街並みとともに ~京都のバス~  〈13〉

受験生輸送を 同志社に見る

京都市バスならではの車窓風景や系統、街並みなどを紹介してきました。ここらでひと区切りと参ります。これから紹介する大学入試の際の受験生輸送も、ほかの都市ではなかなか見られない、ある時期、一年に数日間見られた、特色のある光景だと思います。普段の通学輸送も大切なことですが、受験の場合は、寄り道することなく、まっすぐ帰宅しますから、試験終了直後の集中ぶりは、たいへんなものになります。お膝元の同志社大学での光景を見てみます。

われわれの時代には、市電烏丸線がその輸送を担っていました。烏丸線が昭和49年に廃止され、その代替輸送は市バスへになります。昭和56年に地下鉄烏丸線が完成すると、当然地下鉄に移りますから、市バスの受験生輸送は7年間だけ見られた輸送形態でした。受験生が今出川キャンパスから続々と吐き出される。終了時刻に合わせて、市バスは烏丸通を南下して、西門前付近に集まって来る。試験を終えた受験生を満載して、四条烏丸、京都駅方面へと向かって行く。市電は廃止、地下鉄は未開業、市バスしか移送手段のない時代に見られた、京都の冬の風物詩だった。

「臨」マークのバスも特発された。このように「多区間」マークを掲げたバスなど、各車庫からかき集められた。背後の彰栄館は修復中、「合否電報」の立て看も懐かしい。「直行」を掲げた京都駅前行き、京都駅前まで無停車で向かう。「直行」の表示は滅多に見られなかった。バスは超満員にしても乗車は百人余り、メイン受験会場が今出川のみで短期集中の時代だから数千人は同時に受験していたと思われる。よくぞ短時間で運び切れたものだ。バス停は、上立売下る付近の中学校グラント前にも分散して臨時のバス停が設けられていた。右は西門前に向かうバスが待機中。今出川通にも「臨」バスが発着していて、こちらは三条京阪行き。背後の交差点を満員のバスが渡って行く。

 

 街並みとともに ~京都のバス~  〈13〉」への2件のフィードバック

  1. この風景は全く意識していませんでした。自分も昭和54年の市電廃止後の最初の受験生の一人でした。
    地下鉄が開通して交通体系が一変してから、ちょうど40年ですが、京都新聞でも残しておられないような風景を写されているのは、素晴らしい記録の保持だと思います。

    実際地下鉄が開通するまで、ラッシュはバスに乗り切れないため、帰りは四条まで歩く若者はとても多く、烏丸や河原町通りの賑わいは青春ストリートのようでした。とても懐かしく思います。

    • 京都市交通局の受験生輸送は市電時代も記録していますが、バスのほうが、一台当たりの輸送量が少ない分、台数も多く、操車の妙はたいへん興味深いものでした。バスしかなかった7年間、通学もたいへんだったと思います。四条まででしたら、70歳代の私も今でも歩くことがありますよ。

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