5月27日 第4日目 その2
① ミュンヘン中央駅集合 13:00(Sバーン)→13:38 ミュンヘン空港
② ミュンヘン 15:55(MS788)→19:40 カイロ
③ カイロ 23:16(MS833)→3:05 アスマラ→ホテル
ミュンヘン中央駅で全員集合後、地下鉄に乗車してミュンヘン空港に向かいました。市内から乗り換えなし、所要時間は約30分強と便利で近い空港です。地下鉄ホームから地上に出るとすぐに搭乗する第2ターミナルの入口です。
1995年に開港したミュンヘン空港は、市内から28キロに位置します。ドイツでは、フランクフルト空港に次いでの利用客でヨーロッパでは第7番目となっています。
早速搭乗手続きを済まして、出発待合ロビーでビールを飲みながら搭乗を待ちました。▲ 機内食、左はMS788、右はMS833です。同じエジプト航空ですがメニューは違っていました。ただどちらもアルコールの機内サービスはありません。カイロで乗り継ぎ時にビールを求めましたが、空港内売店でも売っていません。これにはビール好きのO氏共々参りました。ミュンヘン出発時にウイスキー等のアルコール調達は必要だったと、気づいたのは遅かったようです。
▲ エリトリアの首都アスマラ空港へは、カイロで乗り継ぎ向かいます。カイロ、アスマラ共に定刻発着でしたが、どちらもバス移動でした。ミュンヘンから、乗継時間3時間36分も入れての11時間10分をかけて着いたアスマラ空港は、闇世の中で周囲は全く見えません。
官民共用、軍管理の首都アスマラ空港は、 滑走路は3,000mが1本、1,814mが1本。標高2,335mに位置します。現地ではこの空港で1週間に出発するフライト便数はわずか12便とお聞きしました。
【ロストバゲージと盗難発生】
到着後、長い入国審査を無事済まし、バゲージで預け手荷物を受け取りましたが、O氏の奥さんのスーツケースが出てきません。いくら待ってもダメでした。カイロ空港で合流したドイツの旅行代理店引率者2名と、ツアー参加者3名がお待ちでしたので、仕方なくロストバゲージ発生を伝えて、迎えの車に乗りホテルに向かいました。ドイツで買われた土産物、着替の衣類や化粧品等の旅行用品一切が入れてあったそうで、早く見つからないと大変困ります。
家内の方もスーツケースを開けられた形跡があると言い出します。私のスーツケースも中を確認しますと、使わないだろうと小さなカバンに入れておいた携帯電話がストラップを残して消えています。携帯は、1月に買ったばかりの人気のiPhone4です。見たら盗るでしょうね。貴重品は必ず携帯するのが国外旅行の鉄則ですが、盗難を今まで経験していなかったので油断しました。盗られるべきして盗られたのかもしれません。
到着早々にトラブルが発生して、ショックなエリトリア第1日目の夜明けを迎えました。
今日は当初の予定では、アスマラからエリトリア鉄道の特別列車に乗って、港町のマッサワまでの約120キロ、高度差約2,350mを下っての約5時間の乗り鉄でしたが、出発直前でエリトリア側からアスマラの町を出るのに必要な旅行許可証発行が間に合わないと言われ、機関区と近くでの撮影、そして市内観光に変更になりました。
外国人は入国した町から移動するには、旅行許可証を申請して許可をとる事が必需とされているのが、この国の法律です。ドイツで上手く手配手続きが出来なかったようです。一党独裁軍事政権で後進国相手では、いつ何が起こっても不思議ではありません。このぐらいは覚悟の上の軽い問題です。
▲ アスマラでの宿泊先のEmbasoira Hotel。イタリア植民地時代に建築されたホテルです。写真ではまあまあに見えますが、補修が出来ていません。洗面所の水やお湯は、はじめ赤錆混じりのチョロチョロでした。しばらく出しっぱなしにしておくと透明になってきましたが、お湯は温度が低く温かくなりません。それでもバスタブに流しっぱなしにしましたが一杯になるには1時間以上を要しました。電気スタンドも勿論、点きません。
