昭和の電車 改訂版(220)ー一畑電鉄クハ111号ー

昭和の電車 改訂版(220)ー一畑電鉄クハ111号ー」への7件のフィードバック

  1. ネットで調べたらクハ111の出自は
    1906年工作局新橋工場でオブロ3として竣工→オハフ8911
    1940年後藤工場でクハ111に改造、となっています。
    新製時は、九州行きの最大急行に繋がれる二等緩急車として産まれました。

  2. それではオハフ8911の形式図をご紹介します。鉄道省時代には雑形客車として扱われ、形式オハフ8900、8900~8911の12両があったようです。16~17m車ばかりの一畑電鉄で唯一の20m車でしたが、関センセがお書きのように、3軸ボギーTR70A台車は急曲線の多い路線に合わず、制輪子の摩耗が多く、曲線での横圧が大きく、台車の構造も弱いため、昭和26年12月にTR11に換装されています。非貫通で両運転台だったようです。扉は手動。昭和34年5月に廃車されています。

    • 軸重が重いための三軸台車を二軸に換えてもいいのでしょうかね?
      昭和34年5月まで有ったとは、ついこの間まであった様に感じます。(昭和34年に中学生になった。皇太子ご成婚でテレビが普及した年)

  3. ついでに、デハニ50型も載せておきます。平成23年7月25日 出雲大社前駅での撮影です。デハニ50型は昭和3年、4年に51~54の4両が登場しましたが、51がデハ21に、54がデハ11に改造されて、52,53だけがデハニとして残っていました。写真は52です。

  4. 昭和42年4月30日、北松江(現松江温泉)駅に到着するモハ21他5両編成の普通です。
    この時代は、特急、急行もありました。

  5. 「日本に3軸ボギーの電車はあった?」
    1980年代の学鉄連行事が盛んな頃、新歓大学対抗ウルトラクイズというのがありまして、同志社チームの一員として、幹事のO先輩らに呼ばれて、毎回参加させてもらっていました。

    この年は京大がホスト校で、学力で負けても、クイズでは負けちゃいかんと、私も集合。
    最難関クイズがこれで、誰も答えられなかったので、私が、「はい。一畑に鉄道院流れの木造3軸客車改造のクハが戦時中にありました」と即答。
    さらに戦前にあった電気式気動車のキハニ36450も片側が3軸で、これは電車では無いけれど、広い意味では電車の親戚か?と答えると、京大の出題者が「くそー」と笑っていました。
    もう一つの難関クイズが「国鉄DD12と同じ形式のDLは何台米軍が持ち込み、それぞれどこに最終的に落ち着いたか」というもので、これもすぐに答えておきました。

    このコメント欄の常連の先輩方を伴えば、同志社は最強チームかもしれません(笑)。学鉄連OB部クイズ大会をやってみたいものです。

    • ありがとう~!
      学鉄連、なつかしいです。かり出されて交通科学館で解説の手伝いをさせられました。おかげで展示車両の中をじっくり見られたのが役得でした。

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