市電が走った街 京都を歩く 四条線⑤

「ぎおん」の7系統ツーマンカー時代の1610号と20系統686号、この二枚、何が違うでしょうか。右上の電停看板に注目、昭和43年撮影(上)では「衹園」、昭和47年撮影(下)では「祇園」になっている。この違いはなぜ?

「衹」と「祇」

この交差点の名称は「ぎおん」に違いはありません。ただ行政地名では、祇園町北側と祇園町南側であり、「ぎおん」は通称地名と言えるでしょう。開業から戦前までは「衹園石段下」で、市バス停留所名も四条線時代は同様の名称でした。短縮して「石段下」が、通りも良かったように思いますが、最近はあまり聞かない表現です。市電停留場の表記は、右の写真のように「衹園」ですが、現在では、バス停留所をはじめ、地図上の地名表記も「祇園」になっています。

「祇」と「衹」、どちらでも正解ですが、意外なことに、新字の印象を受ける「衹」が旧字であり、新字は「祇」なのです。流れを見ると、戦後すぐ、国語審議会は当用漢字を決め、「しめすへん」はすべて「示」になります。昭和23年になって、活字の標準となる当用漢字字体表では「しめすへん」は「ネ」となります。市電停留場名も、これに従い、「衹園」にしました。ところが平成12年になって、印刷に用いる字体の拠りどころを示す表外漢字字体表が答申され、その際に「衹」は「祇」に変更され、新旧が逆転したような改訂となったのです。コンピューターのフォントの基準となるJIS規格コードも、平成16年に「祇」が標準字体となります。事実、昭和の地図では「衹園」が多いものの、平成の地図では「祇園」が圧倒的です。冒頭の看板の字体も、この流れのなかで変更されたようです。Vista以降のOSは、この変更規格に合わせて「祇」と出て、旧字体を思わせる「祇」が逆に主流になりました。ただし、手書きの拠りどころとなる楷書、行書の一部(祥南行書など)、またモリサワフォントの秀英書体は、いまでも「衹園」です。

八坂神社西楼門から眺めた四条線、800形を改造した1800形は、労使問題でしばらくツーマンで使用されたが、まもなく本来のワンマンカーとして使われるようになった。

同じ位置からでも、雨になると、いっそうの風情となる。この1800形は、「ワンマン」表示にフタをして、赤帯はクリーム帯で、ツーマンでの使用。

「ぎおん」の駅名は、ほかにも福岡市営地下鉄、JR久留里線にありますが、いずれも新字の「祇園」です。そんななか、京阪電鉄が四条駅を平成20年に改称した際、敢然と「衹園四条」と名乗り上げ、改称の告知パンフにも「衹が正しい」との注釈を添えて、「衹園」堅持です。また実見したところ、交差点の近くの警察設置の道路標識も「衹園」になっていました。

市電の行先方向幕は「衹園」ではなく「ぎおん」で、ほかにも「みぶ」「たかの」「いなり」「くまの」がカナ書きになっていました。読みの難解な「みぶ」「いなり」がカナ書きは分かりますが、「たかの」は、「高野」とすると高野山と間違えるからと、写真展の来場者から教えてもらいましたが、真偽のほどは分かりません。字画の多い「ぎおん」「くまの」は、漢字だと狭い行先幕で表現しにくいのが実情だったのかもしれませんが、「ぎおん」は、いかにも、はんなりとした印象で、京都らしい表現だと思います。「都をどり」や、店名の冠などの「ぎをん」の表記は、さらに祗園らしい粋な表現としたものでしょう。

余談ついでに、もうひとつ、「祗」と表記する地名表記も各地で見られます。祇園信仰の拡大とともに、各地に祇園の付く地名が広まりますが、別の字である「祗」を地名表記している例があります。しかし、「祇」と「祗」は、別の字であり、読みも異なります。パソコンで「ぎおん」を変換すると「祗園」とも出るのは、間違った地名に対応したものと言われています。

