホテルに戻っての宴会です。コロナ対策対応のために3密とソーシャルディスタンスがとられています。当初の円卓はやめて飛沫を受けないようにと同方向での広い会場での夕食とビデオの放映がありました。

▲ いつもはワイワイと和やかな宴会ですが今回は静かに無事に終了、マスクを一瞬はずしての記念写真です。参加されていた芝山さんから佐々木君に高瀬川の写真展に行けず申し訳なかった、ご無沙汰していますがまた一度お会いして一杯飲みたいとのご伝言をお聞きしました。
明日も朝から直江津機関区に赴きD51 827号機の撮影会です。 Part 5 へ続く

2020年冬 上越鉄路見聞録 Part4 くびき野レールパーク訪問」への4件のフィードバック

  1. ご伝言有難うございます。収束の暁には、帰洛のうえ、長岡京チームに乱入いたしたいと存じます。どうぞよろしくお願いします。

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