昭和の電車 改訂版(3)阪神電鉄3011型 投稿日時: 2019年6月30日 投稿者: 米手作市 前回の『大阪地下鉄100型』で思いついたのですが、記事に関連した写真をお持ちの方は、ぜひとも見せてください。牛に引かれた地下鉄も投稿がなければ日の目を見ずでした。現役時の写真でも、エピソード写真でも「お宝拝見」させてください。 と言うことで、お宝ではありませんが、私が撮った数少ない電車の写真から現役時代の3011型特急をご覧下さい。 テレビで“月光仮面”を放送していた頃に鳴尾付近で撮影しました。 この記事を共有:Tweet印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(87)ー淡路交通モハニ2007ー 昭和の電車 改訂版(73)ー国鉄キハ44000型ー 昭和の電車 改訂版(67)ー熊本電鉄モハ55型ー 昭和の電車 改訂版(64)ー南海電鉄モハ1501型ー 昭和の電車 改訂版(60)ー高松琴平電鉄62号ー 昭和の電車 改訂版(39)ー近鉄ラビットカー6800系ー 昭和の電車 改訂版(13)ー阪堺電車デト11号ー 昭和の電車 改訂版(4)阪急電鉄1301
米手作市様 阪神の特急車3011形は、本当にカッコ良かったですネ。 この後出たジェットカ―試作車(色は派手で緑っぽく、塗分けも奇抜だった記憶があります)と共に阪神に革命が起きた時代の象徴的な電車でした。 これを機に阪神は各駅のホームを削り、在来車にはドアステップを付けて夜はそれにピカピカとランプが光っていましたネ。 曲面ガラスは妻面左右の両隅にも有って、こんな所迄…と、芸の細かさにいたく感心した記憶があります。 また、登場時のヘッドマークは当時の国鉄の急行電車の向こうを張ってか、鳥が羽を広げた横幅の広いデザインでしたが、その広げた羽はスリムでピカピカと銀色に光っていました。 惜しかったのは『軌道』規格?のカ―ブに合わせて車体長が短かかった事で、国電の20メートル規格には迫力負けの感じでした。 さて、ここまでの阪神はセンスも良かったのですが、その後の赤胴、青胴が実用本位の平凡な貫通スタイルの連続だったのには辟易したものです。 返信 ↓
また、出ました思い出の電車。神戸に行くときはなぜか、マルーンさんごめん、梅田から元町まで阪神電車。十三から乗ればいいのに梅田から阪神電車。乗る電車はいつもこの特急電車。ところで牛にひかれて南御堂参りの地下鉄。写真の地下鉄辻回しの場所はアッと驚く為五郎。さあ、サミットも終わったし、うらをとらないと。 返信 ↓
米手作市様 米手作市さんはその名の通り客車がお好きで「電車や他の車両は興味がない」といつもおっしゃられていましたが、「よーいうわ!」。 以前拝見した米手作市さんのP-6の幌付きといいこの阪神3011形といいお宝です。それにしても関先生も関西人らしく3011形のことを「美貌で売った大女優で年と共に脇役に回ってゆく」との表現は思わずその通りと思いました。私は元電車少年の乙訓の老人さんの作品でこの電車を見たことがありますが、昭和29年の高性能車の黎明期の名車です。しかし、その最盛期は僅か10年でした。当初梅田~三宮間無停車25分で走りその後停車駅が増え、1964年には3561形、3061形となり正面が湘南窓から貫通3枚窓の通常の阪神顏になりましたがその頃の姿をとらえていました。まだ2扉で丸みを持った車体の面影も残した頃ですが、西九条特急に使われていた脇役時代です。この3567+3568は製造された15両のうち最後まで残ったある面で異端車(?)の2両で1989年に廃車されています。 1966年6月27日 御影駅にて撮影の西九条発元町行き特急後部 返信 ↓
