客車廃車体訪問記 内地編74 高知県-3

【佐川町 さかわ観光協会 うえまち駅】 33.498811, 133.287840  2022年5月4日撮影
ロ481
「うえまち駅」は佐川駅から西へ徒歩約5分の、さかわ観光協会の事務所がある新しい建物で、ロ481はその中に展示されていて、2021年4月17日にオープンしたそうである。隣に佐川文庫庫舎がある。
↑佐川駅
高知から「あしずり3号」で佐川に着いた。中村行なのに列車は東を向いている。地図を見ると、佐川の前後で線路は大きくS字カーブを描いており、そのSの中心に佐川駅がある。

↑ロ481   2-4位側。

↑4位寄り扉横の説明板。

↑1-3位側。

↑後位から前位を見る 左側の便所が通路にせり出している。

↑中央から前位を見る。

↑洗面台  昔は左壁の棚にギヤマンの水さしがあった。

↑もう一つの説明板があって、それには「日本国有鉄道四国総局」と書かれているが、内容におかしな点が2箇所ある。
◆「全国に32両配車されたものの一つ」
「配車」は貨車の用語だと思うが、「製造」とは書いていない。何時かの時点で32両存在したということだろうが変な表現である。「32」という数字の根拠は、昭和二年版『車輛形式圖 客車 (上巻)』所載の「形式400」の両数が32両とあり、それをそのまま書いたようである。何故昭和2年頃の両数を書いたのだろう。また、「全国に」とあるが、ロ400形が九州に配置されていたことがあるのだろうか。
なお、ロ400形は、ロ400~ロ502の103両(但しロ455は初代と二代がある)で、内ロ498~ロ502の旧日本鉄道引継車を含め、4種類(ロ455Ⅱを含めると5種類)の形態の違う二等車の寄り合い所帯であった。
◆「形式 D400」
どう見ても「D」に見える。この客車の形式記号のカタカナの「ロ」を見間違えて「D」と書いたようである。以前、多度津工場訪問時にあった説明板では下のとおり「ロ400」と書いてあった。

↑多度津工場保存時の説明板 1983年8月3日撮影。

↑多度津工場保存時の現車   2-4位側    1983年8月3日撮影。

ロ481は、台枠に「鐵作新橋 明三十九」の銘板があり、新製時はロ214→明治43年ロ481に改番した。
大正13年3月30日、日下-須崎間15哩8鎖(三等40銭)が高知線として開業し、同日佐川駅も営業を開始したが、それにあわせてやって来たそうである。開業時の時刻表を見ると、毎日須崎6:00発→日下7:07着から始まって1個列車が片道1時間7~12分かけて須崎着21:21まで5往復している。
それ以来、ロ481は高知を中心に運用されたが、二等客が少ないので、二等車の連結を廃止することになり、昭和7年9月1日から土佐山田-角茂谷間で廃止、12月20日に高知-大杉間で廃止して余剰になったため、昭和8年2月1日廃車になった。高知のロ400形では同時にロ443も廃車されている。廃車後の経緯は説明板のとおりであろう。この二等車連結廃止は高知に限ったことではなく、昭和恐慌の影響で、昭和5年度の北海道の支線と岩徳線から始まっている。
『鉄道ファン』11号 昭和37年5月号p.28に青山文庫の「列車閲覧室」だった頃の写真があり、バックにDCが見えているので、場所は現在地より線路に近い場所のようである。また、『鉄道ファン』166号 昭和50年2月号p.66に復元工事の苦労話が掲載されている。「うえまち駅」オープンの記事が『鉄道ピクトリアル』988号 2021年8月号p.125にある。

↑佐川名物は言わずと知れた「司牡丹」であるが、ちょうど屋根工事で煙突しか見えなかった。左の佐川郵便局の赤いポストも良い雰囲気である。

↑杉玉を吊っているワイヤーに燕がとまっていた。

 

客車廃車体訪問記 内地編74 高知県-3」への11件のフィードバック

  1. 精力的な活動、頭が下がります。私も佐川は気になっている街ですが、アクセスが不便で下車は叶わず、列車から見たホームしか撮っていません。司牡丹の広告もあります。四国には珍しい有人駅で、その時は委託のオバちゃん駅員でした。
    佐川を知ったのは、井原さんもお書きの鉄道ファンの11号で、改めて読み返すと、あの広田尚敬さんの取材だったのですね。四国の片田舎に、こんな古典客車が図書館として生きていたことに、当時の中学生の私も心がときめきました。

    • 私の訪問時はオバちゃんも誰もいませんでしたが、トイレも綺麗に掃除してありました。佐川では下車客が数人いましたのでホームで車掌が忙しそうに切符の回収をしていました。10人位降りたら発車が遅れるのではないでしょうか。行きの「あしずり3号」は約半分、帰りの「あしずり10号」は満席近い乗車率でどちらもこの日は3両編成でした。

  2. 車両の説明どうもありがとうございます。
    私は、昨年のGWに仁淀ブルーを訪ねた帰りに、オープン情報を仕入れていたので、立ち寄りました。多度津工場に保存時以来、3年ぶり位で見学してきました。
    話がそれますが、通りの両側とも司牡丹さんの建物ばかりで、帰宅後写真を見てみると、そちらの写真の方が多かったです。
    通りから写した蔵の写真です。

    • ここに酒がぎっしり詰まっているのですか。佐川は水と米が良い所なのですね。左党の皆様にはお薦めのスポットのひとつでしょう。

  3. 「ロ」から「D」は少し唐突と思い探してみたら、中間状態のようなものを見つけましたので、貼付いたしておきます。間違いはやむを得ないものとは思いますが、昨今のように間違えた方が何の非もないような姿勢なのには、些か閉口してしまいます。
    貼付の下側は、津山まなびの鉄道館のDF50の案内板です。何を参考に作製したのかは知りませんが、2箇所ほど訂正されています。訂正されているだけ、よしとすべきでしょうか。

    • 少しずつ「ロ」→「D」になっていく過程があったのですか。不思議なことです。

  4. こんなに小っちゃいのに二等車。
    車内が「どんなんかな?」と思ったら、「こんなんやったんや!」
    内装が洗面台も含めゴージャスな感じですね。
    この時代の三等車はどうだったんでしょう? シートは板張りかな?
    「司牡丹」いいですね!!

  5. 国東半島の山中に眠る明治期の元2等車。
    こんなものを発見して私は撮っています。1978年

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