伏見・稲荷線を送る 昭和45年3月31日
伏見・稲荷線は、前回の「中書島」で終わる予定でしたが、改めて、ネガを調べてみると、最終日の送別式の様子をかなり撮影していることが分かりました。式は京都市の主催で、京都市長、交通局長も出席した盛大なものでした。その後に行なわれる京都市電の廃止最終日は、世論も考慮して、ささやかなものとなり、その意味でも、記録に残しておくこともありかと思い、最後に紹介します。
▲中書島で最終電車を待っていると、DRFCのヘッドマークを掲げた501号が、待ち受ける市民の前に姿を見せた。
装飾電車
改めて、伏見・稲荷線での車両の動向を示しておくと、装飾電車は、3月25日から500形1両(501)、700形2両(706・707)の計3両に装飾を施して“花電車”としたほか、ほとんどの車両には、側面にスポンサー入りの板を掲示した。
▲装飾した501と707。なお、500形は26両が生き残って、4車庫(壬生、烏丸、九条、錦林)すべてに配置されていたが、伏見・稲荷線の廃止を機に全廃となった。また500形を短縮改造した514形4両も廃車となり、あと事故車の875、マスコン部品が他車と異なる901、902も廃車となった。
▲河原町二条で折り返す18号系統、私の自宅のすぐそばでもDRFCのヘッドマークが見られ感激した。
▲日本「最古」と日本「最初」のヘッドマーク。板のタテヨコも変えてみた。▲3両以外のほとんど車両には、大丸の広告入りの看板が吊り下げられた。▲最終日の行動を写真を便りに記憶を呼び戻すと、朝から各所で写して、いったん帰宅し、京阪電車に乗って再び中書島へ行った。記念品、記念乗車券の発売所の大きな看板が上がっていた。
▲みんな思い思いに別れを惜しんでいるようだった。▲すでに薄暗くなってきたが、別れを惜しむ人たちが三々五々集まり始めていた。
▲501号も朝から終日に渡って仕業に就いていた。▲この501号に乗って、京都駅前へ向かうと、次第に人が集まり始めていた。この日が初出勤の先輩のFさんと会って、一緒に写す。▲午後11時からは、市主催のお別れ式が乗り場の前で行なわれ、京都市長、交通局長が出席した。
▲挨拶する富井清京都市長、関係者には感謝状が贈られ、最終の運転士・車掌には花輪が掛けられた。
▲中書島行き9系統の最終電車となる501号に、市長、交通局長らも含めて、多くのお別れ客が乗り込む。DRFCヘッドマークにも注目、翌日の新聞にも写真が躍った(粗くて文字は読めず)。▲窓から手を振る京都市長。所定時刻23時15分発の9系統の中書島行き最終電車には、501、707の装飾電車2両が充てられた。Fさんは何とか乗り込んだが、私はあまりの混雑に気後れしてしまい、結局乗れずじまいだった。このまま帰ろうかと思ったが、ふと、近鉄・京阪を乗り継げば、中書島に先着できるのではと思い、あわてて、近鉄へ走った。夜間の時間帯だったが、きっちり京阪とも接続し、余裕で中書島にたどり着いた。▲踏切前で待つうち、を満載した501号が。
▲踏切で待つうち、トップ写真の501号に続いて707号が到着した。▲中書島でもお別れ式があり、市長がもう一度あいさつ。
▲▲折返しは「臨」系統の九条車庫行き。501号がホントの最終電車になり、運転士の緊張感が伝わる。
▲大勢の市民に送られて中書島を発車。▲▲九条車庫行きの車内では、大西さんら鉄道友の会の幹部の方たちと一緒になった。外ではもう軌道の撤去の準備が進められていた。途中で電車は空転を起こしストップしたり、大石橋の手動ポイントもなかなか割ることができず、這々の体で九条車庫に到着した。
▲九条車庫のピット線に入った501号
総本家青信号特派員様
「伏見・稲荷線」シリーズ、京都市電を通じて「伏見」の変遷を写し出し、それを記録し整理し大作に纏められたご苦労に改めて敬意を表させて頂きます。毎回思いますが、凄いことですね。
伏見の市電沿いの街の風景は独特であり、市電が街に溶け込み人々に愛されてきたことが伝わってきました。
以前伏見チンチン電車の会が主催されたセミナーで勘秀峰さんが伏見の街の発展について話をされましたね。総本家さんからもいろいろ教えて頂きました。その日駿河屋横の電気鉄道発祥の地の石碑の横に立たせて頂きました。市電はあの横をすれすれで走っていたんですね。
最後の日の記録でDRFCヘッドマークも然りですが、装飾電車が静かに休むまでの記録ぶりは「あっぱれ!」お見事ですね。
また、いろいろお教えください。有り難うございました。
マルーン様
コメントを頂戴し、また最後までお読みいただき、ありがとうございます。また伏見区役所の時は、ぶんしゅうさんともども来ていただきました。あまりにローカルな催しで、クローバー会の皆さんはゼロだろうと予測していただけに、姿を見掛けた時は、勘秀峰さんとともに感激しました。
総本家青信号特派員様
21回にも及ぶ長編大作に、尊敬の念で一杯です。
当方も京都市電には思い入れが有って、かつて伏見線の短編を雑誌に投稿し、掲載された時を思い出しながら楽しませていただきました。
貴殿の大作に比べれば、小生のは『深堀り』が足りず上っ面のみをカスッタ程度だった事を恥じ入っている次第です。
貴殿の長編は読み応えが有るので、全編をコピーして集め1冊の本に再編して私製の『マイブック』を作って見ようかと思っております。
河さま
いつも暖かいお言葉、ありがとうございます。いえいえ河さんのP誌の記事は、私はたいへん参考にさせてもらいました。写真とともに、河さんの思い出を誌面から理解しました。
“マイブック”、いいですね。私もネットではなかなか全編を通して読めないので、記事をコピー出力して、一冊に綴じて保存・閲覧したいと思っています。コピーする方法はいろいろ考えられるのですが、「スクリーンショット」を使うのがいちばん早いようです。