いつも楽しませて頂いているデジ青の皆様に感謝し、また玉手箱から1枚。ゴードン・デービス氏のカラースライドがあったので、お目に掛けます。1956(昭和31)年2月の撮影。第1編成が、野田駅に進入です。未だ登場以来の3輌編成で、走っています。いまはもう、青空一杯の背景に列車が、浮かび出るような場所は無いのでしょうね。 返信 ↓
「素敵な写真やなぁ、こんな電車に乗ってみたいなぁ」こんな夢を見たいなぁと思いながら、寝ようと思っていたら、たたき起こされました。 準特急さん、冬眠はあきません!この間D51の素敵な写真を投稿していただいて、喜びに打ち震えていましたのに・・・ コメント読んでいただきました? 目が覚めてしまいました!米手先輩
そう言えば居ましたネ『ジェットシルバー』も。 実は小生、阪神は数えるほどしか乗った事がありません。 自慢出来る事では有りませんが、特にジェットカ―全盛期には見るだけに近く、その高加減速の威力を実感していません。 そんな奴が図々しく、しかも思ったままのコメントで参加し、失礼しました。 お詫びにジェットカ―試作車の写真を貼付しましたが、初トライなので添付できたかどうか・・・。 返信 ↓
ブギウギ様 よくカラーで撮られましたね。3011形は私のは脇役時代でブギウギさんのは最後の頃ですが、私は3扉化後の姿の写真がありません。阪神電車は国道線等路面区間を除き新性能化が最も早く完成した私鉄でその分車両が画一化され、さらに沿線が自然の風景に乏しくもう一つ写す好きになれない鉄道でした。この写真は淀川駅と思いますが、ここは最近よく行きす。黎明期の私鉄車両は面白かったです。 返信 ↓
ほへほへ様 よく撮っておられましたね。3011形の一部が7801・7901形に編入されたようですが、この7801.7901形はいわゆる経済車で中間車は全部ではなかったかもしれませんが旧型の851形等の台車を履いていたと思います。電気ブレーキも省略していたように思います。うろ覚えで申し訳ありません。コメント写真有難うございました。 返信 ↓
ほへほへ様に倣って、もう1枚。デービス氏のカラーがあったので、お目に掛けます。準特急さま、阪神沿線にも素敵な風景あるじゃありませんか! でも今はもう、こんな景色は望むべくもないんかなぁ・・・。昭和31年5月、芦屋付近での撮影の由です。 返信 ↓
宮崎茂幹様 これは珍しい阪神電車の田園風景。右に六甲山系が見え、ここなら真横からの撮影も可能だったと推察します。とは言え両サイドに民家が見られ、阪神間の都市化が早かったことも感じられます。昭和31年5月なら現在準特急が走っている路線等はどこを見てもど田舎。有難うございました。 返信 ↓
米手作市様
阪神の特急車3011形は、本当にカッコ良かったですネ。
この後出たジェットカ―試作車(色は派手で緑っぽく、塗分けも奇抜だった記憶があります)と共に阪神に革命が起きた時代の象徴的な電車でした。
これを機に阪神は各駅のホームを削り、在来車にはドアステップを付けて夜はそれにピカピカとランプが光っていましたネ。
曲面ガラスは妻面左右の両隅にも有って、こんな所迄…と、芸の細かさにいたく感心した記憶があります。
また、登場時のヘッドマークは当時の国鉄の急行電車の向こうを張ってか、鳥が羽を広げた横幅の広いデザインでしたが、その広げた羽はスリムでピカピカと銀色に光っていました。
惜しかったのは『軌道』規格?のカ―ブに合わせて車体長が短かかった事で、国電の20メートル規格には迫力負けの感じでした。
さて、ここまでの阪神はセンスも良かったのですが、その後の赤胴、青胴が実用本位の平凡な貫通スタイルの連続だったのには辟易したものです。
写真は撮りましたが阪神は全く興味がありませんでした。3011は湘南のマネ、むしろ「ジェットシルバー」のほうがカッコ良く感じ、赤胴や青胴の加減速にしびれました。ゴメンナサイ!