こういった室内設備の老朽化による管理補修不良は、中国でもよく経験しているので苦になりませんが、初めての方や女性には辛いものがあるでしょうね。しかし、まわりの環境に適応力旺盛で天然ボケも入っている私の家内には、”没問題”です。女性も年を重ねると、天性に磨きがかかってきていました。
◀ ホテルの朝食は、パン、バター・ジャム、菓子パン、卵料理とコーヒーのみです。予想はしていましたが、パンは固くてまずい。そして、何より調理が遅い。
朝食後はバスに乗って、駅に向かいました。そこには磨きぬかれたマレー機達が待っていました。▼
【エリトリア】
国土は日本の約3分の1、人口は、約500万人強。
1890年まではエジプトに含まれていたが、以降はイタリアの植民地となる。1941年からはイギリスが保護領とするが、エチオピアに連邦国家として1952年までに吸収されていきました。1960年代に独立戦争が起こり1993年に独立を果たしましたが、今尚、隣接国との国境を巡っての紛争は絶えず、大量発生した難民で経済は崩壊し、国際援助なしでは生活できない、世界で最も貧しい国の1つと言われています。地図はこちらです。
※ 詳細をお知りになりたい方は、下記をクリックしてください。
エリトリアの案内(エリトリア大使館)の公式HPは、→こちらです。
ウィキペディアからの紹介は、→こちらです。
ニコニコ大百科からの紹介は、→こちらです。
アスマラの気候は、こちらです。
マッサワの気候は、こちらです。
【エリトリア入国・出国について】
入国にはビザ、旅行許可証、紹介状等の申請が必要です。 こういった手続きは変更される場合が多いので、訪問される方は事前に必ずエリトリア大使館にお問い合わせください。
また入国審査の際には、所持金の申請が必要となりました。無課税で、持込金額に制限はありませんが、入国審査場で所定の用紙に記入させられます。出国時にも同じ申請が必要でした。出国時に所持金は、財布を開けて勘定確認されましたので、適当には出来ません。ご注意ください。 Part10 へ続く
KAWANAKAです。
ぶんしゅう氏の紀行文は面白いしためになりますね。
コメントと言うことではないのですが、本日最終のちょいと鉄道記念日のフリー切符を使っていたので遅くなりました。
1行目のフランクフルトではなくミュンヘン中央駅ですな。
小生も随分前になりますがフランクフルトからカイロに飛んだことがあって、フランクフルトの空港のホテルで朝飯を食した際、同行した営業氏が料理を取りに行った僅かのスキに現金(色々と要るので現金も持っていた)1000ドル封筒に入ったまま盗られたことがあります。ホテルのレストランでも油断は出来ません。何かかばんに向きが違うような、と思っていて空港で気になって調べたら無い、無い。
出張なのでなんとか補填はしたようですが、気をつけないといけませんね。
エジプト国内の移動ではチケットの予約がしてあっても、座席が無くチャンスナンバー幾つ。。。というようなことでスッタモンダもありました。
逆にヒースロー空港でかばんに入れようと横に置いたビデオカメラが右を見て次の瞬間手探りで掴もうとしたカメラがありません。狼狽して盗難届けをしたら、お前のカメラはこれ違うか、と。なぜ、戻ったのかはサッパリ分かりませんが不思議です。えらい違いがあるもんです。
こんなことがあってから、どんな場合も多少の不便は覚悟して、全てハンドキャリーが信条ですが、考えものですね。
KAWANAKA 先輩様
紀行文の間違いについて、ご指摘をいただきましてありがとうございます。最初の文章です。このままにしておくのも、後々ご覧になる方に失礼と思いましたので、只今修正しました。
