市電が走った街 京都を歩く 四条線⑥

四条京阪前  ①

急行運転がはじまった午前7時過ぎ、街には朝陽が射し込み、そのなか、1系統の赤い系統板がいっそう映える。背後の四条京阪でも人の波が。

祇園を出て、四条線に入ると、そこは祇園の繁華街のど真ん中。一力茶屋の赤いべんがら色の土塀が続き、いまも四条通にその歴史を映しています。花見小路は石畳になり、無電柱化されて、風情のある通りに改修されましたが、当時は変哲もない通りで、馬券売り場へ向かう無彩色の集団が黙々と歩いている通りでした。繁華街はなおも続きますが、鴨川から西の四条通と明らかに違うのは、いかにも祇園らしい、伝統的な食材や小物を扱う店が多いことです。一昨年の冬まで、インバウンド観光客が押し寄せ車道まで人がはみ出すほどだった四条通ですが、先ごろの写真展で、一週間、朝晩、この付近を歩きましたが、信じられないほどの閑散ぶりで、いまとなっては、あの異様な混雑ぶりが懐かしくもあります。やがて市電は「四条京阪前」に到着です。一力茶屋のある花見小路通を過ぎて行く。▲▲門に「節分」の文字が見えるが、市電は節分を待つこと無く、1月22日に廃止されている(昭和47年)。早朝の四条通、人もクルマも少ない祇園を発車し四条京阪前へ向かう7系統。

京阪電車も横断して行く早朝の四条通り、アーケードがなく、電柱・電線でビッシリの通りは、さすがに50年前の都市景観。この前の写真展会場「西利」では四条線も展示、タイトルに「西利の前を走った市電」としたところ、店の方から「うちは50年前に、この場所に店はおませんでした」と言われた。写真展会場より西に小さな店があったそうな。「みやげ」「八つ橋」と、当時から観光客相手の店が並んでいた。

 

 市電が走った街 京都を歩く 四条線⑥」への2件のフィードバック

  1. わたしも写真展の帰りに近辺を歩きました。もともと衹園は縁の薄い地域ですが、50年という時間は街並みをすっかり変えてしまい、戸惑うばかりです。
    車両の隅々までがっちり捉えた形式写真、美しい風景を走る走行写真はもちろん好きです。しかし、それだけでは物足りなくなってきました。時代背景や季節の風物、人々の様子など鉄道を取り巻く周りの風景が分かる写真に感動を覚えます。看板やバス・車にも興味が湧きます。土産物屋の看板に「つぶあん入り生八つ橋」の文字を見つけ、京土産にも変化が表れ始めた時代だったのかと思いました。
    ところで、現在「西利」が建つ場所は、もしかして「チャイナタウン」のあった近くでしょうか。今も半世紀前の姿を留める「香鳥屋」の位置から判断すると、そんな気がします。

    • いつもコメント、ありがとうございます。京都市電の廃止を見ますと、伏見線の廃止の時は、車両ばかりに眼が行っていた気がしますが、四条線の廃止になると、人やクルマ、街並みに囲まれての撮影になり、なら、それらを避けるのではなく、画面に入れて撮影しようとなりました。
      「西利」付近の写真を見ると、いまでも業態や建物が残っていますね。手前の大和銀行も建物は残っていますし、「辻利」「ギオン薬局」もありますね。そこから測ると、たしかに「チャイナタウン」あたりが、今の「西利」に当たりますね。

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