第4日目 4月22日
鄭州10:55(T254次)→20:08天津 831キロ 9時間13分
今日は、鄭州からかつての駐在先であった天津に向かいます。駅前のホテルに宿泊していましたので、徒歩で30分前に着きましたが、約50分も列車が晩点(延着)しました。これでは、天津着は21時近くになります。中国のホテルは、21時を過ぎますと、キャンセルとみなして部屋を飛び込みで入った人民に売ってしまうことがあるので、心配です。
鄭州鉄道日記さんに電話をしますと、このT254次は、遅れることが多いので有名ですとの事です。本当は、前夜の夜行寝台に乗りたかったのですが、彼に頼むのが遅かったので空席なしで、仕方なく昼間の列車にしました。
▲ 座席は残念ながら下段はなく上段になりました。同室客は、始発駅から乗ってきたと言うおばさん達でしたが、至って静かにしてくれていたので助かりました。食堂車を覗きましたが、品数が少なく今日はパスです。昼夕食とも車内販売の弁当にしました。
結局、天津には、1時間10分遅れの22:17に到着しました。部屋を別人に売ってしまわないかと心配だったホテルには、朋友の日本料理屋「古狸庵」の調理人に遅れるが、必ず行くので部屋は空けておいてくれと電話連絡をお願いしました。
第5日目 4月23日
① 鞍山路14:10(地鉄)→14:20本渓路(Taxi)→
② (Taxi)→果酒厂16:45(地鉄)→17:08 鞍山路
今日はゆっくりの起床で、ホテルで朝食後、租界地の面影がまだ残る建築芸術満載の五大道を散歩しました、砂埃を被って汚かった租界地の建物は修復され、駐在の頃よりも街並みはとても綺麗になっています。高層ビルも3棟しかなかった当時とは、比較にならないほど激増して、町はすっかりと変わっていました。
▲ 五大道の中心に出来ていたちょっと粋なホテル。租界時代の建物を改装していますが、4階建なのにEVがありません。中々のホテルと思って宿泊したのですが、最後にどんでん返しが待っていました。
部屋でネット後、馴染みの日本料理屋「道千草」で昼食。かつては客の大多数は、知人ばかりでしたが、全く知らない日本人ばかりです。駐在者は、だいたい2~3年周期で交代しますので当然と言えばその通りですが、酒を飲み交わした友人たちが毎年帰任していき、誰もいなくなったのは寂しい限りです。
昼食後に天津駅に行って、O氏と合流してからの切符を買わなければなりません。しかし、天津駅か西駅にに行って並んで買うのはしんどいです。近くに客票代售点(街角の切符売場)があるのかママさんに聞いてみると、かつて事務所兼住居にしていた世貿广場4階に出来ていると言います。これなら徒歩10分以内です。
懐かしいビルに行ってみますと、ありました。オープンカウンターに客は、一人しかいません。おまけに坐って買えます。鄭州では50人待ちだったのは何だったのでしょうか。売るおばさんも窓口とは違って焦らずゆっくりと、「どこから来たのか、ほお~ここに住んでいたのかい。」と雑談を入れての余裕の購入でした。これからの切符購入は、オンライン化されているので、街角ショップが1番と、この時分りました。
購入後は、地鉄に乗車して、まだ蒸気機関車が残る天津天重公司に向かいました。近くと言ってもかなり遠いですが、本渓路で降りて、客待ちのTaxiを見つけました。市内と言っても繁華街ではなく工場地帯の町外れです。メーターを倒して走るTaxiなど昔からいません。乗り込んだ後は、行き先を告げてからの料金交渉です。目的地にはバスの運行はなく、Taxiも皆無とのネット情報を見ていましたので、着いたからといってTaxiを帰すと、簡単には帰れなくなってしまいます。撮影の間、1時間待ってもらって、往復で40元(約500円)で交渉成立です。
走り出しましたが、工場はよく知っていると言った運転手さん、本当は場所を知っていません。迷走に次ぐ迷走です。約30分余りが経過しましたので、とにかく線路を見つけることに専念しました。ようやく道口(踏切)が見つかりましたので、降りて踏切番に私が直接聞きますと、「近くに走っているよ。蒸気機関車も走っているよ。」と言われていました。すぐに運転手を呼んで、道を教えてもらいました。
着いてみますと、先ほど来た工場です。運転手は、始めに門番に蒸気機関車が走っているかどうかを聞いたのですが、没有(無い)と言われました。もう他に行く所がないほど走り回りました。
どうしようかと思っていると、運転手が奥さんから今電話があって、直ぐに戻らなければならない。降りてほしいと言います。
足がなくなるので、それは困ると言うと、工場前にいた軽四輪と交渉して帰りはこれに乗るように話をつけてくれました。片道分を支払おうとすると、目的地に行けなかったので、受け取れないとびっくりする返答です。希少な中国人もいるものだと感心しました。