盗難の件ですが、不幸にして、ご経験されているのですね。以前に準特急先輩からも同じように買ったばかりのカメラが盗難にあった事をお聞きしていました。それ以降、カメラは必ず首にかけて離さないようにしております。
しかし、空港で預けた荷物から盗られるとは想定外でした。スーツケースに入れたカバンの中から盗られていますので、ゆっくりと物色した後の行為です。ミュンヘン空港、カイロ空港、アスマラ空港と、このいずれかの作業中にやられたものと思います。
空港内で働く作業員は、不審な人が勤務している場合があるので、貴重品は入れないように気をつけないといけないと、航空会社の人からも言われました。
インターネットが出来る環境下になってから、メールを入れて携帯電話の発着信を止めました。被害については、成田についてからエジプト航空に連絡を入れましたが、チェックイン後の責任については空港側にあって、航空会社では免責になっている。但し、お客様が保険に入っておられた場合は、第3者証明をさせていただきますと言われました。
持っておりますJALカードには、保険がかかっていますので、盗難を連絡して、現在手続きを進めております。いくら戻ってくるのか分かりませんが、こういった手続きは面倒ですね。
再度改めて、海外では盗難に気をつけることにします。
海外でのロストバゲッジは経験しましたが、何れも戻ってはきました。盗難に遭遇しなかったのは単なる幸運=要は統計上の問題だとは、かつて某旅行社の偉いさん(DRFC-OBの一人)から聞かされたことがあります。小生の場合発展途上国にはあんまり行っていないのですが、初めての海外で、台湾の次にタイのバンコック入国の際、イミグレーションで長い列に並びました。小生の前のおっさん(国籍不詳)がパスポートにお札をはさんで入国管理官に渡そうとしてトラブルになり、とんでもなく時間を食って、やっと小生の番が回ってきた時には周囲に人影なし。脂汗と冷や汗を流しながら荷物を受け取りに駆けつけたら、ここも人影がなく、小生のスーツケース1個だけがポツンと広い床に放置され、ターンテーブルも止まっていたという、2度と遭いたくない胃がどうかなりそうだった経験があります。幸い何事もなかったのですが。
同行の偉いさんのスーツケースがポコンとへっこんでいて、保険金受取のための手続で2時間ほど空費したこともあります。
ぶんしゅうさんの場合、やはりエリトリアは世界中で最も新しい国(1993年5月独立)と云う事と無関係ではありますまい。それでもアフリカの目下内乱中や内乱同然の国に比べたら、まだいいほうかもしれませんね。永年の中国駐在で鍛えたタフさと、臨機応変・危機管理能力を羨ましく拝見しました。
湯口大先輩 様、コメントをいただきましてありがとうございました。
パスポートにお札をはさんで入国管理官に渡すとは、大衆の面前で、堂々と不法入国を果たそうとした訳ですね。以前に某国会議員第一秘書から、選挙違反をしていたので紙袋1つでハワイに1次避難をしようとしたところ、これはおかしいと審査上で引っかかり、別室へ引っ張られた結果、強制送還にあったとの話を本人から聞いた事があります。
中国では、スーツケースが大きく破損した場合、現場で支払われた、わずか30元(360日本円)の損害賠償に唖然としたと、その時一緒に旅行した友人の話を聞きました。これで、人民が搭乗する時、これでもOKなのかと思うぐらいの大きな荷物を機内に持ち込む理由が分かりました。
今回、成田から伊丹に帰る際に搭乗したJAL国内線では荷物をそのまま機内に乗せられましたので、できれば預け手荷物にしない方が良いようですね。勉強になりました。
