北の大地への旅 2024年秋 Part3 道東の撮影地へ向かう③

第3日目 9月28日 後編

厚岸駅で昼食の名物駅弁「かきめし弁当を受け取り次の撮影地、別寒辺牛湿原を見渡せる高台を目指しました。

⑤ 厚岸駅 13:00(約 7㌔)⇒13:23 別寒辺牛湿原▲ 14:08 長い間開発の手が入らなかったため日本で有数の自然が残されたラムサール条約の登録湿地「別寒辺牛湿原」の中を横切るように走ってきます「ひとめぐり号」です。根室で折り返してきました。あいにくと天候が優れず小雨が降ってくる中でしたが隊長さんの案内で高台への山道を上りました。

▲ 14:28 こちらは高台の反対側、厚岸を出た根室行きの5631Dがゆっくり徐行でやってきました。
撮影後の下山途中では濡れた山道で滑ってしまい2ⅿ ほど落下しました。ズボンは泥だらけでビショビショになり、もうじきに76歳になる高齢者には辛い撮影地でした。
下山後は座席に新聞を牽いて乗り、次の撮影地旧標津線奥行臼駅へと向かいました。

⑥ 別寒辺牛湿原 14:40(約50㌔)⇒15:27 奥行臼駅

▲ 15:27 奥行臼駅1933年(昭和8年)12月1日に国鉄の駅として開業、1989年(平成元年)4月30日に標津線の廃線により廃駅となっています。営業は56年間、道路が整備されるまで開拓村を結ぶ鉄路として利用されていました。
私も大学時代に一度でしたが野付半島・尾岱沼観光の際に全線を乗りました。

▲ 接続していた別海村営軌道です。当時は開拓民の入植地における交通の便を図るために大正中頃から昭初期にかけて建設が盛んとなり、多くの簡易軌道が 北海道開発局により敷設され、総延長は600kmを超えました。最初は馬力軌道でしたが輸送量の大きい路線ではディーゼル機関車、気動車が投入されましたが現在ではすべてが廃止されています。

続いては旧JR西春別駅跡の「別海町鉄道記念公園」の訪問です
⑦ 旧標津線奥行臼駅 15:40(約45㌔)⇒16:35 別海町鉄道記念公園

▲ 15:40 別海町鉄道記念公園に到着です。
ここの目玉はサハリンへ輸出され、日本へと里帰りしたD51-27号機です。

▲ 戦後30両がサハリンへ輸出され、廃車後に買戻されて展示されていますD51-27号機です。
2017年7月にサハリンへ行きました折にユジノサハリンスク駅前広場に静態保存されていますD51-22号機を見ました。同じように形式番号と車両番号の間にハイフンが入っているのが特徴で、運転席も厳冬対策に密閉構造になっています。でかい前照灯も印象的なD51形です。現在サハリン2両(4号機と22号機)とここで3両が静態保存されています。

▲ 公園内には、国鉄初の単線用鋼製ラッセル除雪車として、キ100形キ276号機、寒冷地向けで道内で活躍したキハ22形気動車キハ22 239、車掌車ヨ3500形ヨ4642が展示保存されていました。

夕暮れも近づいてきましたので今日の宿、北見のビアゾンホテルへと向かいましたが途中にある美幌町柏ケ丘公園に展示保存されていますC58 82号機を見たいと立ち寄りました。

⑧ 別海町鉄道記念公園 16:50(約88㌔)⇒18:28 美幌町柏ケ丘公園
▲ 18:28 美幌町柏ケ丘公園に到着です。残念ながら真っ暗闇影でしたので車のヘッドライトをアップしました。ご覧のように前照灯にはなぜか金網が取り付けられて異様な姿です。

 美幌町柏ケ丘公園 18:32(約23㌔)⇒19:10 北見ビアゾンホテル

Part 4 へ続く

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