街並みとともに ~京都のバス~  〈11〉

四条烏丸にあったバスセンター

四条室町の南東角、四条烏丸西行バス停の前は、いまでは京都経済センターという新しいビルが建っています。昭和の時代には、おもに地元室町の繊維振興のための事務所などが入居していた京都産業会館があり、一階には「四条烏丸バスセンター」バス停があって、ここを起終点として、おもに多区間を走る市バスが発着していました。地下道からも直結して、3面の乗り場がありましたが、いつ行っても、閑散としていて、末期には照明もほとんどなく、およそ“バスセンター”のイメージとは無縁の陰気な雰囲気が漂っていました。結局、バス停としての「四条烏丸バスセンター」は平成元年に廃止され、発着は、四条通の「四条烏丸」に移され、操車場としての機能は残ったものの、これも建物の老朽化により取り壊されて、今の新しい建物には、その面影もありません。

京都産業会館一階の「四条烏丸バスセンター」から発車する23号系統の沓掛行き、多区間ワンマンカー、沓掛とは京都に似つかわしくないバス停名だが、昭和58年に廃止され、のちに「桂坂口」として復活した(昭和56年5月、以下同じ)。

バスセンターを発車する233号系統の高原町行き、バスセンターはとにかく薄暗くて活気がなかった。バスセンターの機能は昭和56年5月の地下鉄烏丸線の開業によるバスの再編成で、ほぼ機能は終えて、以降は操車機能が残っていたが、産業会館の建て替えのため、平成元年に「四条烏丸バスセンター」は廃止された。

この付近の遠い思い出がある。まだ昭和30年代の前半までだったと思うが、四条通の烏丸~室町の南側は、つい最近まであったタクシー乗り場以外は、すべて建物が無く、広大な空き地だった。ときどき仮設の建物ができてイベントなどが開かれていた。ある時、そこでサーカスが開かれ、一度見に行ったことがある。ひと足テントのなかに踏み入れると、魔境のような世界が広がっていて、子ども心にも外とのギャップを感じたものだった。

「四条烏丸市バスセンター」の方向幕を掲げて、四条烏丸交差点を行く233号系統。市電代替バスを示す200番台の系統では、ラストに当たる233号は、市電13号系統、四条河原町新京極~たかのの代替として昭和52年に新設された。昭和56年に24号系統に変更された。

四条室町を左折してバスセンターに到着する233号系統。降車は中に入ることなく路上で行った。また折り返しの場合はセンター内に入庫することもあったが、回送の場合は、室町通~綾小路通~烏丸通を経由した。

建物が構想された昭和30年代は、都市間を結ぶ中距離バスが頻発していた時代、バスセンターにも、京都中心部から、たとえば市境を越えて亀岡や宇治方面へ行く市バスの構想があったのかもしれない。しかし、足元の四条通には、昭和38年に阪急の地下線も延伸、バスによる都市間輸送は急速にしぼんでいく。結局、中距離と言っても、既設のツーマンまたは多区間車を中心とした発着にならざるを得なかった事情があるのかもしれない。

それと、当時は四条河原町が圧倒的な中心街を果たしていて、1キロ程度しか離れていないが、四条河原町を通過しない、四条烏丸止まりは敬遠された。「大丸は行けるけど、高島屋へは行けない」が、京都人の微妙な心理に影響していた。

四条烏丸を右折してバスセンターへ入る62号系統、今まで京都バスが独占していた八瀬・大原地区に昭和38年に市バスが初めて走ったのが62号系統。住んでいた河原町丸太町も経由して、よく車掌つきのツーマンが走っていたのは覚えている。昭和56年から北6号に変更された。バスは京都22か・445で、昭和47年式、ふそうMR470、

洛西・新林センターから93系統が到着、四条通を洛西方面から東進してきた系統は、四条烏丸バス停に寄ることなく、四条室町で右折して、バスセンター前で降車扱いを行った。こちらは逆にバスセンターを出て、四条烏丸を右折して行く33号系統の洛西・東新林町行き。いまも33号系統は京都駅前を発着して洛西へ向かう系統として残っている。▲▲こちらはバスセンターを出て、四条室町を左折し大覚寺へ向かう91号系統、この系統もいまも残っている。

 

3 thoughts on “ 街並みとともに ~京都のバス~  〈11〉

  1. 思い出を一つ
    「京都経済センター」というより、我々には「京都産業会館」がすっきり来る。その場所は特派員さんが言うとおり「相互タクシー」の営業所が東側の住友信託銀行との間(KSビル)にあった。後は空き地で、ここでは木下サーカスや矢野サーカスが来ていたが、じつはその前にもっとすごいものが来たことがある。講和条約が発効する前後で、時期はハッキリしないがアメリカから「コニーアイランド」という遊戯施設が来て数ヶ月営業したことがあった。「コニーアイランド」がなにかは知るよしもなかったが、これが仰天同地の施設で、ぐるぐる回りながらひっくり返る乗り物(正式な名前は覚えていない)やジェットコースターもあったと思うが「アメリカはすごい!」と思い知ったのだ。進駐軍第8軍司令部は南隣の「大建ビル」(現在cocon)にあった。

    • 米手さま
      四条烏丸の思い出、ありがとうございます。私も、空き地やサーカスのことを書いていながら、ホントに記憶が確かなのか、一抹の不安がありました。米手さんの証言で間違いないことが分かりました。でも、「コニーアイランド」は全く知りません。アメリカの遊戯施設があったのも、大建ビルの隣地だったからでしょうか。貴重な証言、ありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください