昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈7〉

広島のバス

約1ヵ月ぶりに投稿に復帰します。この空白期間でも、鉄道界では話題が続いていますが、いま最も熱いのが広島電鉄市内線の駅前大橋線の開業でしょう。本欄でも西村さんから最新のレポートが届き、クローバー会でもビッグなイベントの企画が進行中です。呉線のC59・C62が昭和45年に終わってから以降も、何度か広島へ行く機会がありました。当時も、広島は路面電車が元気に走る街として知られていましたが、一方では広島は全国有数の“バスの街”でもありました。市内には、広島電鉄バス、系列の備北交通、芸陽バスのほか、広島バス、広島交通、中国JRバスなどが、市内の道路を埋め尽くしていました。

なかでも車両数、路線数で圧倒していたのが、中国地方最大手の広島電鉄バス(広電バス)。昭和29年に制定された白にオリーブ色のストライクのデザインは、現在もほとんど変わっていない。いまは先端のバスが走っているが、昭和50年前後、もう京都ではすっかり姿を消した、古いバスがゴロゴロ走っていて、路面電車以上に興味をそそられた。2台とも日野BR系(昭和50年2月、横川駅前)。

バスセンター近くの紙屋町まで来ると、もっと古いバスが次つぎに来て驚いた。いずれも車掌の乗ったツーマンで、日野BD31系で、ナンバーは「広2い・118」「広2い・132」、系統番号の枠があるが、広電バスでは、昭和35年に市内のバスで号線制が始まっているので、その前後の製造と思われる。

広島城を望むバスセンター前の取付道路で、芸陽バス(左)、広島バス(右)が特徴ある後部を見せ、広電バスがその向こうを行く。ここは、ひっきりなしに各社のバスが通って飽きない。

 

広島北部の安佐北・南区と市内を結ぶ広島交通、いまも同じオレンジとクリームの塗り分けで活躍している。個人的には、NSKボデーを見ると安堵を覚える。

ときどき路面電車も撮っていた。もと大阪市電2600形が広島へ来て、ピカイチの存在。京都市電1900形は、まだ京都で活躍中だった。

戦後登場の市内線用の500形501号、十日市町(本川町)にて。ここからは以前のデジ青で発表済みだが、あと20日ほどで姿を消す地上の広島駅前をカラーで偲んでみたい。周囲には、戦後の闇市の面影を残す、薄暗い商店街が続いていた。新しくなった駅ビルや駅の中の路面電車、一新した駅前風景が見られることが楽しみだ(昭和45年)。

 

 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈7〉」への3件のフィードバック

  1. 王道年代のレトロ車バス群素晴らしき時代
    新日本紀行放送年代レトロ感覚満載
    スケルトンバスは気が引ける

  2. 広島は新線開業のニュースで盛り上がっているようですね。ストリートビューで見ると、駅前の風景はすっかり様変わりしていました。
    半世紀前の広島では、このようなバスが見られたのですか! 広電バスは落ち着いた色合いですね。駅前で路面電車を撮ったネガに写ってないかと探しましたが、まともに見えるものはありませんでした。そのころはバスに興味がなかったので、仕方がないのかもしれません。
    たった一枚、広島らしい風景を狙った駒に、偶然広電バスが写りこんでいました。昭和54年8月、暑い日でした。

    • 紫の1863様
      やっぱり上手いなぁ、1863さん。広電バス、ピンクの宮島直通、原爆ドーム、親子4人、全部入りじゃないですか。とくに、日傘を差した母親、子ども3人、最近、路面電車やバスに乗っても、こんな微笑ましく慎ましい家族は見かけません。どうしてなんだろうかと思います。親と子が一緒に出掛けなくなったのかなぁ、それとも、親がみんなクルマに乗せてしまうのかなぁ。老人は気になります。

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