昭和の電車 改訂版(249)ー和歌山電軌200型・2000型ー

和歌山電軌200

乙訓の長老様の写真を整理していて見つけました。
和歌山電軌の200型200号です。1960年5月撮影となっています。

昭和の電車 改訂版(249)ー和歌山電軌200型・2000型ー」への4件のフィードバック

  1. 1970年12月21日に北の新地で撮った200です。長老より10年差がありますが、腰板中央のマークと窓の一部と排障器が変化した位でしょうか。屋根上は良くわかりません。

  2. 関 三平さんの解説を少し補足させていただきます。
    200形は、昭和6年から7年にかけて田中車輛( 201、202、205、206)、 大阪鐵工所(205、206)で新製されました。
    ラストの206は、昭和20年7月、戦災で廃車になりましたが、後日台車電装品を流用して311が製作されました。
    画像は、昭和39年12月27日、東和歌山駅前、205です。
    近鉄特急の看板が見えますが、当時から上本町~名古屋間を2時間13分で結んでいたことが判ります。

  3. 昭和39年12月27日、高松車庫、2003-2004です。
    2000形連接車は、昭和35年4月、東洋工機で2001-2002、2003-2004の2編成新製されました。朝夕のラッシュ時のみの使用で、昼間は車庫で寝ていました。
    私はむ、車庫で中途半端な写真しか撮っていませんが、記憶違いでなければ、準特急先輩が綺麗な形式写真を撮っておられたと思います。

  4. 藤本哲男様
    徳川御三家のひとつ紀州和歌山城へは高校の遠足で行って以来、紀勢本線の蒸機客車準急や南海本線の撮影に出かけたことがありますが、関西にいても結構遠くに感じていました。特に南海電鉄和歌山市内線はついでのついでに撮ったような記憶がありますが、ほとんど頭にはありません。藤本さんがご一緒しておれば当然撮っておられるはずです。どこで私の綺麗な(?)写真を見てもらったのかわかりませんが、この2003+2004は綺麗というより車に邪魔されていない所謂9割(形式)写真です。場所も不明ですが多分南海和歌山市駅前あたりで1968年11月21日に撮影しており、他に201、204、321、325、707、710、1004等々撮っていました。興味のある人はそういないので割愛します。藤本さんとは能勢電、雪の日の長岡天神の特急運用に入った710、新田辺、白塚などの撮影にご一緒し、いろいろ教えていただいたことはよく覚えています。

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