喉がビールを欲しがっていたので降りて、正門前の食堂に入ってビールを飲みながら、店主に問いますと、「蒸気機関車なら2台走ってるよ。工場の正門を入って奥に行くと2台いるよ。」と言います。番号まで言ってくれましたので、前調べどおりで、間違いありません。
軽四輪の運転手に今から工場に入るので待っていて欲しいと頼み、門番に聞きに行きました。「我是日本人。我的愛好是照相火車。・・・(私は日本人です。私の趣味は汽車を撮ることです。・・・)」(※中国語は、ほとんど話せませんがこのフレーズだけは、数えきれないほど喋りましたので、流暢です。)と、自己紹介をした後で、蒸気機関車の存在を聞きますと、やはり奥にいるとの返答です。入っても良いかと聞くと、良いよと拒否されませんでしたので、中にいる職工に聞きながら広い工場内を進みました。
▲ 工場内の片隅にいました。上遊型1524号機が白い息を吹いているのが見えました。
▲ 車庫内も覗いてみると、1007号機が火を入れれば動ける状態で、眠っていました。
車庫にいた職工に聞きますと、今日の作業は終わった。明日午前中からは、工場内で運行作業をするので見に来れば良いだろうとの返事です。工場内とはいえ実際に走行している姿を撮っておきたいので、再訪を約束して戻りました。
夜は昨日、宿の確認をしてくれた朋友の調理人が働く日本料理屋「古狸庵」へ行って、久しぶりの日本料理を食べ、日本酒を飲んでゆっくりとしました。
第6日目 4月24日
天津21:40(K345次)→7:45瀋陽北
今夜は、夜行列車でO氏と落ち合う瀋陽に向かいます。朝起きると、雨が降り出していました。天重公司の上遊型を取りに行かなければなりませんが、問題があります。天津では、雨の日にはTaxiが捕まらないのです。ましてや行き先は郊外で、流しのTaxiなどいません。行くのは難しい、復路はまず絶望的です。午前中は部屋で、HPへの投稿の用意に専念して様子を見ることにしました。
しかし、午後になると雨足は強くなりだし、雷も鳴って風も強くなりました。もう諦めなければなりません。チェックアウトを夕方まで延長して、作業を続けました。今晩の夕食は、天津では草分け的な20年続く日本料理屋「道千草」のママさんの店でいただくとの約束があります。ママさんに電話をして、店から天津駅までのTaxi予約ができないか相談してみましたら、よく使っておられるTaxiの運転手に連絡をしていただき、発車までには間に合うように手配してくれました。これで、店からは大丈夫ですが、店まで約10分は自力で徒歩です。
そろそろ、チェックアウトをしようと1階フロントに下りましたら、大問題が発生しました。Hotel.comで予約決済をしていましたのに、宿泊料を請求します。Hotel.comとは取引がない、宿泊料を受け取っていないので貴方が支払わなければならないと、若いお嬢さんは言い切ります。Hotel.comでは、中国でのカスタマーセンターがないので、日本に電話連絡をしなければならないのですが、フロントの電話は、従業員が勝手に使えないように、国際電話回線に繋げないようにしてあります。予約決済確認のメールを見せても、私は日本語が分らないと無視です。
途中から、日本語が話せる朋友らしい女性に連絡して、重ねて支払えと同じことを言い続けます。しかし、ここでOKを出せば宿泊料金が返ってこないことは、中国では当たり前のことです。絶対に支払わないと言い切り、粘り強くの交渉を続けて、最後は押し切りました。この間、何と1時間!。罵声を上げて、不満たらたらのフロントを後にして「道千草」に向かいましたが、雨足は強風と共に一段と強くなり、まさにゲリラ暴風雨の世界です。傘をしている人民もいましたが、全く役に立っていません。
私は、豪雨に備えての完全防水対応をしていましたが、キャリアケースはびしょびしょでした。
店に入って、雨水を落として、キャリアケースは全開で乾かしてもらいましたが、鼻水も流れて風邪ひき状態になりました。熱燗を頼んで一気に飲みほしました。
ママさんは、お客さんはみんな雨の日には、帰れなくなるが分っているので、今日は絶対に客は来ないと言います。実際、私が食事をとっている間、来た客は一人でした。よく来られましたねと言うと、駐在してまだ1ケ月も立っていない方で、「住まいが近くなので、運動がてらに毎日徒歩通勤です。一度寄ってみたいと思っていたので来ました。」と言っておられました。こんな人しか来られませんよね。
20:15、ママさんが呼んでくれていたTaxiが到着しましたので、天津駅に向かいましたが、町に人影がありません。バスもこんな日は、乗車客がいないのと、海抜3mの市内では、各所でマンホールから水が吹き上がって道が冠水しますので、ウヤになります。
「道千草」 のママさんのおかげで、天津駅には、無事に発車1時間前に到着出来ました。いつもみなさんに助けてもらって、旅が続けられます。感謝、感謝です。
Part5 へ続く