また、出ました思い出の電車。神戸に行くときはなぜか、マルーンさんごめん、梅田から元町まで阪神電車。十三から乗ればいいのに梅田から阪神電車。乗る電車はいつもこの特急電車。ところで牛にひかれて南御堂参りの地下鉄。写真の地下鉄辻回しの場所はアッと驚く為五郎。さあ、サミットも終わったし、うらをとらないと。
米手作市様
米手作市さんはその名の通り客車がお好きで「電車や他の車両は興味がない」といつもおっしゃられていましたが、「よーいうわ!」。 以前拝見した米手作市さんのP-6の幌付きといいこの阪神3011形といいお宝です。それにしても関先生も関西人らしく3011形のことを「美貌で売った大女優で年と共に脇役に回ってゆく」との表現は思わずその通りと思いました。私は元電車少年の乙訓の老人さんの作品でこの電車を見たことがありますが、昭和29年の高性能車の黎明期の名車です。しかし、その最盛期は僅か10年でした。当初梅田~三宮間無停車25分で走りその後停車駅が増え、1964年には3561形、3061形となり正面が湘南窓から貫通3枚窓の通常の阪神顏になりましたがその頃の姿をとらえていました。まだ2扉で丸みを持った車体の面影も残した頃ですが、西九条特急に使われていた脇役時代です。この3567+3568は製造された15両のうち最後まで残ったある面で異端車(?)の2両で1989年に廃車されています。
1966年6月27日 御影駅にて撮影の西九条発元町行き特急後部
訳も分からず、ただ撮ったと言うだけの写真ですが、こうやってお目にかけて評価していただけたら今さらの喜びです。ありがたいことです。
いつも楽しませて頂いているデジ青の皆様に感謝し、また玉手箱から1枚。ゴードン・デービス氏のカラースライドがあったので、お目に掛けます。1956(昭和31)年2月の撮影。第1編成が、野田駅に進入です。未だ登場以来の3輌編成で、走っています。いまはもう、青空一杯の背景に列車が、浮かび出るような場所は無いのでしょうね。
きれいな写真ですね!
やっぱりカラーが良い、といえば準特急さんに怒られるかも
怒ってまっせ! しかし宮崎お宝玉手箱のこの色なら勝てません。また、しばらく冬眠しましょう。
寝るな!!
次は「マルーン」や!
「素敵な写真やなぁ、こんな電車に乗ってみたいなぁ」こんな夢を見たいなぁと思いながら、寝ようと思っていたら、たたき起こされました。
準特急さん、冬眠はあきません!この間D51の素敵な写真を投稿していただいて、喜びに打ち震えていましたのに・・・
コメント読んでいただきました?
目が覚めてしまいました!米手先輩
そう言えば居ましたネ『ジェットシルバー』も。
実は小生、阪神は数えるほどしか乗った事がありません。
自慢出来る事では有りませんが、特にジェットカ―全盛期には見るだけに近く、その高加減速の威力を実感していません。
そんな奴が図々しく、しかも思ったままのコメントで参加し、失礼しました。
お詫びにジェットカ―試作車の写真を貼付しましたが、初トライなので添付できたかどうか・・・。
こんな電車が居たのですか!
河さん、写真投稿大成功です。
河さんへ
向こうを張って出すには恥ずかしすぎる写真ですが、これしかありません。小学生が撮った写真としてご笑覧ください。
米手作市様
如何にもメカニカルな雰囲気は、東急の6000系を思わせますネ。
そう言えば、阪神にはこんな楽しい車もありましたネ。喫茶店なんて言うてました。
ジェットシルバーも「喫茶店」も後に取り上げられるようですよ!お楽しみに!
最末期の1985年に撮っていました。窓に特徴がありましたので三扉改造後もすぐ解りました。黎明期の高性能車は、各社個性があって何かロマンというか心意気のようなものを感じます。
ブギウギ様
よくカラーで撮られましたね。3011形は私のは脇役時代でブギウギさんのは最後の頃ですが、私は3扉化後の姿の写真がありません。阪神電車は国道線等路面区間を除き新性能化が最も早く完成した私鉄でその分車両が画一化され、さらに沿線が自然の風景に乏しくもう一つ写す好きになれない鉄道でした。この写真は淀川駅と思いますが、ここは最近よく行きす。黎明期の私鉄車両は面白かったです。
1987年に西大阪線にて運転台を撮っていました。
3011型の中で改造された7922が異端児で好きでした。
もう一枚です。
ほへほへ様
よく撮っておられましたね。3011形の一部が7801・7901形に編入されたようですが、この7801.7901形はいわゆる経済車で中間車は全部ではなかったかもしれませんが旧型の851形等の台車を履いていたと思います。電気ブレーキも省略していたように思います。うろ覚えで申し訳ありません。コメント写真有難うございました。
ほへほへ様に倣って、もう1枚。デービス氏のカラーがあったので、お目に掛けます。準特急さま、阪神沿線にも素敵な風景あるじゃありませんか! でも今はもう、こんな景色は望むべくもないんかなぁ・・・。昭和31年5月、芦屋付近での撮影の由です。
宮崎茂幹様
これは珍しい阪神電車の田園風景。右に六甲山系が見え、ここなら真横からの撮影も可能だったと推察します。とは言え両サイドに民家が見られ、阪神間の都市化が早かったことも感じられます。昭和31年5月なら現在準特急が走っている路線等はどこを見てもど田舎。有難うございました。