海外の空港に到着すると緊張します。逆に日本に戻る時に機内に入るとホッとします。それは外国に行くと泥棒のプロがそこらに居て獲物を狙っているからです。私の馬鹿さ加減を紹介しますと①以前にも話したことですが北京のホテルで中国紙幣に両替中、若い女性数人のプロに新品の当時流行ったペンタックス67とT/Cトラベラーズチェックを盗まれました。警察に盗難証明を書いてもらったことが保険支払いの参考の一つになったようです。②カナダのモントリオールではホテル前の庭にこれまたカメラを置き忘れ、10分後に戻った時は後の祭りでした。このため、次の訪問国ドイツで小型35ミリカメラミノックスを購入しました。③最も厄介なことになったのは欧州撮影旅行の最終日チューリッヒのバーンホフ通りのチョコレートショップに寄った時のことです。トラベラーズチェックにサインをしている間に航空券、パスポートを盗られがっくりでした。小さな狭い店に若いのが2~3人入って来たのを覚えていますが、これも後の祭り。バーンホフ通りで大きな70~200ミリレンズで市電を撮っていた時目をつけられた様です。警察に行きここでも盗難証明を書いてもらいましたが、パスポートのコピー持っていたのでこれがラッキーで警察官はそれを書き取り「スイス出国は認める」と言ってくれました。航空会社は日本語が通じる大韓航空。しかし、女性事務員は搭乗させてくれず日本大使館に電話してもうまくいかない。そのうちに男性事務員が「まー乗したれや」と言う感じで搭乗券を発券してくれてこれで急に安心したことを思い出します。通常料金で帰国する覚悟はしました。この時一緒に旅行したのが今年2月ぶんしゅうさんと三道嶺、ウルムチで行動を共にしたSさんです。彼は最後になって困った顔をされていましたが、この日私より1時間早いJALで帰国してもらいました。驚いたことに1ヵ月後に外務省から連絡があり、この盗難品は現金30米ドルは盗まれていましたが、それ以外全部戻ってきました。④もう一つアムステルダムからブリュッセルに向う列車でDRFCクローバー会のTさんもプロの洗礼を受けました。この日珍しく車掌のアナウンスが「Watch your belongings! Watch your Belongings!]と警告するので注意はしていましたがまさかバックの中に紐で止めて入れていた現金とJRスイカ券他を盗まれるとは思っていませんでした。彼は車窓から外の風景を撮影、私は居眠りしている所を狙われた様です。ブリュッセルの警察では毎日アジア人(日本人、韓国人)が被害に遭っていると言っていました。聞いた話ですが南アフリカなどではホテルを出るや否や強盗にあった経験のある人も居ます。何れにしましても外国ではかなりの確率で被害に遭うので読者諸氏も注意されたし。パスポートの顔写真のあるところのコピー数枚の用意と荷物はなるべく一つにし、航空会社に預けない様にしております。
いや皆さんやられているんですな。「蒸気機関車200年史」などの著者斉藤 晃氏(慶応鉄研OB)はやはり蒸機撮影に行ったケープタウンで、ホテルを出た途端に何とホールドアップを喰らい、パスポートから何から何まで全部盗られたと、本人から聞きました。
小生の場合は永年のサラリーマン卒業記念に、我が家の実力者(ヨメ様)と定番も定番のイタリアへ。ローマの超有名名所で男女3人が、写真を撮ってやる、ポーズはこうなどとやたらと親切。と、いつの間にかヨメ様のハンドバッグが開けられていたのに気付き、大声を上げると件の3人組はバツ悪そうにこそこそと遠ざかって、幸い被害はなし。しばらくすると少し離れた場所で、他の日本人老夫婦に同じ3人組がニコニコと親切を振りまいているのを発見し、こいつらはドロボーですよ、今やられかかったとこだ、と教えたことがあります。