最古参の500形は、昭和45年の伏見・稲荷線廃止で全廃となった。その最期を収めるのに祇園へ向かったものだ。大型3扉ボギー車で、大正13年から製造された。

大型ボギー車の3扉の1000形は戦後初の新造車で、32両が製造された。京都市電では最大長で、西楼門をすっぽり隠してしまうほどの長さだ。

祇園らしい、ぼんぼりの街灯を入れて、一枚。四条線は、前掲のように昭和47年1月22日をもって廃止された。廃止に至る、複雑な経緯、背景については、勘秀峰さんのブログに、当時の資料も添えて、詳しく述べられている。市電3線が廃止に至るまで4: ミュージアムと路面電車の世界 (seesaa.net)

 市電が走った街 京都を歩く 四条線⑤」への6件のフィードバック

  1. 「ぎおん」の「ぎ」に二つの書体があったとは、今まで気付きませんでした。パソコンでは「祇園」と表示されますので、「ネへんに氏」は過去の文字になったことを実感します。平成の半ば頃から昔の文字を見かけるようになり、混乱したことを覚えています。今は「祇園」と書くのですか‥‥。さっそく更新します。
    昭和53年9月の撮影ですが、二つの「ぎおん」が仲良く表示されてました。

  2. 紫の18634さま

    写真は東山線ですね。看板に両方の字体があったのですね。これは、私も撮っていませんでした。撮っていた時は、全く気にも留めなかったのですが、後年、「ぎおん」の「ぎ」には二種類の字があり、さらに誤用の「ぎ」もあって、調べて見ると奥深い理由があることが分かりました。ネットで検索しますと、同じような疑問を持った人は多いようで、いくつか拾えました。

    https://www.ytv.co.jp/michiura/time/2015/07/post-2775.html

  3. 総本家青信号特派員様
    教えていただいたサイトを早速読んでみました。「示へん」と「ネへん」「衣へん」、さらにはつくりの「氏」の下に横棒まであって、漢字は奥が深いですね。
    撮影場所は東山線で、四条通の南にあった北行き電停です。年に何度かここを通りますが、カーブした下りの急勾配で緊張します。「祇園」と「衹園」の二種類の表示が写っていたとは、ネガを拡大して初めて気が付きました。自分のネガは、細かいところまでは見てなかったようです。
    ところで京阪電鉄ですが、伝統の「京阪グリーン」をあっさり捨てておきながら、「衹園」を駅名に冠するのは意外です。関西人の気骨を感じるようで、エールを送りたいです。

  4. 市電の方向幕(実は勘秀峰さんから永久貸与?してもらっています)を使って、知り合いのIさんに、「手回し式方向幕遊戯器」を作ってもらいました。内側にLED照明を入れて、薄暗くした部屋で、行き先を回しては楽しんでいます。「ぎおん」も、もちろんあります。墨痕鮮やかな太楷書で、いいですなぁ。

  5. 祇園の字に付いて
    産経新聞に在籍していた最後の方に、歴史教科書にまつわる一連の騒動が起こり、社内で”教育勅語”みたいな復古調の嵐が吹き荒れ、その頃にぎおんの漢字は示す偏でなければならないを強固に押したのが、産経だったと思います。
    今ではそれが通ってネ偏の表記は一時代前の感覚になりました。
    実際に戦前や、明治以前はどうだったのか。江戸期の漢字は、宛て字もOKで音だけで代用したものも古文書に多く見られます。
    この復古調の波は、戦後の簡略体を排し、人名の沢は大半が澤に、長島茂雄も長嶋茂雄に変わりました。広島の広も人名では廣が多く用いられるようになりました。
    迷うのは子どもで、試験でバツがつくと嫌だから嫌々旧字体で書かされているみたいで、どちらでも良いのではと思います。日本国内でブームみたいなナショナリズムが浸透して15年、それが社会の前進や経済の成長に繋がれば、良いのですが。

    • K.H.生さま
      「ぎおん」の「祇」について、マスコミからの働きかけもあったことを初めて知りました。たしかに、人名も含めて、旧字がもてはやされて、「祇」のような復古調の改訂があるのですね。

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