街並みとともに ~京都のバス~  〈1〉

京都駅前のバス

京都市電の写真展から早くも一ヵ月が経過しました。いまも快い達成感の余韻を味わっています。なかでも写真展イベントの目玉として、須田寬さんを写真展会場にお招きして「京都市電の思い出をお聞きする会」は、この状況下から思うと、絶好のタイミングでできたものと思っています。ささやかな写真展に須田さんをお招きすると言う、自分の無茶ぶりに恥じるばかりですが、それに応えていただいた須田さんには感謝の気持ちで一杯です。須田さんの過去の思い出だけでなく、近未来の京都に向けた提言など、利用者の立場に立った、広い見識に改めて思いを新たにしました。また須田さんは、市電だけでなく、市バスにも深い知識をお持ちで、系統、径路についての変遷については、たいへんよくご存じです。

私も先に本欄で「市電と市バス」をテーマに記してきましたが、須田さんの話に勇気づけられて、今回は、市バスだけの単独テーマで書くことにしました。ただ、バス車両だけでは趣旨に反します。考えたら、バスは路側を走りますから、中央を走る市電より、より街並みに近いところを走るわけです。そこで、今シリーズは、今では見られない、当時の懐かしい街並みをバックに走るバスを並べてみました。

始まりは、やはり京都駅前から。三代目駅舎をバックにした市バス、と言っても市バスの観光バス車両で、当時は京阪バスと市バスが定期観光コースを共同運行していたが、合い間には、ドライブウェイ系統の路線バスとしても使われていた。これは104号系統の嵐山高雄パークウェイ経由の高雄行き。昭和40年に開設、春秋シーズンのみで、平日2本、日祝6本程度の運転で昭和57年に廃止されている。車両は「京2い・871」で、昭和45年製ふそうNR470、車体はその形状からNSKボディーと分かる(以下、昭和52年)。

同じ位置から「京都22か16-25」で、昭和52年式いすゞBU04、市電河原町線の廃止時に導入された。この年から、市バスにも冷房車が導入されている。203号系統は、市電烏丸線の廃止により、代替バスとして烏丸線をそのままトレースする形で、京都駅前~烏丸車庫前を走った系統、昭和56年の地下鉄烏丸線の開業で廃止され、いま走っている別ルートの203系統が新設された。

烏丸通を北上するバスでは、どうしても京都駅の塔屋を入れて撮影できない。そこで、塩小路通へ左折する国鉄バスなら、駅舎全体が入る。バスは「京2い・237」の栂尾行きで、車番は524-1019と書かれていて、ふそう製の昭和46年製造の非冷房車と判る。「丸物」をバックに京都駅前に入る2号系統、バスは「京2い・765」で、昭和43年製の日野RB10で、帝国ボディー。丸物は、撮影した昭和52年に京都近鉄百貨店となり、平成19年に閉店している。以前にも紹介した電気バス「みどり号」も同じ場所で撮影。四条大宮~松尾橋のトロバスの廃止後、保管されていた300形318号の車体を再利用、日本電池で電気バスに改造され昭和47年10月にデビューし「京22か・689」となった。形式はTB13で、八条車庫に配置されて、京都駅八条口~深泥池の4系統専用で、一日2往復した。

 

 街並みとともに ~京都のバス~  〈1〉」への5件のフィードバック

  1. 京都市バスの写真、昭和56年頃は地下鉄の開通とバス路線の大幅な変更で、EVEのテーマにもなったので、バス写真を何度か撮りに行きました。
    また壬生の交通局の近くで旅客量調査のアルバイトをしたので、壬生車庫の写真も撮っています。

    • EVEのテーマにもなったのですか、なるほどK.H.生さんの世代にはバスにも詳しい方がおられるようですね。壬生で撮られた69号系統、ふそう・クレハの多区間車、デザイン的には、特徴の無い地味なスタイルですが、懐かしいです。

  2. ご無沙汰しております。
    市電写真展の会場で初対面の方と、「いつの間にか見慣れた建物が消えてしまいましたねぇ」と意気投合したことを思い出します。
    先代の京都駅に丸物がなくなってずいぶん時がたちますが、まぶたに浮かぶ京都駅前の風景は、まさにこの時代です。写真には写ってませんが、タワービルの向かいにあった鳥居ビルも見られなくなりました。一階が「ローマ会館」というパチンコ店で、二階には「広東」という中華料理店が入ってましたが、調べてみると大正時代に出来たようです。
    京都タワーも完成から半世紀以上が過ぎ、今では京都駅前で関電ビルに次ぐ歴史を持つ建築となりました。若い世代が生まれる前からある風景で、私にとっては丸物や鳥居ビルのような存在でしょうか。
    市バスに観光バスがあったことは知ってましたが、嵐山高雄パークウェイを通る系統があったとは、恥ずかしながら知りませんでした。比叡山へ登る系統もありましたね。
    バスの後ろに見える街並みが懐かしく、続編への期待が膨らみます。
    KH生様の写真には、市電壬生車庫廃止後に建った市営住宅が見えますが、今も変わらず健在です。敷地には中京警察署が建って狭くなりましたが、数台の市バスが休む姿を見られます。

    • コメント、ありがとうございます。市電写真展では、皆さん、車両への興味も去ることながら、周囲の街並みの変化に興味を示す方が大勢おられました。
      鳥居ビル、ありましたね。京都タワーの建つ前からありましたから、ある意味、われわれ世代には、京都駅前の象徴のようなビルでした。
      壬生車庫付近は、車庫用地からレールが露出していたとか、後院通では軌道の完全撤去工事が50年ぶりに行われたとか、まだ市電にまつわる話題が多いですね。

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