なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道”  〈13〉

モノクロ版 昭和の南海駅(2) 天下茶屋

続いて、打ち上げ会場となった天下茶屋付近です。西天下茶屋から会場へ向かう途中、天下茶屋駅の西側の商業施設を見て、同行の宇都家さんから「以前、ここには天下茶屋工場がありました」と聞かせてもらい、伝言板には、宇都家さんから当時の写真掲載がありました。その時、私は“餃子とピール”に集中するあまり、気が付きませんでしたが、現役時代に南海天下茶屋工場を見学したことがあり、後年、天王寺~天下茶屋の天王寺支線が廃止になる際に、天下茶屋付近で撮っていました。

地上線の南海本線と並走する天王寺支線の電車。新今宮付近の高架線から、本線は地上に降りると、東側から天王寺支線が寄り添ってきて、並走しながら天下茶屋へ至っていた。天王寺支線は、大阪鉄道(現・関西本線)との相互乗り入れを目的に、天下茶屋~天王寺が明治33年に開通した。その後、関西鉄道、国鉄になってからも接続路線として機能し、旅客だけでなく、貨物の乗り入れもあった。昭和41年に南海に新今宮駅ができると、旅客が激減、貨物も廃止になり、地下鉄堺筋線の延伸工事のため、部分廃止のあと平成5年に全廃となった(以下、昭和46年6月)。

地上時代の天下茶屋駅、阪堺鉄道が難波~大和川を明治18年に開通した際に設けられた古い歴史を持つ。ホーム屋根の軒飾りが独特。

天下茶屋駅で発車を待つ天王寺支線の電車、1201形の2連、のちに貴志川線に移り、地方私鉄にも大量譲渡された。同じ位置から、10年余り後、電車は1520系になっていた(昭和59年5月)。

DRFCの時の天下茶屋工場の見学会、国鉄紀勢本線乗り入れのキハ5501が見える。明治36年、駅の西側に天下茶屋工場が建設された。昭和47年に南海本線の連続高架化が決定され、天下茶屋工場の移転、地下鉄堺筋線動物園前~天下茶屋の延伸を同時施工となった。天下茶屋工場は昭和57年廃止になり、千代田工場が開設された(昭和46年6月)。

貨物輸送が大幅に縮小された頃で、余った凸型電機が大量に並べられていた。

 

珍車のTORIも撮影、構内移動の牽引車で、大和川工場にもある。当時、工場長をされていた、ファンとしても名高い西敏夫さんのアイデアで廃車部品で造られたと、当欄の「変なもの探検隊」で乙訓の長老が記しておられる。

3 thoughts on “ なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道”  〈13〉

  1. その節はありがとうございました

    私は昇圧前は撮影できておらず、旧型車や電機の光景、羨ましい限りです

  2. 昭和47年5月14日、天王寺駅のモハ7019+クハ7905です。
    南海は、京都から遠いので、あまり訪れていませんが、天王寺線の新性能車は珍しいのではないでしょうか。

  3. 私も、天下茶屋工場の見学に行きました。
    どこの主催だったか覚えていません。

    大和川検車区の構内移動機も撮っているのですが。まだスキャンしていないかも・・・ なかなかのゲテモノですね。恐らく、今なお現役かと・・・ 本線のワフも撮ったはず・・・

    トラバーサーの牽引車です。
    天下茶屋工場 1978年

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