それから4年後、下の娘がイタリアで結婚式を挙げよった後、夫婦でナポリへ。スカッパナポリという、若干やばいとされる裏通りのまだ1本裏通りで、ヨメ様がとある小さな靴店に入っている間、手持ち無沙汰で店の外でややボーッとしていたら、いきなり腕時計をひったくられかけた。咄嗟に大声を上げたらヨメ様が飛び出しまた大声を。件の盗人は小生の右目に一発食らわせ、苦笑いしながら仲間のスクーターに2人乗りで悠々去って行った由。小生はニコンの入ったバッグを抱え込んでうずくまったので情景はヨメ様の観察だが、すこぶるを通り越したハンサムな若者だったとか。
小生はボクサーみたいに瞼の上を切り、出血盛ん。と、靴屋のおかみやら、店員やら、それに騒ぎを聞きつけた近所の人やらが大勢出てきてかなりの騒ぎに。中にはボディーアクションと立ち回りで、この一件を実演して皆の衆に解説している奴もいるのは、かの映画「旅情」で8ミリを回して運河に落ちたキャサリン・ヘップバーンの行動を再現し、皆に説明した親父も運河にドボン、を思い出した。
皆の衆の中には家からウエットティッシュやら、絆創膏、バンドエイド、さらには氷までを持ってきてくれた人もいて、衆人環視の中で応急手当。このあたりは物騒というだけでなく、本当にナポリの下町の良さが出ていたのを、文字通り身をもって体験した。なおその時の腕時計は金1万500円也の、ローレックスに酷似した代物だったから、そんな時計とドツかれるのと、どっちを優先するんじゃ、と散々娘から説教された。
その日はホテルに帰って若干水薬にビールを服用して寝たが、翌日には見事に腫上がって右目が半分も開かない、あたかもお岩様もかくやのルックスで、それでもナポリの見物はした。帰国後も全快まで約1か月。しばらくサングラスのお世話になったお粗末の一件でありました。結局医者に掛らず傷口を縫わなかったので、傷跡は今も残る。
イタリアやドイツでも、10代の綺麗な娘グループ(ロマ人らしい)がすれ違いざまに何やら仕掛けそうになり、この時も大声と飛び離れて逃れ、テキは悪びれず肩をすくめて去りくさった経験もある。
こうしたことを思うと、日本は「まだまだ平和」でありますな。それでもうかつにステホなんぞできる時代ではないんでしょうな。ニューヨークでは自転車のハンドルとサドルを外して持ち歩く、リュックサックやショルダーバッグは必ず体の前に、というのが常識。
湯口 大先輩様、準特急 先輩 様、大変なご経験談をお聞かせいただきまして、ありがとうございます。
中国駐在時に行きつけの日本料理屋の板前さんが、香港に1年間ビザを更新に行った時に深圳の街中で車に乗った3人連れに車内に引きずりこまれて、財布を強奪されたと恐怖の体験談を聞いた事がありましたが、それにも増して障害まで負われたとはびっくりしております。やはり海外では、日本のようにほのぼのと旅はできないリスクがあるのですね。
海外に行く際は、準特急先輩が実行されているように機内に持ち込める程度の荷物にまとめて預け手荷物は行わないよう、パスポートのコピーを忘れないよう、また湯口大先輩のご忠告どおり可愛い娘っ子達には近づかないようにします。いつも一人で行動することが多い私ですので十分に注意することを心がけます。
(追記)アスマラ空港でロストバゲージに会われたO氏奥さんですが、10月2日に現地旅行社の担当者同行で空港に行かれましたら、荷物がありましたとの連絡が来ておりました。
私が帰国後にエジプト航空に被害を連絡し、調査され返ってきたのは、「預け手荷物に付けられたタグが外れていたのでアスマラ行きの飛行機に乗せられなかった。その後荷物に貼ってあるステッカー(再確認用)を見て、翌日の飛行機に乗せました。ご本人に連絡したかったが、滞在ホテルが不明だったので出来なかった。今までにロストバゲージにあって発見されなかった預け手荷物はない。」との事でした。しかし、奥さんが空港の倉庫で見た、不明な荷物は、100個以上積み重ねてあったそうです。航空会社の言うこともあてになりません。
航空券手配の際に宿泊ホテルを聞いてきますが、ロストバゲージに備えて、しっかり登録しておくのも必要かと思いました。