街並みとともに ~京都のバス~  〈10〉

バスが集中した三条京阪前

私が市バスに興味を持ち始めたのは小学校高学年でした。銀行(三菱銀行だったと思う)のオマケとして、小型判の市電・市バスの系統図がありました。一系統ずつカラー印刷されていて、その径路をたどって行くのが楽しみでした。その図で、異様なまでに、バス径路が集中しているところがありました。それが「三条京阪前」でした。地図では、私の住んでいた丸太町通付近まで、三条京阪付近のラインが膨らんで来る始末でした。

これほど左様に、当時の三条京阪前にはバスが集中していて、当時は、市電は京都駅前、市バスは三条京阪前が、発着場のトップでした。三条京阪は、京阪線、京津線の結節点であり、繁華街にも近く、バスの発着場としては、好適地であることは言うまでもありませんが、市電の補完として空白地域へバス径路が伸びて、とくに市電の敷設が遅れた京都北部、東部に拡充されていった経緯や、バスが操車できる広大な土地が他に無かったことも挙げられると思います。

以下の撮影時期は、京阪は三条まで地下線の工事が本格化、出町柳までの鴨東線の工事も着手され、京津線は地上線の時代で、バスにとってはいちばん賑やかな時代でした。

三条大橋を続々と渡って、三条京阪前を目指す。交通結節点として三条京阪の地位がウンと低下してしまった現在では、こんなラッシュ風景は見られない。橋の上までの不法駐輪も今となっては懐かしい(昭和55、56年)。

「京阪三条」と「三条京阪」、両者の対比は、ときどき京都本でも採り上げられます。地域、バス停を指す「三条京阪」は、「三条通京阪前」が短縮されたものと巷間言われているようですが、バス停としては、昭和5年に新設された時から「三条京阪前」でした。

その後、京阪本線が出町柳まで伸び、京津線も地下鉄に移ってしまい、京阪三条は単なる中間駅になってしまいました。バス系統、径路も大幅に変更されてしまい、かつてのバスターミナル的な機能は無くなりました。

残された広大な土地の行方も気になります。一時はKYOUENという飲食設備もできましたが、もともと仮設の建物で、すぐ解体され、いまは、余裕がありすぎるほど、ゆったりしたバス乗り場などになっています。一時は、京阪が百貨店を造る!と話題を振りまきましたが、種々の理由で立ち消えになりました。ところが、最近、京阪ホールディングスのトップインタビューでは、京都市と協議して、京都駅に一極集中している、交通体系・人流を改め、三条京阪に賑わいを取り戻したいとの記事があり、今後が注目です。

三条大橋を渡る、栄光の系統番号「1」、たしかに市バスが走り始めた頃からの系統番号だが、三条京阪~玄琢(西賀茂車庫)になったのは、後年になってから。

陸橋から見た、三条京阪前の乗り場、京阪京津線のホームに沿って、一本の長いバースがあり、5ヵ所の乗り場があったことが分かる。

陸橋から東南方面を見る。以前、ここには寺院が並んでいたが、岩倉のほうに移転して、京阪が土地を取得、地下線工事の事務所、資材置き場のあと、道路の拡幅、再開発用地となった。陸橋からさらに東を見ると、三条通を西進してきた系統の発着場があって、市バスと京阪バスが並ぶ光景も見られた。

さらに北部を見ると、出町柳までの鴨東線の工事が始まっていて、クレーンが建ち並ぶなか、南行き一方通行となった川端通をバスが行く。

京阪三条駅の南口には、「三条京阪南口」のバス停があった。三条京阪とは別扱いのバス停で、おもに降車用で、客を下ろしたあとは、三条京阪で乗車扱いを行った。ターミナルが凸状になっていて、新しい低床式バスは接触する恐れがあるため、入線ができなかった。三条京阪から出てくるバスや、東から直進して来るバスが、グチャグチャになって、一斉に発進していくのが、また三条京阪の魅力でもあった。

6 thoughts on “ 街並みとともに ~京都のバス~  〈10〉

  1. 総本家青信号特派員殿
    いやー懐かしい三条京阪南口の写真ありがとうございます。高校・大学時代を通じて毎日往き帰した想い出の場所です。最後の写真にある、京津線が駅に向かってカーブしてゆく三条通りの広場の南側に、確かユースホステル協会の事務所があったように思います。狭い階段を登った2階だったように思います。スタンプの更新やガイドブックを買うためによく行ったことを思い出しました。三条京阪がらみの通学定期券を添えておきます。上は高校時代で 左は三条京阪から出町柳までの京都バスの定期、右は三条京阪から出町までの京都バスと出町から京福電車八幡前までの連絡定期券、下は大学時代の三条京阪から上京区役所前までの市バス定期券です。新町校舎やクラブのBOXに近いため上京区役所前まで買っていました。59号系統は立命館衣笠と広小路もあるのでいつもすし詰めでした。これにはありませんが、京都バスや京福の定期券には「1日延長」「2日延長」とスタンプが押されたものも多くあります。春の恒例行事であったストライキの名残です。

    • つぎは三条京阪の思い出、ありがとうございます。ありましたねぇ、ユースホステル協会の事務所、陸橋のすぐ近くに、バラック様の二階へ上がると、窓口があり、そこで毎年の更新をして、色違いのシールを貼ってもらいました。ガイドブックもありました。文庫本サイズでオレンジ色の表紙でした。これがないと予約もできない、ユース巡りには不可欠の本でした。
      このガイドブックは廃棄してしまい、返す返すも残念です。定期券もよく残しておられましたね。市バス59、市電も15は、立命館、同志社、ともに経由しますから、いつも混雑でした。街も人も市電も市バスも、活気にあふれていた時代でした。京福のストによる延長スタンプは、ちょっとトクをした気分でした。

  2. 三条京阪前の乗り場は確か6カ所あったと思います。
    写真には絶対写らない陸橋の階段下に15号系統の乗り場がありました。幼いころ階段の下なので薄暗く少し恐怖心を感じたものでした。
    工事中の川端通の11号系統は運行前でしょうか。なぜか出口の扉が開いているように見えますが、昔の回送車は出口の扉をよく開けて走っていたような。
    大阪に行く時は必ず京阪電車を利用していたので非常に懐かしいです。

    • 細かいところまで観察いただき、ありがとうございます。そうですね、陸橋の下にもうひとつ乗り場がありました。すぐ横が京津線の踏切で、警報器がカンカンうるさかったことを覚えいます。
      たしかに、この時代、11号系統が川端通を走ることはないですね。回送かもしれません。

  3. 賑わっていた頃の三条京阪を、懐かしく拝見しました。
    三条大橋から西を望んだ最初の写真ですが、何台のバスが写っているのでしょう。壮観ですね。よく利用した59系統も見えます。
    多くの系統が発着していて、河原町へ遊びに行った帰りは、複数の系統の発車時刻を比べ、一番早い系統を待ったものでした。
    しかし、その頃の私はバスには全く興味がなく、一枚の写真を撮ることもありませんでした。
    京津線最後の夏、たまたま撮ったカットにバスのりばが写っていました。ピンボケで使い物にならないと思ってたのですが、6カ所の乗り場が分かるかと思い、恥を忍んで添付します。
    乗り場の看板の上に、番号が振ってあるとは知りませんでした。

    • 紫の1863さま
      貴重なカラー写真、ありがとうございます。案内板に番号が振ってあり、GENZOさんの証言のように、6ヵ所あったことが分かります。京津線の“ファーン”と言う警笛を聞きながら、いつ来るとも分からない(接近装置など全くなく、ダイヤも信用できなかった)バスを待っていた時代を思い出しました。

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