「四条堺町」
▲「四条堺町」を出て、大丸百貨店の前を行く西行きの20号系統、市電、市バスと行き交い、歩行者、クルマも多く、今と比べるとずいぶん雑多な街並みだが、活気のある繁華街の様相を見せる。右の市バスは、廃止された伏見線18号系統の代替バスとなる82号系統で、河原町→四条→烏丸の一方循環だった。過日の市電写真展でも、82系統の市バスが写真の片隅に入っていて、話のネタになったことがある。大丸は京都・伏見で創業した呉服店が発祥、四条通へは大正元年、四条通の拡幅、市電開業と同時に開店した。先ごろ、関西で最後となるデパートのファミリー食堂が無くなることで話題になった。
「四条河原町新京極」で買い物客などを満載した市電は、四条通を西へ向かい、京都随一の繁華街へと入って行きます。通り過ぎる縦の通りは、新京極通、続いて寺町通です。今は、いずれもアーケードに覆われた賑やか通りですが、市電時代は、寺町通にアーケードはなく、自動車も通行する当たり前の商店街でした。寺町通は、豊臣秀吉が京都改造の際に、京の町に散在していた寺を集めたことに由来します。表通りはそれほどでないものの、一歩裏に回ると、今でも多くの寺院・墓地が、繁華街のかなりの部分を占めています。▲市電の窓から四条堺町付近を見る。
▲「四条堺町」に着いた7号系統、開業時は四条高倉で、戦後、一筋東へ移転して「大丸前」と称したが、昭和38年の阪急延伸時に「四条堺町」と改称した。▲▲「パチンコ阪急会館」「山一證券」「長崎屋」と、いわくつきの懐かしい看板が並ぶ(※)。
老舗・名店の多かった四条通ですが、それを脅かす出来事が、約60年前に起こります。阪急京都線が、大宮から河原町まで延伸されることになり、当初、市と阪急は、四条通の河原町~烏丸間に地下街を造ることを計画、地元に提示したところ、地上の商店組合からは客足が減ると猛反対が起こります。結局、計画を変更し、昭和38年、河原町まで開業するものの、地下は単なる通路になったのです。以前は、写真ギャラリーなどがあって、多少は文化的な匂いもありましたが、いまは無機質な壁面だけが続きます。
市電廃止後の四条通の大きな転換として、“歩くまち京都”の実行策として、四条通の車線を減らし、歩道を拡幅する「四条通歩道拡幅事業」が行なわれました。クルマ中心社会から、「楽しみながら歩く」ことに特化した街路とするため、四条通(烏丸~川端)の車線の減少、歩道拡幅、テラス型バス停などへの改修を進め、平成27年に完工しました。大都市の中心市街地で、車線を減らし、歩行者、公共交通を優先する、全国初のケースとなりました。現在では、一時的なクルマの渋滞は見られるものの、以前と比べると、流入する自家用車も少なくなり、バスは比較的スムーズに走れるようになりました。ただ、ここまでするなら、完全なトランジットモール化ができなかったのかとも思います。▲四条堺町~四条烏丸を行く17号系統。右から左から、看板が好き勝手に突き出していた。祇園祭りの山鉾巡行に備えて、架線支持が片持ち式になっていた。
ビジネス街の烏丸通にも近く、証券会社や金融機関が多くあった市電時代でしたが、建物もほとんど建て替わり、ブランド店や大丸の出先店舗が目立つようになりました。スカイラインが揃ったビル街となり、歩道拡幅に合わせて、市の強力な看板規制もあって、整然とした品格のある四条通にはなりました。ただ、市電世代にとっては、あの雑然としながらも、活気のある、昭和の四条通が、懐かしく思えるのです。
レトロ感覚要素テイスト情緒満載年代スケルトンバスドアミラー車がいないのが良い純粋な昔の時代レトロ車てんこ盛り
荒井さま
はい、すべてがレトロ感覚てんこ盛りでしょ。当時は、将来、何かの役に立つなど微塵も思わず、無くなっていく市電を、街の風景と絡めて、ただ必死に撮っていただけです。まさか、こんなネット社会が到来し、皆さんに見ていただくなど、夢にも思いませんでした。今後も、懐かしんでいただける写真を載せていきます。
市電20系統は千本北大路折り返しでしたが、方向幕は「北野 金閣寺」だったことを初めて知りました。かなり小さいころに千本北大路の東行き停留所から乗車して渡り線を通ったことをかすかに覚えています。
C61-200様
20系統はよく利用しましたが、方向幕の行き先は意識しておりませんでした。「北野 金閣寺」を知るのは、市電が無くなって何十年も経ってからでした。改めて見直しますと、千本北大路行きは「北野 金閣寺」ですね。銀閣寺道行きの方は「ぎおん」で、四条通に入ると「銀閣寺」に替えていたようです。
千本北大路は地形の関係から、東行きの安全地帯は千本通の西側のみで、20系統に乗るには反対方向の安全地帯からという矛盾があったのですね。通学で3年間通ったはずですが、気づきませんでした。
わら天神前を北上する20系統です。終点の千本北大路まで電停は二つですが、方向幕は「北野 金閣寺」のままでした。